貴方と一緒にいたいから ―2―


 ユーインの仕事が終わるのは深夜をまわった時間だが、イーヴァルに指定された場所に行く前に、一度アパートに戻ってシャワーを浴びることにした。目的地が地元で一番の高級ホテルだという事もあるが、なにより……。
(酒臭いままでクロムに会いに行けるか!)
 という、エチケットなのか気合の入り方なのかわからない問題だ。
 街は華やかなクリスマスを終えて、大晦日を待つ厳かな空気が漂い始めている。さすがに人通りは少ないが、雪が少ないおかげで、深夜タクシーを捉まえることができた。
(こんな時間に起きているかな?)
 行けと言われたので、誰かしらいてくれると思うのだが、そういえば待っているのがクロムだとは言われていなかったような気がする。
(あれ? 俺、騙されたか!?)
 そう気づいたときには、タクシーはホテルのポーチに滑り込んでおり、ユーインはぎくしゃくとした動きで支払いを済ませて、エントランスに向かった。
(えぇっと……)
 メモに書かれた部屋番号を探してエレベーターに乗り、降り立った階の様子で「あっ」と気付いた。明らかに、ドアの数が少ない。
(スイートルームのフロアだ)
 たしかに、あのイーヴァルが一般の部屋を取るとは思えない。ユーインは足早に指定された部屋を探し、軽くノックした。
『はい』
 中から男の低い声が聞こえたが、クロムの声ではない。
「ユーイン・エインズレイだ。呼び出されてきたんだが」
 ガチャッとドアが開いて迎え入れてくれたのは、どこかで見たことのある、黒髪の青年だった。
「おつかれー。入ってくれ」
 上背があって逞しく、精悍な顔立ちに金と青のオッドアイをしている。こんなに印象的な色合いなのだから忘れるはずはないと記憶を掘り起こしているうちに、ラグジュアリーな内装のリビングにいた、もう一人のたれ目な青年と合わさって、やっと思い出した。
「あっ、トランクィッスルの学校で会ったな」
「ビンゴ〜」
 ソファでだらけきっていたたれ目がアゼル、迎えてくれたオッドアイの方がレルシュ。二人とも、ラウルに会った時に、そばにいた気がする。
「イーヴァルの側近だったのか」
「側近なのはナッツ。俺たちは、ただの雇われ」
「パシリなのは変わんねーけどな」
 アゼルがまぜっかえして笑うと、レルシュは心底嫌そうに顔をゆがめた。イーヴァルの下に付くのは不本意だが、給料がいいとかそういう事情で雇われの身に甘んじているのだろう。
「イーヴァルは?」
「坊ちゃんなら、ナッツと一緒に先に帰ったよ」
「俺たちも、これでお役目終了だ」
 アゼルとレルシュが帰り支度を始めると、物音に気が付いたのか、寝室のドアが開いた。
「ユーイン!」
「クロム!」
 久しぶりに会ったクロムは、相変わらずほんわかとした笑顔でユーインを見上げてくれる。
「じゃ、俺たちはこれで」
「トランクィッスルまでは、そこの魔法使いのお兄さんに護衛してもらって」
「わかりました。ここまで、ありがとうございました」
 三人で話が進んでしまい、一人だけついていけないユーインだが、クロムをトランクィッスルまで送るなんて御褒美なので、徹夜明けだろうと構わない。
(イーヴァルが言っていた『外出の用意』って、このままトランクィッスルに行くってことか)
 レルシュとアゼルが部屋を出ていくと、クロムは少し申し訳なさそうな表情をしつつも、機嫌よくコーヒーを入れ始めた。
「寝てなくて平気?」
「ええ。正直、疲れてはいるんですが、目がさえてしまって。ユーインは、お腹空いていませんか? ルームサービスがありますよ」
「大丈夫」
 クロムはユーインと一緒にソファに座ると、少し考えるように首を傾げて、コーヒーカップを両手に包んだ。
「えぇっと、どこから話せばいいかな。その前に、こんな夜中に呼び出して、ごめんなさい」
「いや、仕事終わったところだし。全然かまわないよ。それで……最近忙しかったこと?」
「はい。……俺、神父をやめるかもしれません」
 その爆弾発言に、ユーインは自分の口が開いたままになっているのを感じたが、しばらく声が出なかった。
「は?……え? やめる? 神父を?」
「はい」
 クロムは力なく微笑んで、首を振った。
「上手く説明できる自信がありませんが、とにかく、そういうことになりそうなんです。ただ、俺はこのまま、トランクィッスルに住むつもりで、伯爵さまにも了承をいただいています」
「じゃあ……その、原因は?」
「俺の憶測も混じっていますが、イーヴァルさんがこういう事だろうと整理したことを、お話しますね」
 クロムによると、端的に言えばクロムが強くなりすぎたということらしい。
 クロム自身には制御不能とはいえ、ラウルを無抵抗のまま撃退したこと然り。ユーインと一緒に戦って、アンフィスバエナ・ゾンビを倒したこと然り。何年にもわたって、ほぼ大過なくトランクィッスル教会を維持したことも、十分に評価される。
「それで、俺を中央に呼び戻そうという話があったんです。俺はトランクィッスルにいたかったし、後任の問題もあるのですが……」
 人間にとって、異形が集うトランクィッスルは確かに警戒すべき土地であり、そこに力のあるクロムがいてくれる方がいいに決まっている。ところが、教会の内部事情により、元々いたクロムを政治的な手駒として確保したい一派や、強くなりすぎたクロムを脅威とみなす一派などの争いが激化し始め、クロムの立場の危うさや、もっといえば身の危険を、いままで以上に強く感じるようになってきたのだ。
「俺にも教会内のしがらみがありますから、指令には従わなくてはいけません。ただ、このまま身動きが取れなくなってしまうと、俺が後見保証人になっているファムたんまで巻き添えにしてしまいます。それだけは避けたいと考えていた時に、たまたまセンさんに会って、それなら伯爵さまに相談するべきだって言われたんです。トランクィッスル教会の人事については、伯爵さまも無関心ではないだろうからって」
 そこでクロムはミルド伯爵にコンタクトを取り、こういう事情で、自分はトランクィッスルに残りたいし、なによりラダファムの安全を確保したいのだが、なにか良い知恵はないだろうか、と相談したそうだ。
「返ってきた答えは、簡潔でした。『それなら、神父をやめてしまえばいいじゃないか』って」
 クロムはその時を思い出したのか、クスクスと笑う。
「俺は教会でずっと生きてきましたから、いきなりやめても、生きていく手段がないって言ったんですけどね。伯爵さま、何て言ったと思います? 『こんなに金の生る人間がいるかね。うちにおいでよ』って」
「金の生る?」
「聖水です」
 あっと声が出たユーインは、思わず膝を叩いていた。たしかに、クロムの聖水はオークションで高値が付いた。
「伯爵さまが、聖水の販売を独占するんですって。とりあえず、公社という形にして、俺は専務理事になるそうです。もちろん、理事長は伯爵さまですし、運営人員は伯爵さまが揃えるそうですけど」
 唸るほど金があり、自治権を持つミルド伯爵家だからできることだ。クロム以外の職員にしても、ラダファムをはじめ、各地で保護した聖性持ちの孤児などを中心に雇っていくそうだ。教会に持っていかれるよりも、目の届くところで働かせていたほうがいいという目論見は、十分に理解できる。
「墓地の管理は教会がするという取り決めがあるので、俺の手を離れますが、いままでやっていた、この町に迷い込んだ人間の救助も自由にやっていいそうですし、なにより、お給料もちゃんと出ますから、安泰です!」
 胸の前で両手を打ち合わせ、クロムはにこにこと満足げだ。
「すごいじゃないか。それで、その準備や折衝の為に、最近忙しかったんだね」
「はい。本山にも、還俗を願い出てきたところです。神父をやめても、肩書が無くなるだけで、俺が持つ能力が消えるわけではありませんから」
 これも伯爵さまの受け売りです、とクロムは頬を染めて言う。
 還俗に関しては、かなり思い切ったことであり、クロムも悩まないわけではなかったのだが、ラダファムがあっさりと大丈夫だよと言ったらしい。
「クロムを見守ってくれている神様は、そんなことでクロムを見離したりしないよって。クロムが苦しむよりも、きっと喜んでくれるよって。そう言ってくれたんです」
 俺知ってるもん、とラダファムは平然と言い放ったらしい。
「ああ……それは、俺もそう思う」
 普段から天罰をバリバリ落とされているユーインは、ラダファムに心から賛同した。あの神様が、神父をやめたくらいでクロムを見放すものか。
「ふふっ。ユーインも、そう言ってくれるんですね」
「俺も、身に染みて、よく知っているから……」
 真面目に頷くユーインがツボに入ったのか、クロムはしばし笑い転げていたが、息を整えると、神妙に切り出した。
「それで……伯爵さまから、ひとつ条件と言うか、護衛を雇うように言われたんです。二十四時間、フルタイムのボディーガードですね。いままでは、ファムたんがずっといてくれましたが、前々から学業に専念してもらいたいと思っていました。それで、あの……これは俺の我儘なんですが……」
 顔を赤くしてもじもじするクロムに、ユーインは期待と嬉しさで頬が緩むのを止められない。
「ユーインに、お願いできたらと……でもっ、こんなことにユーインを巻き込んで……」
「ありがとう、クロム!!」
 ユーインはクロムが言い終わる前に、身を乗り出して了承した。
「その役目、ぜひ俺にやらせてよ。任せて!」
「あ……ありがとうございます。お願いします」
 頬を染めて嬉しそうに微笑むクロムに、ユーインは天にも昇る気持ちで頷いた。
(クロムと四六時中一緒にいるという事は、つまり同棲! ありがとう、伯爵! ついでに、神様もありがとう!)
 だからといって天罰が下らないわけではないということを、この時のユーインはまだ知らなかったが、年が明け、春になる前には、トランクィッスルへ移住する準備を済ませるのだった。

 これが、『やればできるのにフラフラしている』と一族の中で評されていたユーインが、トランクィッスルにて定職に就いた経緯である。