闇を慕う月 −1−


 プロンテラの南城門近くにある広場は、狩りを終えた冒険者達が、その日の収穫を分け合う相談場所として、常にいくつかのグループがたむろしていた。
 そして、マリエスが参加した臨時グループも。
「はい、お疲れ様です」
「ありがとうございます」
 代売りを請け負った赤毛の女アルケミストは、にっこりと微笑んで、マリエスに分け前の金と・・・周りのメンバーから見えないように、青ポーションを渡した。
「あ・・・」
『さっきはありがとう。よかったら、使って』
 純朴に頬を染めた彼女のwisも、やはりどこか恥ずかしげにもじもじとした印象を受ける。
 PTに慣れておらず、周りの動きについていけずに、一人モンスターに囲まれた彼女を、マリエスは身を挺してかばった。その礼にと、彼女は店で売られていない、アルケミスト手製の回復剤をマリエスにくれたのだ。
『ありがとうございます』
『すごく嬉しかったの。あの・・・ううん、一緒になることがあったら、またがんばろうね』
 晩熟おくてな彼女らしく、かなり控えめな表現に、マリエスは無表情なゴブリン四男の仮面の内側で苦笑した。
『はい、また一緒に行きましょう』
 真っ赤になってぎくしゃくと頷く彼女に、マリエスは悪いと思いながらも軟らかく嘘をつき、そして自分の嘘には、冷ややかな侮蔑を向けた。
 こんな器用なマネができるようになったのも、付き合う人間に影響されたからだろう。
 マリエスは「エリゼンタの青ポーション」とラベルが貼られた瓶をしまいこみ、一時だけの仲間たちに手を振って別れた。
 そのまま大通りに並ぶ露店をひとつずつ覘き歩いたが、ぼさぼさな緑色とふさふさな茶色の頭が並んで座っている一角だけは、迂回して通り過ぎた。数えるほどしか会ったことが無くても、いくら顔を隠していても、マリエスが微かに纏った同類の空気を、鋭敏な錬金術師は嗅ぎ分けるに違いない。
 彼らにとって、自分達は遠い過去の、不快な悪夢の欠片に他ならない。
 マリエスは必要な買い物を済ませると、蝶の羽を握り締めた。華やかな首都の喧騒が、一気に遠ざかった。

 篝火の灯された巨大な洞窟は、幻想の輝きをちりばめた空気でむせ返るようだ。ここでは、過去も未来も、夢も現実も、吟遊詩人の詩の様に儚く、踊り子の微笑のように曖昧だ。
 マリエスはコモドに降り立つと、やっと帰り着いた安堵に、膝が震えた。しかし、まだ隠れ家までの数百メートルは、歩きにくい砂浜だ。
 そっと息を整えてから、マリエスは聖堂騎士らしく、凛と背筋を伸ばして歩き始めた。
「おっかえり〜」
 ぽつんぽつんと離れて建つコテージのひとつに滑り込むと、籐編みの椅子に寝そべるように座っていた男が、ひらひらとマリエスに手を振ってきた。
「ただいま、ケイ・・・え?」
 飾りシェードがついた柱と一体になったカウンターテーブルを回り込んで、マリエスは目を疑った。ケイがその長い脚を投げ出し、踵を交差させて乗せているのは、足を乗せるための家具、オットマン・・・ではなかった。
「・・・なんですか、ソレは?」
 彼はむやみやたらに殺人をするような冷酷な人間ではないが、他人を甚振いたぶり、その苦痛に満ちた表情を見るのが大好きだという点において、やや常人の趣味を逸脱している。
「ん?デリヘルだけど?」
 マリエスという恋人がいながら、出張風俗の青年を裸に剥いてうずくまらせ、足蹴にしているのだ。
「・・・・・・はぁ」
 呆れるというか、怒りたいというか・・・。だけどそんなところもいいんだとか思っているあたり末期だと、マリエスは自分のことながら思う。
「はい、ご注文のお遣いしてきましたよ」
「サンキュサンキュ」
 砂岩色の髪をした、優雅な物腰のアサシンクロスは、マリエスから買い物袋を受け取りつつ、にんまりと微笑んだ。
「じゃ、シャワー浴びてきます」
「あれ・・・?」
「え?なにか、買い忘れたものでもありましたか?」
 むーと口元を難しげにゆがめて、ケイがマリエスを見上げてくる。
「いや・・・ちょっと期待してたのに」
「甘えているんですか?汗臭いから後にしてください」
「マリィの匂いならいいのに」
「ヘンタイですね」
「知ってるよ〜」
 へらへらっと笑った顔に、マリエスはずいっと青ポーションの瓶を突きつけた。
「青ポ?」
 受け取ったケイの藍色の目が、ラベルを見つけて固まった。
「臨時に行っていた証拠とでも言いましょうか?同じPTになった方からいただいたんです。MHで私が彼女をかばって差し上げたお礼だそうですよ」
 そう言い捨てて、マリエスは蔦草のブラインドで仕切られた自室へと引き上げた。
 大きな肩当や重い鎧を脱ぎ捨て、それまで付けっぱなしだったゴブリン四男の仮面を外す。しらけた無表情は、自分の心情に合って、思わず鼻で笑った。
 一応死んだことになっているケイが、知人の多いプロンテラを堂々と歩くわけにもいかず、買い物や交渉はほとんどマリエスの役目だった。そして、今日に限っては臨時に参加してくるように、という命令付きだった。
 別に、どのPTでどこのダンジョンへ、などという条件はない。ただ、他人に混ざって戦闘をしてくればいいのだ。
(この格好でね)
 姿見に映ったのは、長く青い髪を後ろでゆるく一括りにした、若いクルセイダーの青年。優しげな大きな目や甘い頬のラインのせいで童顔だが、修練を積んだ身体は逞しく、上背も幅も厚みも、騎士として申し分ない。
 ただ、服を脱いだその下には、きつく縄が食い込んで、擦れた素肌が少し赤くなっている。鎧の上からではわかりっこないが、体を動かすたびにマリエスはその戒めを感じざるを得ない。
 だが何より、マリエスに仮面の下で唇をかませたのは、いまだ腹の中に埋まっている男性器を模した玩具だ。本物ほど大きくないことが救いだが、もしもマリエスにライディングスキルがあったなら、ケイはこれをしたままペコに騎乗しろと言いだしかねない(実際、残念そうな顔をしていた)。どんだけ腐ったご趣味をしているのやらと、さすがに涙目になった。
「本当に、死ぬかと思いましたよ」
 呟いて、ため息をつく。まだ正気を保ってケイと付き合っていられる自分が、本当に不思議だ。
(もっとも、もう狂っているのかもしれないけど・・・)
 マリエスはもう一度ため息をついて、疲れた体を浴室に運んだ。

 夜の街で、ケイは誰に聞いても、必ず両手の指に入る有名人だった。砂岩色の髪と藍色の目をした、にこやかで優雅な物腰のアサシンクロスは、とにかく美形で、礼儀正しい真性ドSだと。
 いつだったか、彼にクリエイターのサカキを紹介されたが、彼もまた十指に入る有名な男だった。単に顔がいいとか、上手いとか、それだけの話ではない。優しく体を合わせているのに、手が触れられない幻であるかのような、忘れられない印象を受けるのだそうだ。誰もが恋焦がれ、「もう一度」と願ってしまう・・・。
 そんな罪作りな男に、床上手と賛辞を贈ったケイだったが、彼らが再び顔をあわせることはないだろう。
 あの日から、ケイはマリエスを連れて隠遁生活を送っていた。ギルドを裏切ったのではなく、雇い主の依頼に忠実だっただけなので、名もない冒険者として生きていくならば、ケイがギルドや騎士団から追われることはないだろうと、腕のいい情報屋がこっそり教えてくれた。
 マリエスは、情報屋の従兄弟にケイの居場所を教え、ケイの仕事を妨害したことを、泣きながら謝った。ケイが友人を殺めることなく、無事に生きて戻ってくることだけが、マリエスの望みだった。運河の水でびしょ濡れになったまま、ケイは「もういい」と抱きしめてくれたが、マリエスは数年たった今でも、自分の判断が正しかったのか自信が持てずにいた。いや、時を経るごとに、その疑念はますますつのっていた。
 ケイもサカキも、命を落とさずに収まった。だが、ケイのアサシンとしての生き方を、マリエスの裏切りで歪め、台無しにしてしまったのではないか。ケイの誇りを踏みにじったのではないか・・・と。
「・・・・・・」
 そうマリエスが思い悩む姿すら、ケイのご馳走になっているのだとしたら、もう何も言うまい。尤も、本気でマリエスを恨んだのなら、その場でパートナーを解消するなり、さっくりと殺しているかもしれない。
(愛されてはいるみたいだけど)
 マリエスは縄の結び目を探り、するりと解いた。手足まで縛められているわけではないので、コツさえつかめば、視界の届かない背中越しでも縄抜けは誰にでもできる。
 緊縛痕にヒールはかけない。ひりつく場所にしみないよう、水とぬるま湯の間を取った水温で、マリエスは汗を洗い流した。
『マリィ』
 頭の中に響いたケイの声に、マリエスは濡れて顔に張り付いた髪を撫で上げた。
『なんです?』
『さっきのデリヘルさぁ、職業わかった?』
『は?・・・いえ、脱いだ服までは見ていませんでした』
 冒険者がアルバイトで身体を売っていたのだろうか。
『ふぅん・・・そっか』
 妙に納得したようなケイの声音に、マリエスは嫌な予感がして、気が進まないながらも聞き返した。
『売春が本職じゃなかったのなら、なんの職業だったんです?』
 くすくすとケイが笑う気配に、マリエスは自分の予想が当たったと確信した。
『まさか、クルセイダー・・・ですか』
『ぴんぽーん!ああ、気付いたら、もうちょっとなんか反応があっただろうになぁ』
 やっぱり鎧のままの方がよかったかなぁ、などと明るく恋人をいじめる声に、マリエスは膝を屈し、いまだ腹の中に埋まっている物を締め上げてしまった。