瑠璃雛菊の困惑 ―3―


 できるだけ急いで、という注文に、息子や弟子を含めた大人数でやってきた老神主に、センはしこたま叱られた。
「なんじゃこれは!?お社が割れとるではないか!?」
「はぁ、すみません」
「すみません、ですむか、バカたれが!!」
 あの日オミがハッスルしたせいで、センの家の神棚はことごとく壊れてしまった。お札まではなんとか無傷だったが、榊は枯れて倒れ、杯は弾け飛び、注連縄はボロボロに腐り、社には大きなヒビが入り、神棚の装飾もあちこち欠けていた。
「刀匠のセンともあろう職人が、一体、何をやらかしたらこうなるんじゃ」
「西洋出身の魔物に取り憑かれまして・・・・・・」
「冗談にしては笑えんし、事実ならもっと笑えんわい」
「笑えない事実で申し訳ないのですが、俺はあれに憑かれていてもかまわないので、お札をお返しすることにしたんです」
 鬼の形相で睨んでくる老神主に、センは神妙な表情を作って事実を述べた。
「あれは俺の仕事を邪魔するつもりはありません。事実、あれが来たおかげで、俺は静かに仕事に打ち込めています。ただ、力の強すぎる魔物なので、鍛冶場の結界の強化と、反対に敷地と家屋の結界を撤去したいのです」
「追い払う気はないというか」
「そんじょそこらの祓い師では、まったく太刀打ちできませんよ。阿闍梨様の説法を昼寝で聞き流して、ヴァチカンのエクソシストをからかって泣かせた上で廃人にしそうなレベルです」
「よくわかった。祀った方が早い奴だな」
「そういうものです」
 納得した老神主はすぐに弟子たちに指示を出し、家中のお札と壊れた神棚を撤去して集め、真新しい注連縄とお神酒の樽と塩の袋を持ち込んで鍛冶場の清めを行った。
「本当に、お前さんは大丈夫なんだな?」
「はい、大丈夫です」
 初めて心配そうな顔をした老神主に、センは照れ臭そうに笑った。
「自分で言うのもなんですが、あれは俺を気に入っているようですし、俺も正直、悪い気はしません。俺を取り殺すことだってできるものを、こうして自由にやらせてくれている。それで、ご納得ください」
「・・・・・・やれやれ。生贄に生贄の自覚がないのも困りものだて」
「はははっ、そうとも取れますね」
「笑い事ではないわ、まったく・・・・・・」
 老神主はぷりぷりと眉をひそめながらも、助けが欲しかったらすぐに呼ぶことをセンに約束させて、お焚き上げのためにお札と神棚を回収して帰っていった。
「終わった?」
「ああ。もう出てきていいぞ」
 センは隣に現れたオミを見上げ、子供サイズだと俺より少し小さいくらいだったのに、と心の中でちょっと愚痴る。
「神道って懐深いね。僕がいるのわかってて、追い出そうとしないなんて」
「うちの国は、神様皆兄弟、みたいな雰囲気だからな。怨霊だって祀れば神様だし、外国の大悪魔だって、珍しいお客さん扱いなんだろ」
「あははっ、不思議だね!」
 不思議なのは目の前にいるオミの存在だ、などとセンは思うのだが、オミを許容している自分を顧みて、人のことは言えないとため息をつきたくなった。
「さて、オミの部屋を作らないとな」
「えっ、一緒に住んでいいの!?」
「かまわん。人間と同じ住処で良ければな・・・・・・って、嬉しいのはわかったから、空を飛ぶな」
 狂喜乱舞してくりんくりんと空中で回転しているオミを引きずって、センは家の中に戻った。
「客用の布団はあるが、ベッドの方がいいだろ?」
「どっちでもいいけど、センちゃんと一緒に寝たい」
「・・・・・・俺の部屋を寝室にして、もう少し大きいベッドに買い替えるか」
「やったあああ!!」
「模様替えするから手伝え」
「うん!うん!」
 オミは素直にセンに従って、せっせと家具を運んだり掃除をしたりした。実に働き者でセンは感心したが、相手が有史以来の、下手をすると神話時代からの古代魔族種だということを忘れそうになる。
 あらかた片付いたところで一服し、センは廊下の向こうを指さすオミに質問された。
「ねえ、あそこの部屋には何があるの?僕が前を通るたびに、中からガタガタ音がするんだけど」
「俺が造った『商品』だ。中に入って壊すなよ。お前が壊さなくても、向こうから壊れに来ることもある。破損したら、弁償してもらうからな」
「はぁい」
 オミは退魔のアイテムを全く怖がっていない様子だが、「弁償」の一言で神妙な態度になった。
「オミはいつから日本にいるんだ?」
「んー?わりと最近だよ。十年くらい前かな?都会はもとより、田舎に行っても、大きな道沿いにはたいがいフードコートがあるから、そこそこ住みやすくってさぁ」
「フードコート・・・・・・?ああ、ラブホテルのことか」
 理解して脱力したが、センはオミに続けるよう促した。
「僕の食事の話にもなるから、気分悪くなったらゴメンね?この前センちゃんから貰ったように、気に入った人間から直接精気を食べることもあるけど、いまは不特定多数の人間が出す、もやっとした精気を摂取することが多いかな」
 それは人間が増え、多様な文化が溢れるようになり、オミが求める精気自体に雑味が増えてしまったせいらしい。
「人間の食事で言うと、毎食グラノーラ食べているような感じ?」
「飽きるな」
「でしょ」
 山葵醤油味のせんべいをかじりながら、オミはしかめ面で同意を求めてうなずく。
「純粋な肉欲や色欲って、減ってきているんだ。思春期の処女や童貞くらいだよ。それでも、現代はセックス以外にも楽しみがあったり、逆にストレスで性欲が湧きづらくなったりしている。成人から取ろうとすると、風俗店は意外としょぼい代わりに、ホテルの方が美味しいの取れるんだ。まっとうな恋愛上であったり・・・・・・そうでなかったりもするけど」
 オミの皮肉気な微笑は、オミの存在が「罪源」と呼ばれる所以か。肉欲に溺れて罪を犯す者たちを、オミは冷ややかに見ているに違いない。
「まあ、食事処の選り好みも、できなくはないけどね」
 日本は神様からしてセックスにオープンなためか、『色欲』の性質を持つ強力な妖怪が狒々くらいしかいないので、オミにとっては縄張り争いが起きにくい地域らしい。いま日本にいる『色欲』の怪物の過半数は、西欧化に伴って流入したサキュバスたちで、オミに膝下する存在だ。狒々たちも、よほどのことがない限りオミに逆らいはしないだろう。たまに色情霊が、安珍清姫伝説の清姫や、牡丹燈籠のお露のように、生者を殺すほど力を持つことがあるが、オミに手を焼かせるほどの怨霊化をすることは、ほぼないそうだ。
「つまり、ここ十年ほどの日本ではオミが元締めなわけだ」
「マフィアみたいな言い方されても困るんだけど・・・・・・」
 力関係に関しては、おおむねその通りだとオミはうなずく。集団性暴行事件やわいせつ目的の小児誘拐などは狒々たち、男女間の不貞や覗き痴漢行為などは夢魔たち、彼らが人間をそそのかしての仕業であることがままあるという。それらに関して、オミは退魔師などを呼び込まないよう注意はするが、人間をそそのかす行為自体に対しては奨励も禁止もしていないという。そもそも、そういう存在たちである。
 白面九尾の玉藻前といった、かつて日本にも影響を及ぼした大物もいるにはいるが、極東に関しては神様や教えがおおらかなせいか、鬼や河童たちも『大食』や『憤怒』、あるいは『傲慢』などの性質が混在し、あまり『色欲』が突出しない傾向らしい。もっとも、歴史的に抑圧されなかったから突出していないというだけで、人間に関しては他地域から見れば十分に『色欲』まみれだ。
「いまのところ、信仰を集めている子宝や夫婦円満、子孫繁栄の神様以外で、このあたりで大きな力を持つ『色欲』は僕しかいないよ。魔羅様という超VIPは別格だけどね」
 釈迦の悟りを邪魔した天魔に対しては、オミも非常に敬意を抱いているようだ。
 最近の人間たちは、立体的な肉体よりも、二次元に色情を求める傾向が多くなったとかで、夢魔たちの活動場所も変わってきているのだそうだ。春画は昔からあるのに、どうしてこうなった。
「それで、生身の俺は美味かったか?」
「それはもう!!」
 オミは幸せそうに笑顔をきらめかせ、センに満足そうな笑みを浮かべさせた。
「不思議なもんだな。自覚はなかったが、俺の性欲は、そんなに純粋か」
「うんうん。すーっと渇きが癒えて、身体の底から力が湧くような・・・・・・はぁ、きっと生命の水や神々の酒ってこんな味なんだろうなぁって感じ」
 うっとりとした目つきでセンを見ていたオミだが、ふと気まずげに視線をそらせた。
「センちゃん個人もとっても美味しいんだけど、僕がセンちゃんのところにいるのは、もうひとつ理由があるんだ」
「理由?」
「・・・・・・・・・・・・」
 オミはしばらく逡巡したのち、思い切ったように口を開いた。
「僕より先に生まれたルクスリアから聞いたんだ。『ルクスリアだけのルクスリアがいる』って・・・・・・」
「なんだそれは?」
 急須を持ったまま眉間にしわを寄せたセンに、オミは言いにくそうに頬を染めた。
「ありていに言えば、『番』つがいかな。番からわずかでも精気をもらえる限り、ルクスリアの慢性的な渇きは劇的に抑制されるんだ。僕らは人間の色欲を励起させて、その精気を吸い取る。だけど、僕ら自身の色欲は、他から励起されることはない・・・・・・通常は」
「・・・・・・つまり、俺はオミを発情させて性交にいたることによって、オミ自身の渇きと、番以外の人間が襲われる危険性を、効率的に抑えられることが出来るのか」
「うん、そういう・・・・・・こと、です。はい」
 恥ずかし気にうつむいたオミに、センはオミの今までの態度がすとんと腑に落ちた気がした。
「なるほどな。それで俺と一緒にいたいわけか」
「うん」
「しかし、良く見つけたな。こんなに広い世界で・・・・・・」
「見つけられない方が多いよ。僕・・・・・・たぶん、二、三百年くらいは生きていると思うけど、センちゃんが初めてだもん」
「に、さ・・・・・・」
 番うんぬんよりも、オミの寿命の長さに、センは目眩がするようだった。三百年前というと、産業革命があったり、日本ではリアルタイムで大岡越前が町奉行をやっていたりしたあたりのはずだ。
「お前、そんなに若く見えて三百歳だったのか・・・・・・」
「ルクスリアの中では一番若いよ?もっとも、いまのルクスリアは、僕含めて二匹しかいないけど」
 そんなに何人もいてたまるか、とセンは心の中でつぶやきつつも、何十憶分の一という、奇跡的な確率でオミが自分を見つけたことには、ささやかな感動を覚えた。
「よかったな、俺を見つけられて」
「っ・・・・・・うんっ!」
 泣きそうな笑顔でうなずくオミを見て、センはますます笑みを深くした。