瑠璃雛菊の困惑 ―4―


 都会はあらゆる欲に溢れていて、食事には困らない。猥雑なイベント会場、高級マンションの一室、暗がりに沈む公園、人気のないオフィス・・・・・・。真昼間ですら、ホテル街から住宅街から『色欲』を求める香りが漂ってくる。
 半年前に大学生の男が廃人になって、二ヶ月前に新婚含めた三組ほどの堪え性のないカップルがまとめて修羅場になり、同時進行で一年ほど構った金持ち女が一週間前に破滅した。そのあたりでふと、オミは自然に囲まれた田舎に行きたくなった。街頭の大きな液晶パネルに映ったCMの風景が、ヨーロッパの森を思い出させたからかもしれない。
 どうせなら、いままで行ったことのない所に行こうと、旅行代理店の前に置かれているパンフレットから、適当に山の中っぽい行先を選んだ。
 無賃乗車した新幹線を降りて、澄んだ空気を吸い込みながら、人家の少ない方へ、少ない方へと歩いて行く。
 のどかな田園風景と言えば聞こえはいいが、山が迫り、手入れをされていない空き地が雑木林になりかけているような場所に着て、街灯すらまばらな闇の中に佇む。懐かしい黒い山々とは趣が違うが、それでも人間以外の気配が濃厚に感じられた。
 人間の営みよりも闇に身を置くことにより、鈍っていた感覚が鋭敏になっていく。都会の雑多な欲と刺激は、『色欲』だけを求める匂いを感じ取ることを鈍らせてしまう。
 すん、と鼻を鳴らし、オミは闇の中で目を開いた。星と月の灯りが弱く、人家の灯りも遠い。だが、どこからか美味そうな匂いがした。
 ふわりと夜空に舞い上がり、離れ小島のような人家のひとつひとつから探す。あの匂いは一瞬だけだったが、オミには嗅ぎ分ける自信があった。
(?)
 灯りの付いていない人家のひとつが、脆弱な結界に守られているのを見つけた。オミならば簡単に突破出来る、子供だましと言える代物だ。
(もしかして、ここかなぁ)
 くんくんと精気の在処を探るが、住人はすでに寝てしまったらしく、もう『色欲』を求める匂いはしない。おそらく、自慰の余波だったのだろう。
「うぅ〜っ、残念!いい匂いだったのになぁ」
 寝所に突入し、夢の中まで侵すこともできたが、薄紙で作られたような結界が気になった。
(なにかの罠だったら嫌だなぁ)
 オミを相手として作られたものではないし、オミにかすり傷も付けられないようなものだが、余計な者・・・・・・たとえば退魔師などを呼び寄せる警報に繋がっているかもしれない。それも脅威とは思えないが、面倒になるのは嫌だ。
(急いては事を仕損じる。様子見だね)
 昼になれば住人を確認することもできるだろう。好物は最後まで取っておくべしと、オミは踵を返し、その夜は別の獲物を探しに、もう少し住宅が密集している方へと戻っていった。
 翌朝早くから、オミは待ちきれなくて、結界の家まで足を運んだ。そしてそこで、あの結界の意味を知った。
(あちゃ〜。これのせいか)
 そこでは、結界に群がる有象無象が、意地汚くカリカリと爪を立てていた。ひとつひとつは力が弱くとも、敷地を覆うように黒々と集られて、か弱い結界はギシギシと悲鳴をあげている。
「しっしっ!僕が見えないじゃないか」
 腹立たしくオミが下級精霊たちを追い払い、結界の表面がすっかり綺麗になると、敷地の奥からやかましい音が聞こえてきた。まるで下町の工場のような、ガンガンドカドカいう金属音だが、同時に清冽な気配が迸っている。
(なるほど。彼らはこれが目的か)
 どちらかといえば、オミにとっては避けたい、不快な気配だ。それは破邪の気を含み、わずかながらオミの力を殺ぐ力を持っている。
 だが、下級精霊や低俗な霊たちに、その区別はつかない。灯りに群がる羽虫のように、彼らは自分の存在を照らす神聖な気に近づいていくのだ。
(あれだけ群がられたら、そりゃあ結界も張りたくなるか)
 オミは苦笑いを浮かべ、住人が表に出てくるのをじっと待った。いくら破邪の気を放とうとも、昨夜の甘い色香を知っている身としては、十分に獲物の資格があった。
 やがて、騒がしい音が止んで破邪の気配もおさまる。陽が高く上ってくると、宅配便の2tトラックが家の前に止まり、いくつもの段ボール箱を台車に積んだ配達員が、玄関の呼び鈴を押した。
(おっ、出てくるかな?)
 ワクワクしながら庭先を見守るオミの視界に、カーゴパンツにタンクトップという軽装の男が玄関から現れた。
 配達員も慣れているのか、言葉を交わしながら、台車を押して家の外に出る男について行く。どうやら、倉庫か作業場が家の裏手にあるらしい。オミも慌てて、結界に触れないよう気を付けながら二人を追い、荷物をおろした配達員が去っていったあとも、ひとりで荷物を整理する男を見つめた。
 短く整えた黒髪には白髪が混じっていたが、むき出しの肩や腕の筋肉は隆々として逞しい。口を囲むようにわずかにひげを生やしており、年は五十ほどに見えるが、ぱっちりとした黒い目の輝きは鋭く溌剌としている。
 検品が終わったらしい男は、木炭や金属塊の詰まった箱を次々と作業場の中に運び込んでいき、最後の一箱を運び終わると、作業場に鍵をかけて玄関へと歩き去っていった。朝にオミは彼を見つけられなかったが、母屋の裏手に勝手口のようなものがあるに違いない。
 オミが見るに、彼は十中八九、退魔道具を作る鍛冶師だ。道具作りと退魔の力を付与するのは、まったく異なった才能が必要になる。通常、前者は一般人で、後者は聖職者である。だが彼は、その両方の能力を持つ稀有な存在だ。オミにとって、直接ではないが要注意人物となるだろう。だが・・・・・・。
「っはぁ・・・・・・っ」
 詰めていた息を吐き出し、オミはふらふらと空中を漂って、背の高いヒバの木に引っかかるように止まった。
(どうしよう・・・・・・)
 頬が上気しておさまらない。体の芯が熱を持って疼いた。年長者の冗談だと思っていた。若い自分をからかっただけなのだと。だが現実に、目の前に、それがあった。
(僕の・・・・・・僕だけのルクスリア・・・・・・!)
 奇跡のようだ。一目でわかった。昨夜、かすかな匂いさえ消えていたのに、ここにたどり着いた理由が分かった。
 両手で顔を覆い、勝手に高鳴る胸に困り、そして急に不安になった。
(どうしよう・・・・・・。僕・・・・・・)
 神聖な仕事をする彼とは相容れない存在の自分は、きっと彼を怖がらせ、近付けば怒らせるだろう。魔物である自分の醜い姿は、とうてい彼に気に入られないだろう。それが酷く、怖かった。
 どうすればいいのか、わからなかった。相手は普通の獲物とは違う、『特別』な存在だった。
「嫌われたら、どうしよう・・・・・・」
 いつものように飼いならし、喰いつくしてしまえばいい。簡単なことだ。でも、それはできないとオミ自身が否定する。淫魔である自分の存在意義を否定したとしても、それはとても重要なことに思えた。
「好き、なんだ・・・・・・」
 それを人間は「恋」と呼ぶのだが、その時のオミにはわからなかった。
 拒否されることを恐れ、効果的な手段を講じえぬまま、訪ねてきた人間の会話から、彼の「セン」という名を知った。センの仕事中に群がりだす下級精霊を追い払う以外は、できるだけ自分の気配を殺し、ひっそりと結界の外から手をこまねくように眺めて過ごした数日後、思いもかけず、向こうから声をかけられた。
 オミはなんとか怖がられないよう姿を整えたつもりだったが、最初はやはり驚かれた。そして、大失敗をした。この時ほど自分が『色欲』であることを恨めしく思ったことはない。
 もうだめだ、絶対に嫌われた、そう思ったのに、次の日になっても敷地の結界は復活せず、センは犬を呼ぶようにオミを呼んだ。申し訳なさで縮こまるオミの頭を、センは呆れたように撫でてくれた。

 新しく買った大きなベッドは、センには痛い出費だっただろう。家中の神棚を撤去するためにも費用が掛かったはずだ。
 でもそんなことを忘れてしまうくらい、オミを受け入れてよかったと思ってもらえるように、センには気持ちよくなってほしかった。ルクスリアとしてのすべての力を傾けて、しかしやりすぎないように。
「はっ・・・・・・あ、あぁっ・・・・・・アアアアッ!」
 ずぶずぶと自分の中に入ってくる熱く硬い楔にこすられ、オミはセンにまたがったまま、だらしなく精液を噴きこぼした。
「っく・・・・・・、おい、こっちは人間だぞ。そんな、勝手に何回も、イくなっ・・・・・・!」
「あっ、はっ・・・・・・ぁん!あぁ、らって・・・・・・ぇ、きもち、ひい・・・・・・っ!」
 すべてを貪りつくしたい衝動を抑えるのは切なかったが、脆い人間であるセンを殺してしまわないよう心を砕くのは、また違った喜びをオミに抱かせていた。
「うっ・・・・・・はっ、ぁ!おみ・・・・・・ッ!」
「あはぁっ、あんっ、センちゃんの・・・・・・おちんぽ、僕の・・・・・・なか、ぁああっ!しゅ、ご、ひ・・・・・・ィッ!」
 太く大きなものを、きゅんきゅんと感じる腹の中で丁寧に愛撫しながら、オミは緩やかかつ滑らかに腰を動かし続ける。自分の下で快楽に喘ぐ男を見下しながら、汗の浮いた逞しい肌に手を滑らせると、そこには短命な生き物の鮮烈な熱が感じられた。厚い胸、引き締まって筋肉が浮き出た腹、がっしりとした腰・・・・・・。
「あぁ、センちゃ・・・・・・え?ぅわ!?」
 ひょい、という表現が似合いそうなほど軽々と、オミはセンの下に敷き倒されてしまった。
「あ、の、なぁ・・・・・・っ!」
「ひゃいっ!あああのっ、ごめんなさ・・・・・・!」
 脚を大きく開いた情けない格好のままで謝るオミを、圧し掛かったままのセンがため息をついて見下してくる。
「そんなやり方じゃ、腹いっぱいにならないだろ」
「・・・・・・へ?」
「ダラダラちびちびと、女のランチ会じゃあるまいし・・・・・・。かえってしんどいわ」
「ふえ・・・・・・?ぁ、だって!そんな全力でやったら・・・・・・!」
「俺が全力なら、問題ないだろ?」
「・・・・・・・・・・・・え?」
 ぐいっとオミの脚が持ち上げられ、太い綱が巻き付いたように筋肉が盛り上がるセンの肩に引っ掛けられた。センの荒れた指先が、二人の体に撒き散らされた白濁をすくって、己の赤い舌に運ぶ。
「え、あっ、ちょっと、ま・・・・・・!!」
「待てん」
 明らかな『色欲』の匂いを放つセンに肩を押さえつけられ、オミは自分の『色欲』が狂おしいほど励起されるのを感じた。目眩がしそうなほどの、歓喜。
「ヒッ、ァ・・・・・・あああああぁっ!!」
 逃げられない体勢で、無防備なアナルに、深々と太い楔が穿たれた。