愛の味 ―1―
ここ数日、オミは嫌な気配がすると言って買い物に出ることすら渋っていたが、さすがに食料が底をつき始めたのでセンが買い物に出ると申し出た。 「ダメ!センちゃんだけで行かせるのはもっと危険!僕も一緒に行った方がマシ」 蕩けるように甘い美貌を膨らませて、オミはぶーたれたる。オミは溺愛しているセンの言うことを何でも聞くが、センもこのスーパーデンジャラスビューティーに迫られて抗えたことなどない。 「いったい何があるんだ?お前を嫌がらせるものなんて、この世に片手で足りるだろう?」 「そりゃあね、一番嫌なのはセンちゃんが悲しむことだよ。だけど、それよりも下で嫌なものは、けっこうあるよ、僕」 センにぴったりと張り付いたまま、オミは毛を逆立てた野生動物のように周囲を警戒しまくる。普段の瀟洒で優美なオミを知っているマルシェの店主たちからは驚かれたが、センにもどうしようもなく、苦笑いを浮かべるしかない。 さっさと買い物を済ませて帰ろうとしたが、やはりオミの勘は当たった。買い物袋を抱えたセンを背中にかばったオミの前に、暗い青紫色のタキシードを着こなした男が現れた。 「ほう。それがおぬしの 「ベルフォート!!何の用!?」 あの温和なオミが噛みつくように吠えた相手は、綺麗に整えた口髭を歪めて微笑む。 その笑顔に、オミを見慣れているセンでも、内心ほうとため息をついた。オミがいまどきの美神だとすれば、対峙している男はさしずめ、重厚なアンティークジュエリーのハイエンド。そのスタイルの良さと男くさい美貌は、モノクロ映画のスターを思わせる。 ベルフォートは癖のある黒髪に金のメッシュが洒落た壮年の男性で、シャツの白がよく映える小麦色の肌をしており、落ちくぼんだ目と高い鷲鼻が高貴なイメージを与えた。中肉中背ながら、意志の強そうな顎と豊かな眉が、実に堂々とした雰囲気を添えている。しかし異様なのはその目で、センはすぐに燃え滾る眩しい炉を連想した。 「近年珍しい怒りの波動を感じたと思えば、ルクスリアの若いのがキレたらしいと聞いてな。興味がわいただけだ」 先日オミが、大聖堂を壊滅状態に追い込んだことだろう。センはやりすぎるなとくぎを刺したが、かえって規模が広がってしまったようで、人外の恋人をコントロールする難しさを噛みしめた。 「誰なんだ?」 「あれは・・・・・・」 「お初にお目にかかる、稀有な人間。我は『 センはあっと息を飲み、オミが苦々しい表情を崩さない理由に思い至った。相手はオミと同族異種で、さらにオミよりも力の強い個体なのだ。 「同じ罪源を食べようなんて、すごい悪食だよ」 「はっ、我を『 ベルフォートの燃えるようなきらめきを放つ目に見詰められ、センは腹の底から湧き上がる憤りを感じるとともに、それが相手のやり口なのだと理解して、必死に感情を押さえようとした。 「センちゃん!?」 「平気だ、オミ。奴に乗せられるな。あいつはお前を怒らせたがっているんだからな」 センは大人しくオミの背に隠れてベルフォートの視線から逃れ、深く肩で息を吐いた。それでも首筋に汗がにじみ、卑劣なベルフォートに対する怒りが次々と頭を突き上げてくる。オミに護られているからこの程度ですんでいるのだと思うと、無謀に殴りかかって行かない奇跡に感謝しかない。 「ふははっ!なかなか練られた精神だ。おぬし、見かけよりもだいぶ年を取っているのではないか?」 「おかげさんで。俺の番が可愛いものだから、日々若々しく過ごしているよ」 「そうだろう。干乾びているよりは瑞々しい方が、 「黙れ、ベルフォート・・・・・・!!」 オミの額から優美な二本の角が生え、シンプルだが品のいい服が消えていく。素肌に青黒い文様が浮かぶその姿に、センは必死で縋った。 「オミ!!」 「ちょっとぉ、厄介事起こさないでくれる?」 「それ以上やりあうなら、二人とも成層圏の外に出ろ」 気だるげな女の声と、冷ややかな男の声が、一触即発の現場に冷風を差し込んだ。 「お嬢様に・・・・・・若様!どうして・・・・・・」 ベルフォートの背後と、センたちの背後に、昼間だというのに華やかな闇が立っていた。伯爵家の子供たちがそれぞれの高級車から降りて、「厄介事」を挟み撃ちにしているようだ。 「あら、意外と早いお出ましだこと」 「そっちこそ、わざわざ出てくるとは思わなかった」 側近らしい男に日傘を掲げさせたエルヴィーラが、珍しく不仲な弟に苦笑いを浮かべて見せた。 「お父様の命令だもの。仕方がないわね」 「そうか・・・・・・では、やはり」 「ええ、そうよ。あれが、『憤怒』よ」 腕を組んでツンと顎をしゃくるエルヴィーラに、イーヴァルの目が複雑な色合いを見せてベルフォートに向けられた。 「眷属どもよ、何用だ?」 「それはこっちの台詞だ。住人にいらん喧嘩を売るなら、いくら罪源でも、この町から出て行ってもらう」 「そうよ。アンタ、ただでさえ伯爵に嫌われているんですもの」 吸血鬼は『憤怒』の支配下にある。二人の抗議は無謀にも見えるが、それを押してでもベルフォートとオミの衝突を回避させなくてはならない義務があった。そして、センにも、その努力義務があると、イーヴァルの深い紫の目が睨む。 「オミ、落ち着け」 「・・・・・・・・・・・・」 「街中でその格好になるな。オミのエロい姿を見ていいのは俺だけだ」 「ハイ!」 いい返事と共に角が引っ込み、服が着られる。もちろん、いきり立った『色欲』の象徴も、細身のジーンズの中に収まった。ある意味、理性を取り戻したオミは、エルヴィーラに質問した。 「ねえ、お姉ちゃん。なんでベルフォートは伯爵に嫌われてるの?」 普段から高飛車なエルヴィーラだが、力があって顔のいいオミには割と愛想がいい。ルージュを塗った唇を歪めて、すんなり理由を教えてくれた。 「こいつは自分の都合で、エサだった人間を生きながらえさせ、用なしになったからって殺したのよ。その人間は、この町に最初に住んだ人間で、お父様と懇意だったの。私が生まれる、ずっと前のことらしいけどね」 「ああぁ・・・・・・」 理解したオミは、目だけで「失敗したねー」とベルフォートを見やったが、当人は何の痛痒も感じていないらしく、涼しい顔を崩さない。 「だからなんだ。それに、我は与えていた力を引き上げただけで、とどめをさしたのは、あれを構っていた奴自身だろうに」 「手を尽くしても衰弱死するだけなのを、当人の意志で生き血を捧げた、と聞いているが?」 「遺書も残っているのよ。義理堅いわよねぇ」 子供たちには、惑わされないように、父から痛みと共に正しく伝えられているようだ。それだけ心が通っていた相手を、相手の望み通りに、誰かに殺されるくらいならと喰い殺さねばならなかった二代目の心痛は計り知れない。当代の伯爵が『憤怒』を嫌っているというのもうなずける。 「わたくし、お父様ほどおセンチじゃないけど、アンタのやり方は好きじゃないわ。お気に入りはたくさんあるけど、誰かに手出しされるのなんてまっぴらですもの」 エルヴィーラはいつもの不遜な態度を崩さず、声も落ち着いて揺らぎがない。この場についてから、ずっと『憤怒』の精神影響を受けているはずなのだが、さすがとしか言いようがない。 「我の獲物と勝手に戯れていたのはむこうだ。そもそも、罪源とはそういうもので、好んで気に入った獲物から食事をとる。そこの『色欲』も同じだ。だから、それを生きながらえさせているのだろう?」 ベルフォートの失礼な物言いに、オミの気配が一気にレッドゲージに突入する。またビキビキと角が生えてきそうなのを、必死に堪えているようだ。 「言わせておけば・・・・・・!」 「人間よ。我らにとって生餌が死ぬ時というのは、寿命ではなく、欲が涸れた時だ」 「貴方と一緒にするな、ベルフォート!誰がそんなことの為に・・・・・・って、センちゃん?あの、違うからね?そんな顔しないで!!お願いだから!!違うの!!」 「あぁ・・・・・・うん」 「誤解だからぁああああ!!!」 オミは泣きそうな顔でセンに抱き着いて懸命に弁明するが、センはどんな顔をすればいいのかわからない。たしかにオミはセンを若返らせたが、性欲自体は今も以前もたいして変わらない、などと真っ昼間から口にしたくはない。それに、センはすべて納得済みでオミの側にいるのだ。 「自分がオミの食餌だってことぐらい、わきまえているぞ?」 「そうだけどそうじゃないの!その辺の人間とセンちゃんじゃ、全然違うの!!恋人にそんなことしないもん!!」 「自爆しているぞ、『色欲』。他の人間にはそうやっていると」 「黙れと言っているだろ、ベルフォート!!やっぱりこいつは一発ぶん殴って・・・・・・!!」 「止めろ、オミ!『憤怒』も住人を不安がらせることを言うな!」 イーヴァルの鋭い声が飛び、はぁーっとため息が続く。他の住人に被害が出ないように出動したのだろうが、力の格が違いすぎてなんともやりように困ると、その態度が物語る。 「俺は別に、事前申請があれば、オミの都合で生きるのも死ぬのも構わない」 「センちゃん!?」 「俺が生きている間は、オミは他の人間を喰わない。その事実だけで十分だ」 自分の気持ちとすれ違っていると感じて悲しげな顔をするオミを、センは笑って撫でた。 「俺が番だからとか、そういうのは偶然だ。俺はオミが好きで、オミは俺のことが好きで、俺がいる間は俺だけを喰いたいと言っている。それ以前のことや、まして俺が死んだ後のことなぞ、知った事か。勝手にしろ」 センはオミの白くて柔らかな頬をむにむにと指先でつまみ、わかったかと念を押した。そして、ベルフォートをしっかりと見つめる。 「俺の生きている間は、オミは俺だけのものだ。俺には何の不満もないし、罪源の食事作法にも文句はない。あんたこそ、こんなところで油を売っていないで、自分のエサを探しに行けばいい。番は、かなり美味いらしいぞ?」 センはオミを抱きしめ、うっとりと微笑んでみせた。いくら相手が罪源の魔物だろうと、こちらも罪源の魔物の番なのだ。ただの人間と侮ってもらっては困る。 「オミ、久しぶりに入れさせてやる」 「ぇ・・・・・・えっ!?」 信じられないというオミの顔が、すぐに歓喜にとって代わり、センはくつくつと喉で笑った。 「・・・・・・俺の気分が変わらないうちに、帰るぞ」 「うんうんっ!」 買い物袋ごとセンを抱きしめたオミの腕の中で、転送される風景を眺めやったセンは、小さくうなずいたイーヴァルに微笑んだ。自分にできるのはここまでと、センはあとを彼らに任せることにした。 |