『渡り鳥』にて −1−


 プロンテラの繁華街でも、殊更如何わしい通りにある一軒のゲイバー。ごく小さく『ツークフォーゲル』と店名が書かれた黒塗りのドアの前には、入店者のチェックをするバウンサーが立ち、一見や紹介のない者は入れない高級店であることをうかがわせた。
 小洒落た店内は、狭すぎず広すぎず。カウンターもあるが、上品な布を張ったソファのボックス席もある。ダーツのスペースはあるが、ダンススペースはない。カジュアルすぎず、ごてごてと脂ぎった高級さでもない、しっとりと落ち着いた雰囲気の店だ。
 一応、質素ながら宿を併設しており、酔い潰れた人間や、お持ち帰りにも夜更け過ぎる場合などが使っている。ただ、あくまで酒場のオプションであるため、かなり値が張るのは否めない。
 給料のよい人間の遊び場かと思われがちだが、実は客の大半が荒くれな冒険者だ。彼らは自分自身に使う金をたくさん持っており、新しい物、より良い物、よりスタイリッシュな物への嗅覚が敏感だ。
 そんな新進気鋭な人間は、うらぶれた安っぽく小汚いバーや、飾り立てて身動きが取れないようなクラブには行かない。

 開店から二時間、『ツークフォーゲル』は五割程度の入りで、今夜も早くから賑わいだしていた。
 そんななか、店からも客からも一目置かれる男が、店のドアをくぐってきた。彼がカウンター席に一人で納まり、バーテンからグラスを受け取るまでの間に、ざわめきから一度ならずため息が零れおちる。
 けっして目立つ美形ではないし、見上げるような体躯でもない。ドームカートを牽いたアルケミストで、癖の強い緑色の髪は、いっそ手入れをしていないのではないかと思えるほどの無秩序さだ。眉間のしわや不機嫌そうに結ばれた唇が無愛想で、近寄りがたいことこの上ない。
「久しぶりだね」
「あぁ。・・・ちょっと遠出していた」
 バーテンの穏やかな声に答える、低くややハスキーな声に、どこか疲れたような響きがあるのは錯覚だろうか。
 彼が注目されるのは、容姿でも強さでもない。ベッドの中でのことが、やたらと上手いと評判だからだ。特定の相手はおらず、今夜は誰が彼を独占できるのか、自分を見てくれないかな、イケメン爆発しろ、などという心の呟きが、周囲の口から思わず溢れてしまっても、当人はまったく気にしていないようだ。
「あーっ!サカキくんいたーっ!!」
 突然の叫び声と同時に、スツールに座っていたアルケミストの体が傾ぐ。
「なんだ、ジョッシュ。いてーな」
「痛いのは俺のほうだよぅ!何日寝込んで動けなかったと思ってんの!つーか久しぶりね?あれ先月?その前だっけ。二ヶ月ぐらい会ってないよねー」
 グラスが揺れて低くなった声をものともせず、姿の見えない男の声は、相変わらずサカキに圧し掛かっているように感じられた。
「寝込んだ?」
「そぅだよぅ、サカキくんが紹介してくれたモンクさん。あんなデカチンコ、いくら俺でも入るわけないでしょー!?」
「あー・・・ラダファムのことか。どうだった?」
「だから、死ぬかと思ったよ!なにあれ、フィストファック?ってぐらいよ!?」
「顔はよかっただろ?」
「顔はね!大満足ですよ、本当にありがとうございます!でもデカ過ぎ!おしりと腰が痛かったのぉおおお!!」
「あーそうかそうか。よかったな」
「きィイイっ!!」
 流して取り合わないサカキの肩と頭が、軽く揺れている。ジョッシュに揺すられているのだろう。
「何にします?」
「あ、サカキくんと同じの、ダブルで」
「かしこまりました」
 バーテンがグラスを取りにいくと、サカキのとなりのスツールが動いた。ジョッシュの姿が見えないのはスキルを使い続けているからだが、当人は疲れないのか不思議だ。
「それで、ヒールはしてもらったけど、結局丸二日寝込んだの。相手もいないのにラブホに逗留とかアホみたいだったよ。従業員に真面目に医者呼びますかとか聞かれて涙でそうだったし!」
「ほう。ジョッシュでもそんなにキたのか。普通にやられた相手は再起不能だろうな」
「俺がガバガバみたいに聞こえるからヤメテ?ファムさん上手で優しかったよ〜。デカすぎるのだけが問題」
「ずいぶん褒めてもらったな」
「ファムさん!?」
「ジョッシュもいい締りでよかったぞ〜」
 割り込んできた第三者の声に、ジョッシュの悲鳴が上がる。
「こんばんは、サカキ」
「よぅ、レィゼ」
 連れだって店に入ってきた二人組みは、両方ともモンクの僧衣を着ており、同じく金髪だった。そして、同じモロク果実酒をオーダーする。
 愛嬌のあるそばかす顔を優しく微笑ませたレィゼはサカキのとなりに、そしてレィゼより頭ひとつ分は背が高く、合わせて幅も厚みもあるラダファムが、ジョッシュの隣に座った。
 レィゼの背が低いわけではない。ラダファムの方が、見上げるような巨漢なのだ。ラダファムは目隠しをしていて素顔はよくわからないが、周囲の人間よりも肌の色が濃く、ルーンミッドガッツ王国以外の血が流れているように見受けられた。
「そんなに驚くなよ。一応アサシンだろ」
「何が驚いたって、ファムさんがいま俺の尻を触っている事実だよ。見えてんの?」
「普通、椅子にはケツをつけるものだろ?」
「そーだけど・・・って、揉まないでっ!ファムさんのえっち!!」
 何もないように見える空間でラダファムがむにむにと手を動かせば、ジョッシュの声が抗議する。アサシンのスキルは人の死角に入るために姿が見えないはずだが、目隠しをしているラダファムには関係ないようだ。
「今夜はジョッシュと?」
「まだ決めてない」
「そう。・・・サカキ」
「ん?」
 レィゼの拳ダコのある手が伸び、サカキの絡まってもつれた髪を、指先で丁寧に梳いた。
「また一人で、どこかに行ってただろ?」
「・・・ああ」
 それだけで何も言わないサカキを、レィゼは仕方なさそうな苦笑で済ませた。サカキがふらりと姿を消し、何週間も音信不通になることは時折あったが、その後は決まって、疲れたような雰囲気でここに座っている。
「無事に帰ってきてくれて、よかったよ」
「・・・・・・やっと、人間の世界に帰ってきた気分だ」
 それはどういうことかと聞きたかったが、レィゼは開きかけた口を閉ざした。サカキは話すよりも、いまはぼんやりと人に囲まれていたい・・・言うなれば、人の温もりに甘えていたいのだ。それを感じ取ることができるレィゼだからこそ、気難しいサカキの相手を、誰よりも長く続けていられるのだ。
「だからぁ〜、僕はもう大人なの!会員証あるでしょー。あ、サカキくんたちいたー!ちょっとぉ、僕のこと証明してよ〜」
 聞き覚えはあるが、変声期のようなかすれまじりの声に、四人はそろって出入り口のほうを見た。そこにはシーフの職服を着た、砂岩色の髪と藍色の目をした美少年が、バウンサーに止められて困った様子でいた。
「・・・ケイか?」
「ケイだよね?うわぁ、おめでとう!」
「えぇっ、いつ転生したの!?おめでとー!!」
「おめっとー!しかしちっさくなったな」
「えへへ。ありがとー」
 通常のシーフとは少し色の違うシーフハイの職服を着ていて、おそらく、十二か十三ぐらいだろう。笑うと特徴的な犬歯が見えるケイは、少し前までジョッシュと同じアサシンだったはずだ。
 困惑するバウンサーに手を振り、ケイは極自然にラダファムの膝の上に腰掛けた。
「あー、よかった。ここに逃げ込めなかったらどうしようかと思ったよ」
「なにかあったのか」
 これまた極自然にケイの頭を撫でるラダファムに、ケイは満足そうに微笑みながら頷いた。
「うん。ついさっき、そこで「ネグレクト」に絡まれたんだ。さすがにこの格好じゃ、三人も囲まれると僕でも逃げるしかないでしょ」
「ネグレクト!?」
 ぎょっとしたように四人の視線を集め、ケイはジンジャーエールで喉を潤しながら、もう一度頷いた。
 冒険者ギルドのひとつである「ネグレクト」は、男を性的な意味で襲うことで悪名高いギルドだ。バー『ツークフォーゲル』に出入りするようなゲイはもとより、まったくのノーマルな一般男性をも見境なく襲うので、良識ある同性愛者からはイメージダウンの元凶として、実被害を受ける危険のあるギルドとして、特に嫌われていた。
「よく逃げられたなぁ。俺はハエの羽でも使わないかぎり、シーフの状態で逃げ切る自信ないよ?」
 感心するジョッシュに、ケイは悪戯っぽく、しかし満面の笑みで答えた。
「うん。だって、僕は「オル・ゴール」と仲のいいサカキくんのお手付きだぞって言ってやったんだもん」
 他の三人が唖然としている中で、サカキが盛大に酒を噴いた。