一振りの刃 −7−


 寒さに震えて目を覚ましたはずだが、激しい苦痛に気を失う。何度か繰り返しているうちに、そう理解できたが、だからといって物事が進展することもない。
(・・・・・・)
 痛いのはわかるが、どこがどう痛いのかわからない。寒いのは服を着ていないからだろうが、体が倍に膨れたような熱を感じる。
 喉が渇いたという意識はあるが、臓腑が物理的に受け付けないと拒絶している。
(いま・・・)
 奇妙なことに時間が気になったが、それを知ってどうするべきなのか思い出せない。
 右側がよく見えない視界で、白い物が見えた。しばらく考えて、自分のベッドを覆うシーツだと思い至った。ただし、自分がいるのはベッドの上ではなく、床の上だということが不満だ。
(あぁ・・・)
 たぶん、無意識のうちに、這いずってここまで来たのだろう。目の前に柔らかなベッドがあるのだが、そこへ体を持ち上げることは、いまのヴェルサスには大地を持ち上げる事と同じくらい難しい。
(・・・・・・)
 また少しぼんやりして、ヴェルサスは瞼を下ろした。
 輪姦されるのもしんどいし、そのたびにどこかしら壊すのはやめて欲しい。体は物と違って、すぐに治るものではないのだ。そういえば、水をぶっ掛けられたような覚えがあるが、その後床を拭いたのだろうか。まったく奴らときたら、少しは後先を考えて行動できないのだろうか・・・。
「・・・・・・」
 同じ後先を考えない行動でも、あの黒髪をなびかせた男の槍に貫かれるのだったら、どんなに本望だろうか。あの不敵な猛獣の求めならば、いくらでも知恵を絞ろうに・・・。
 ヴェルサスは酒場で額を出したことを思い出し、小さく微笑んだ。・・・とても、疲れていた・・・。


 おそらく、アスマとジェーナスの出現は、ヴェルサスにとっても予定外だったのだろう。
 ヴェルサスは、家族の安全を胸に、同じ立場のギルドメンバーの脆弱さを背負い、自分のプライドと責任感を足枷に、自分で選んだ茨道を歩んでいたに他ならない。
 あの夜、酒場でクラスターが揶揄したように、ヴェルサスには他の道もあったはずだ。たとえば、わざと負けて砦を明渡す、とか・・・。もしかしたら、サイハが自分に実力が無いことを悟って、無茶なGvを諦めたかもしれない。
 しかし、それを是としなかったヴェルサスを、クラスターは好もしく思った。
 たしかに、砦を失ったサイハがまた癇癪を起こし、ヴェルサスたちを苛むかもしれない。だが、その可能性を天秤にかけても、サイハをGvという、他人を巻き込むイベントから遠ざけることができたはずだ。
 だが、ヴェルサスは自分の能力を振り絞り、「グロワール」を勝利に導いてきた。それは、なにを犠牲にしても知らしめたい、明らかな自己の発露でもある。ヴェルサスはサイハからの苦痛に耐えながらも、クラスターたち他のギルドと競い合うことに、たしかな手応えと喜びを感じていたはずだ。
(クソッタレ・・・)
 それを、アスマとジェーナスが台無しにしたのだ。
 真に周囲を気にかけず、自分の欲を優先させた罰が当たった、などとは言えまい。ヴェルサスはたしかにサイハに逆らえる立場ではなかったし、求められてその能力を発揮したことを、誰も批難できるはずが無い。
 そして、砦を取得しておきながら、自分の能力を誤魔化して、わざと砦を明渡すような中途半端な男を、クラスターが欲しがるはずが無い。
(・・・・・・)
 ヴェルサスの書類を見たゆうづきは眦を釣り上げ、同じくソラスティアも食い入るように精読していた。
 砦の布陣にヴェルサスの名が無い。それは、自分だけ逃げ出すという意味ではない。
(振り向くな、自分のことだけ考えろ・・・か)
 ギルドメンバーに伝えられた指示の真意は、『ヴェルサスの事は気にするな』ということだ。
(サイハを道連れにするか、それとも・・・)
 次のGv、つまり今日まで、自分の命がもつかどうかわからない。・・・そういう意味だ。
 Gvタイム十五分前。いつも以上にピリピリとした空気を出すクラスターに、「Blader」のメンバーは誰も声をかけない。
『クラスター、ヴェルサスさんを見つけたわ!』
『どうだ、生きているか?』
 頭に響いたゆうづきの声が震えている。なにか言おうとは思っているようだが、上手く言葉にならないらしい。
『うん・・・・・・ひどい』
 かろうじて聞こえたその一言だけで、クラスターの大して丈夫でない堪忍袋の緒を噴き飛ばすのは簡単だった。クラスターはwisのチャンネルを切り替え、初めて話す男に繋げた。
『「グロワール」のサイハだな?「Blader」のクラスターだ』
 慌てているであろう気配を感じながら、クラスターは返事を待たずに続けた。
『砦も「グロワール」も、俺がいただく。逃げるなよ、腰抜けの癇癪坊主』
『なんだ・・・っ!・・・ぁ・・・っ!!』
 バードの癖に寂びない、ただ喧しいだけの声を遮断するように、クラスターはwisを切った。
「・・・・・・」
 手綱を引き、槍をしごくクラスターの横に、同じく無言でペコペコを立てたのは、青い髪を逆立てたナイト。そのサーコートの胸に、二振りの剣を交差させた、「Blader」のギルドエンブレムが光っている。
「ユウがヴェルサスを見つけた。すぐに戻ってくる」
「そうか。・・・書類のメモにもあったが、あの布陣がきっちり敷かれている可能性は低い。アスマとジェーナスが、もっと手前に突出しているだろう。司令塔のヴェルサスさんがいなければ、後ろも引き摺られて崩れる」
 シリウスの予想が、クラスターにはよくわかる。ヴェルサスのように地形を有効利用されると、非常に攻めにくい。だが、血気ばかりが盛んな素人は、とかく前に出たがる。それだけで、今回は「Blader」に有利だ。
「関係ねぇ。三人ともぶち殺してやる」
「少しは俺にもよこせ」
 クラスターは思わず隣を見て、無駄に沸騰していた頭が適度に冷やされるのを感じた。シリウスは一時的にでも「Blader」に入ったこの状況を、意外と楽しんでいるのではなかろうか。
 クラスターは何か言い返そうとしたが、響き渡るアナウンスに拍車を蹴った。
 Gvタイム開始である。

 契約どおりに集まったはいいが、なかなか仕切りが始まらず、「グロワール」に雇われた傭兵達は顔を見合わせ、ひそひそと囁きあっていた。
 いつも穏やかな笑顔で物腰柔らかだが、仕事はてきぱきと進めるヴェルサスが、いつまでたっても現れない。そのかわり、なにやらマスターのサイハと懇意らしい、新顔のナイトとアサシンが、大きな顔をしている。「グロワール」のメンバーに聞いても、こわばった表情で「よくわからない」というばかりだ。
 ついにヴェルサスがサイハに愛想を付かせたのではないか、いやいやいつもの癇癪で追放されてしまったのだろう、しかしそれではこれからの作戦指揮は誰が執るのだ・・・?
 なにやら不穏な予想が立てられる中で、誰かがシリウスとゆうづきがいないことに気付いた。もうすぐGvタイムだというのに、あの二人がいないのはおかしい。
 これは何かあったと、ざわめきが大きくなりかけたとき、奇怪な叫び声が上がった。
 視線が集まったのは、顔を真っ赤にして怒鳴っているサイハだ。またか・・・とそれぞれの会話に戻りかけて、サイハの叫び声の内容が耳についた。
「ふざけるな!!!!ブレイダーめッ!!「グロワール」は俺のだ!!聞いているのか、こらッ!!!クラスタァーッ!!!」
 傭兵たちの視線が素早く交わされる。いままでクラスターが、Gv前にサイハを挑発するようなことはなかった。
「宣戦布告だ」
 誰かの呟きが、その場にいた全員の背に鳥肌を立たせた。おそらく、自分達が知らない間に、一連の出来事がクラスターを激怒させる結果になっていたのだろう。
「クラスターが・・・」
「サイハのヤツ、なにやらかしたんだ・・・」
 金で雇われた以上、全力を尽くすことにやぶさかではないが、「Blader」に・・・元「オル・ゴール」のクラスターに目を付けられてまで尽くしてやる義理は無い。
 そのとき、青銀色の髪を結い上げたプリーストが走ってきて、エンペルームに響き渡るような晴れ晴れとした声を上げた。
「みなさん、お待たせしました!最初の布陣はいつもどおりですが、今日はみなさんが思うように戦ってください!!」
 それがなにを意味するのか、歴戦の傭兵は素早く頭を働かせる。これまでの不可解な要素が、ぴたりとくっついていくようだ。「誰」と戦うか、それが、各々に任された。同時に、「砦の死守」という前提も崩れた。
 だから、ジェーナスとかいう大男が、何の権限か知らないがついて来いと言うのも、アスマとかいう挙動不審なアサシンが、ぶつぶつと悪態をついているのも気にならなかった。
 誰が誰と戦うべきなのか、そして自分は誰と戦うのか・・・。
 ギルドメンバー相手に自分を守れとぎゃーぎゃー喚くサイハの声に、Gvタイム開始を告げる時計の音が重なり、輝けるエンペリウムが現れた。