瑠璃雛菊の困惑 ―1―
神棚と縁側のある和室で差し向かい、いつもの取引を終えて緑茶の杯を傾けている女が、「そういえば」と切り出した。 「珍しいものを飼いだしたんだな」 「なに?」 男の眉が上がったのは、女がグラマラスな胸を押し出すように身を乗り出したからではなく、不思議だなと思っていたことを的確に指摘されたからだ。 「敷地には入ってきていないが、気付いているだろう?アレのせいで、この辺がやけに静かだ」 ニヤニヤと笑みをたたえる女は、国内でも有名な祓い師だ。まだ三十代のはずだが、その武勇伝は枚挙にいとまがない。 「それがなんだかわかるか?」 「いや、ずいぶん慎重な質のようでな。神仏でもなく、かといって魑魅魍魎のような、雑多でもやっとした類でもない。・・・・・・しいて言えば、伝統的な国産じゃなさそうだ、というくらいかな」 「国産じゃない?」 再び驚いた男に、女は深くうなずいた。 「別に例がないわけじゃない。国内で封印されていた悪霊を、馬鹿な観光客がやらかして故国に持ち帰ったとか、才能のある奴が海外旅行に行った先で、生まれたばかりの土地神様を拾ってきてしまった、なんて話もあるくらいだしな」 「海外でも神様は生まれたりするんだな」 「そりゃあ、一神教が広まる前は、ギリシアでも北欧でも、神様同士でドンパチしたりドロドロの恋愛をしていたりなくらいだし?インドとか中近東も、元々多神教だしねえ?」 「それもそうだ」 湯呑の底が見えてきた辺りで、女は補充した退魔道具を抱えて立ちあがった。 「センちゃんに害を及ぼそうって雰囲気じゃないと思うよ?ただ、けっこう大きいものだし、ここの神様じゃ力が弱すぎて怯えちゃいそうだね。気になったら、話しかけてみれば?」 「ん。あんたのお墨付きがあるなら、相手をしても大丈夫そうだ」 「あはは、買い被りだって。実験台にしているだけかもよぉ?」 女はケラケラ笑いながら、「いつもありがとー」と手を振って、愛車のスバルBRZを走らせていった。 ド派手な赤い車体が田舎道に消えていくと、男は首を鳴らしてコリをほぐした。嫌いな相手ではないが、客と会うのは気疲れがした。 「さて・・・・・・」 庭から家屋を眺め、その周囲もぐるりと見回す。どこからどう見ても、田舎の一軒家だ。瓦葺二階建ての日本家屋で、建坪は七十ほどだったか。一人暮らしには広いが、倉がない代わりの倉庫に使っている部屋もある。さらに敷地は鍛冶場があり、井戸があり、物干し場があり、小さな畑があり、木々が生い茂り・・・・・・全部で二百坪、六百平米はくだらないはずだ。 家の中は使い勝手がいい様に多少リフォームしてあるとはいえ、外見は周囲を田畑と山に囲まれた、いわゆる「田舎のばーちゃんち」のイメージ、そのままの風景がそこにあった。 男は鍛冶師で、歴史的に鍛冶屋は寄り集まって生活圏を作っているが、彼の場合はいろいろな事情で田舎に引っ込んでいた。その最たるものが、彼の作品が美術品や日用品だけではなく、「特殊な実用品」だからだ。 (どうしようか・・・・・・) 敷地の外にいるものは、有する力のわりに遠慮深いらしく、敷地を囲む結界を破ってまで侵入してこようとはしない。もちろん鍛冶場は一番神聖な場所として区切られているが、一応、敷地内もそれなりに清められており、下級の不浄なものは、その結界に引っかかるようになっている。 とはいえ、男が造る時に発する気に惹かれて寄ってくる魑魅魍魎は後を絶たず、鍛冶場に籠っている時は、なにかと外が騒がしい。・・・・・・のが通常だが、ここ最近、鍛冶場に籠っていても外が静かで、自分が鉄を打つ音ばかりが凛々と響いていた。 男はとりあえず家中の神棚に半紙を貼り付けて、祀ってある氏神や鍛冶場の守り神たちに目を瞑ってもらい、必要最低限以外の結界を構成する呪物を取り除いた。これで敷地はほぼ丸裸も同然だが、通常なら突っ込んでくる妖物も、女の言う「珍しいもの」のおかげで、侵入どころかこの辺一帯から一掃されているようだ。 「そこにいるんだろう?どこの誰だか知らんが、姿を見せてくれ」 特別清められていない、生のままの、生暖かい空気が流れる。そよそよと木々の枝が囁いたが、巨大な妖怪が現れる様子はない。 「あんたのおかげで、静かに仕事に打ち込めた。礼がしたいんだ」 「・・・・・・それは、僕のこと呼んでる?」 意外と近くで声がして男が振り向くと、そこには少し戸惑ったような表情の、高校生くらいに見える少年が立っていた。 「っ・・・・・・!?」 「ぁあのっ、そんなに驚かないで?君にとって、僕がとても魅力的に見えるのは、僕にそういう特性があるからなんだ」 驚いて飛びのいたポーズのまま固まっている作務衣姿の中年男に、柔らかそうな亜麻色の髪をした外国人風の少年は、はにかむように微笑んだ。その、キラキラと輝くような美貌と、どうあっても心惹かれる仕草は、普通の人間にはとても思えない。 「敷地に招いてくれてありがとう。僕はオミ。君は・・・・・・センちゃん、って呼んでもいい?」 「え、ぁ・・・・・・お、おう」 にっこりと微笑んだオミに、男・・・・・・センは、全身が総毛立つのを感じながら、かくかくと頷いた。ただモノではない、その強大な・・・・・・巨大すぎる魔性の気に、いままでよく隠していたものだと感心しながら。 座布団にちょこんと座った少年・・・・・・オミは、湯呑を両手に包んだまま、興味深げに半紙を貼り付けた神棚を見上げている。 「珍しいか」 「うん。いままでに入った家にもあったけど・・・・・・なんでここは紙を貼ってあるの?」 「お前さんがいるからだ。神さんが気にする」 「ふ〜ん。神道には、不思議なシキタリがあるんだね」 「・・・・・・・・・・・・」 おそらく、オミは自身が巨大すぎるせいで、祀られている氏神の存在を感じにくいのだ。 (象に子犬を感じろと言うようなものだな) 自分でオミを招き入れておきながらだが、センは額に手を当てて嘆息する。まさかこんなに強大な存在がそばにいたとは、思ってもみなかったのだ。これだけの存在ならば、雑多な魑魅魍魎や下級霊が霧散するのもうなずけた。 「そういえば、自己紹介が遅れたな。俺は鍛冶師のセン。もう知っているかもしれないが、人に害をなす、普通は目に見えないものを滅する道具も作っている」 センはこの道三十年のベテランだが、まだ跡取りはいない。恋人や家族が襲われることを危惧して、結婚もせずにまもなく五十路を迎えようとしていた。そもそもこの才能も確実に遺伝するというものではないし、弟子の候補もおらず、一代限りの鍛冶師として終わるつもりだ。 「オミは・・・・・・なんだってこんなところに?」 センに興味を持って訊ねられるのが嬉しいのか、オミは頬を染めてにこにこと答える。 「とても美味しそうな匂いがしたからここまできたんだけど、センちゃんを見たら、渇きなんて吹っ飛んじゃって・・・・・・なんていうのかな、ずっとセンちゃんを見ていたかったんだ」 「・・・・・・この、おっさんをか?」 「うんっ!」 思わず自分を指さして確認したセンだが、目をキラキラと輝かせ、ちぎれんばかりに尻尾を振っているように見えるオミに、再び額を押さえた。気に入られたというか、魅入られたというか、そういう状態なのだろう。 「そうか・・・・・・。抵抗力のない一般人じゃなくて、退魔刀鍛冶師の中年オヤジがいいなんて、変わった奴だな」 「僕が変わっているかどうかはわからないけど・・・・・・センちゃんは僕に何も感じない?」 そう言って少し困ったような顔をするオミに、センは戸惑わずにいられない。オミの容姿や魔力に称賛は尽きないが、オミに対してどう思うかなど、すぐには出てこない。 「さてな。いまはびっくりしすぎて、感覚がマヒしてるんだろ」 「そっかぁ」 「ところで、オミは外国生まれのようだが?」 「うーん、生まれた時のことは、よく覚えてないんだよね。あちこち放浪して・・・・・・って、いまもそうだけど」 地上でおおよそ人間がいる地域はひとまわりしたというオミの口ぶりでは、人口の光で明るい現代の夜に潜むよりは、堂々と人間のふりをした方がいいらしい。 「たしかに、オミは人間そっくりだな」 「僕は、そういうのに苦労しない種族だから」 嫣然と唇を緩ませて微笑むオミは、白い額にかかる亜麻色の髪を指先で跳ね上げ、ライトブラウンの目を細めた。 「海外の人外には、あまり詳しく無くてな」 「とても古い種族だよ。広く知られている名前は、淫魔、あるいはインキュバスかな」 「い、淫魔か・・・・・・」 それでオミの逆らいがたい魅力に納得がいった。いまはオミが自制しているおかげで、センも理性を保ったまま自由に会話ができるのだろう。 しかし、ただのインキュバスがこれほどの魔力を持っているだろうか。センは不思議に思って首を傾げた。 「俺の先入観というか、偏見で悪いんだが、インキュバスってもっと弱そうなイメージだった。オミは強すぎるだろ」 センの言葉に、オミはニヤッと、クスッの間のような笑顔を見せ、嬉しそうに頷いた。 「宗教上の戒律を破ることなく姦淫を行う人間の都合で生まれたのが、サキュバスやインキュバス・・・・・・夢魔、という存在。そして、僕は淫魔。カテゴリとしては同族だけど、区別する人は、僕のことをもっと直接的に、『ラスト』や『ルクスリア』と呼ぶね」 センは息をのんだまま、口がふさがらなくなった。いわゆるカトリックで言うところの「七つの罪源」のひとつ、『色欲』の魔物が目の前にいるのだから。 |