貴方と一緒にいたいから ―1―


 半地下にあるそのバーは、今夜も静かな賑わいを見せていた。
 冷たい外気は遮断され、種類豊富なビールをはじめとする酒類が、客の体を温めている。
「お待ちどうさま」
「おっ、きたきた」
 ビールのジョッキと酢漬けソーセージウトペンツィの皿を目の前にして、カウンター席に座った冴えない風貌の中年男は頬を緩ませる。
「一人モンは、年末まで仕事で、大変だね」
「うっせーよ。独身はお互い様だろ」
 カウンターの内側で、憮然と言い返した店員は赤毛の青年。彼のフルネームを知れば、この店の客はたいてい驚くだろう。また同時に、彼が気軽に相手をしている中年男のファミリーネームも、青年と同じであった。
「将来を嘱望された若い魔法使いが、いつまでもフラフラして、嘆かわしい」
「おじさん、おじさん。ブーメラン刺さっているけど?」
「おじさんはユーインと違って、ちゃんと研究職に就いているから!」
「ハイハイ」
 はるか昔より連綿と続く魔法使いの大家、エインズレイ一族の会話としては、あまりに情けない。
「真面目な話、いい人はいないのかね? こうやって本家にコネ作っちゃうと、知らない間に婚約者が出来ちゃうよ?」
「いい人ならいるから、ご心配なく」
「あらそう」
 ユーインの言う通り、いい人はいるのだが、不埒な気持ちでいると、どこからともなく天罰が降ってくるので、いまだに一定以上にはお近づきになれていない。さらに、最近は出張があるとか忙しそうで、数ヶ月も会えないでいた。
 ただそれを、目の前にいる中年男、エインズレイ本家に連なる高位魔術師ルボルに言うつもりはない。ルボルはこう見えて、抜け目ない性格をしており、余計な情報を渡すのは危険だった。
 ルボルは実力もあれば、社会的に高い地位だってあるけども、変態的に研究好きなうえに性格に癖があり過ぎて、本家主導のお見合いをやっても女性からお断りされ続けてこの年齢になった、という悲しい現実がある。
「まあ、本家ウチとしても、トランクィッスルにコネができるのはありがたいのよ。あそこは、いくつ伝手があっても足りないくらいさ」
「昔から繋がりはあるんだろ? ラウルさんにそう言われたんだけど」
 ユーインはラウルから、エインズレイ一族が新たな真祖吸血鬼に対して、どのような姿勢をとるのか尋ねられており、その時は答えられない代わりに、伝手を探ると約束していた。そしてその伝手が、目の前にいるルボルだった。
「なくはないけど、ミルド伯爵家も手強いからなぁ……。特に当代は……」
 なにか嫌なことを思い出したらしく、やや目から光が無くなったルボルだったが、ビールをゴキュゴキュと飲むと、気を取り直したように遠縁の甥に微笑んだ。
「まあ、その手強い伯爵の、大事な大事な隠し玉に関することだし、興味は尽きないけどね。若い連中からは色々意見が出て、会議もけっこう紛糾したみたいだ。まっ、最終的には、大長老の鶴の一声よ。むこうから接触がない限り、こちらからは一切、手を出さない。そう決まった」
「へぇ」
 真祖吸血鬼ラウル・アッカーソンは、ユーインにエインズレイ家への接触を頼んだ直後、行方不明になっている。とはいっても、正確な居場所がわからないだけで、彼を知っている者たちは『吸血鬼の修行に行った』と言っているので、おそらく何らかの理由があって、ミルド伯爵が彼を匿っていると思われた。
 しかし、ラウルが姿を消してから、まもなく二年が経とうとしており、ユーインも報告先がいなくて、依頼された情報が手に入ったのに、宙ぶらりんになってしまった。
「真祖がヤバいって言うのは、長老たちの共通認識だ。まあ、伯爵がアレだけヤバいんだから、系譜の祖がどのくらいヤバいかなんて、俺には想像がつかん。真祖から三代目に当たる今の伯爵は、悪魔みたいに頭がキレるから恐れられているんだけど、吸血鬼として力がないわけじゃない。でも人間やめて吸血鬼になったっていう真祖連中に、そういう理性とか知性を期待するのは間違っている。純粋な暴力性能だけで、解決できてしまうんだ。伯爵以上の魔性に、魔法使いとはいえ、人間が抵抗できるはずがない」
 ソーセージを齧ってビールで流し込むルボルは、やはり魔法使いとしてのプライドがあるのか、頭で理解して納得してはいても、少し面白くなさそうだ。
「……『伯爵が保護している真祖に手を出したなら、一族郎党、楽には死ねないと思え。成長した真祖に手を出したなら、死んだ後も苦しむだろうから、せめて同胞を巻き込むな』って言われたわ」
「ヒエッ。でも、ラウルさんは、かなり優しそうに見えたけどな。そうとうヤバい力を持っているっていうのは、同意するけど」
 そこに他の客からのオーダーが入って、ユーインはルボルの前からしばし離れた。
 そして、戻ってきた時、ルボルの顔は引きつっていた。ルボルの隣の空いていたスツールには、身なりの良い黒髪の青年が座っていた。店に入ってきたばかりなのか、夜気の香り漂う冷たい空気をまとっている。
 見慣れない客だとユーインは思ったが、真っ白な肌をした恐ろしいほどの美貌を見て、人間ではなさそうだと納得した。トランクィッスルに行き慣れているユーインは平気だが、魔法使いばかりの場所で暮らしているルボルは緊張するのだろう。
「あ、いらっしゃいませ。ご注文は」
ビールピヴォ
 玲瓏たる声は一言だけで精神がよろめきかけたが、ユーインは自分を叱咤する内心を見せないよう平静を装った。コインと引き換えに、ビールの中でも提示された金額に見合う、一番美味いと評判な物を、背の高いグラスで泡少なめに出す。良く冷えているはずだが、まるで温い水のように赤い唇に吸い込まれていった。
「……エインズレイは賢明な判断をした。長老衆も、まだ耄碌していない様でなによりだ」
「恐れ入ります」
「ふん」
 ルボルがかしこまるところなど見たことがなかったユーインは、目をぱちくりと瞬いた。青年が人間ではないから緊張していたのではなく、ルボルよりも地位が高い者だったようだ。
「ユーイン・エインズレイだな。イーヴァル・ミルドだ。お初にお目にかかる」
「ぇ……えっ!?」
 地位が高いどころではなく、ミルド伯爵家の嫡男だった。ユーインは会ったことはなかったが、伯爵位継承順位第二位であり、ホルトゥス州外の世界各地で起こる異形絡みのトラブルシュートや、当地の権力者との折衝などを、幅広く担当していると聞いている。
 驚いているユーインを眺めていた冷ややかな紫色の目が、無表情から少し和らいだ。
「以前、ゾンビに関する国際レポートを出していたな。よくまとまっていた。捜査に役に立った礼を、まだ言っていなかった。協力感謝する」
「あ、ああ!」
 トランクィッスル教会のクロム神父が、持ち込まれる死者の数が増えていると言っていたのを調査したファイルのことだ。それはクロムを通じてミルド伯爵家に渡されており、ユーイン達が戦ったアンフィスバエナ・ゾンビなどの元凶となった、背後関係を徹底的に潰して回ったのが、イーヴァルだった。
「あれは、クロムに好きに使っていいってあげたものだし、お礼を言われるほどじゃない。でも、役に立ったなら良かったよ」
「……」
 イーヴァルはひとつ頷くと、また元の無表情に戻った。
「ラウル・アッカーソンに関しては、主に伯爵の個人的な感情により、秘匿事項が多い。だが、我がミルド家とエインズレイ家との仲だ。悪いようにはしない、と伯爵は言っている」
「お気遣い感謝します。すぐに、長老たちに伝えます」
 改まった態度を崩さないルボルに、イーヴァルはひとつ瞬くと、もう一度ユーインに向き直った。
「ユーイン、クロム・ラザフォードに関して、重要な案件が進行している」
「!」
「仕事が終わったら、外出の用意をして、ここに行け。最近、会えていないだろう?」
「ななななんんでそんな……ッ!?!?」
 白い指先に挟まれたメモ紙を奪い取るように手に握り込むと、小馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「身辺整理をして、いつでもトランクィッスルに来られるようにしておくように。この案件は、ミルド伯爵が承認している。俺からは以上だ」
 始終尊大な態度で、言いたい事だけ言い終わると、イーヴァルはロングコートをひるがえし、音もたてずに店を出ていった。
「……っぷっはぁ〜。なになに、なんで俺ミルド家の坊ちゃんと会っちゃったの!?」
「必然じゃ?」
「心臓に悪いわ!」
 おかわり、と突き出された空ジョッキを受け取り、ユーインはルボルに次のビールジョッキを渡してやった。ルボルはそれを、一気に半分飲み干した。
「んで、ゾンビのレポートって? そんなの出していたのか」
「けっこう前の話だよ。個人的な話」
 これ以上話す気はないと手を振り、ユーインは仕事に戻ることにした。
「ああ、そうだ。つけてくるなよ。身内だからって、警察呼ぶぞ」
「ひっどい! おじさん、そんなことしないよ!」
 口ではそう言いつつ、ルボルの目が輝いているので、せめて本家にはいい感じに報告しておいてくれと、さらに追加のビールと豚の煮凝りトラチェンカをおごってやった。
「好奇心は猫を殺すって言うよ、おじさん」
「チッ、生意気な……! んんっ、これ美味い。しょうがないなぁ」
 気分よく酔っぱらい始めたルボルを放っておき、ユーインは速やかに退勤できるよう、せっせと働くのだった。