一振りの刃 −6−


 体中の酷い痛みにくらくらと眩暈がして、何度も吐気が襲ってきた。たが、ヴェルサスは出来る限りをしようとペンを握り締めた。
「ヴェルサスさん・・・」
「少し休んで・・・真っ青だよ」
 サイハたちの目を盗んでヴェルサスの部屋にやってきたのは、プリーストのユエレイとマーチャントのカスケ。ヒールをかけてもらい、いくらか楽になる。高価な痛み止めも差し出されたが、それは懐にしまった。
「ありがとう、大丈夫だよ。・・・二人に、頼みがある」
 名簿をファイルから抜き取り、たった今書き上げた書類と一緒に、カスケに託す。
「シリウスさんとゆうづきさん、それからゆうづきさん経由でソラスティアさんに、契約の中止を報せてくれ。ただし、サイハには誰を削ったかは悟られるな」
「え・・・」
 二人が驚くのも当然だ。傭兵を・・・しかもGv慣れした強い人を削るのは、「グロワール」にとってかなり痛手だ。ヴェルサスは体の痛みを堪え、ほろ苦く微笑んだ。
「アスマとジェーナスが入ったら、二人削れというサイハの命令だ。このお二人なら、いまの「グロワール」の状況を理解していただけるだろう。・・・頼む」
 ヴェルサスの部屋に近付いてくる煩い気配に、カスケは慌てて書類をバッグに仕舞い込み、ユエレイと音を立てずにドアのそばに移動した。
「Gv用の買い物ついでに・・・奴らに悟られるな。それから、みんなに伝えてくれ。『振り向くな、自分のことだけ考えろ』・・・いいね?」
 囁くヴェルサスに、やや顔色を青ざめさせつつも、カスケとユエレイは無言で頷いた。そして、乱暴に開かれたドアと肉壁の隙間から、速度増加をかけられたカスケが、まずすり抜けるように駆け出して行った。
「おぉ?」
「なんだ?」
 面白半分に伸ばされた腕をヴェルサスがさえぎり、その隙にユエレイが脱出していく。ヴェルサスの言いつけどおり、けっして振り向かずに。
 顔を殴られる強い衝撃に、ヴェルサスはよろめいて本棚にぶつかった。
「なにをコソコソしている、ヴェルサス!?」
「っ・・・。彼らはギルド運営の仕事をしているだけです。邪魔をしないでいただきたい」
 ヴェルサスはぐわんぐわんと揺れる頭を押さえ、搾り出すように声を上げた。カスケたちには虚勢を張ったが、服の下はすでに痣だらけで、骨も何本か痛めているらしく、全身が悲鳴を上げている。
「はぁ?ギルドの仕事だってよ。サイハ、どんな仕事だよ?」
 髪をつかまれて見上げたのは、赤毛を撫で付けた巨漢のナイトと、酷薄そうな目をした緑の髪のアサシン。しかし、ヴェルサスはすぐに床に叩きつけられ、その姿も視界から消えた。
「ぐぁっ・・・!く、は・・・げほ・・・ぁあああッ!!」
 背中を重い足に踏みつけられ、みしみしと骨がきしむ。息が出来なくて喘ぐが、こんなときでも悲鳴が外に漏れないか気になってしまう。
「知るか。こいつが勝手にいじくりまわしているだけだ」
 それはサイハが知ろうとしないだけだと文句を言いたいが、いまのヴェルサスにそんな余裕はない。
「あの二人はどこに行った?あぁ?」
「・・・はぁっ・・・、買い、物に・・・Gvに使う、・・・ポーション・・・。はぁっ、いつもの・・・買い物、です」
 重みは背中からどいたが、今度は頭を蹴りつけられ、このまま摩り下ろされるのではないかと、おかしな妄想が浮かぶ。
「どいつもこいつも朝からいねぇし、どうなってんだ?砦ってこんなに人がいねぇもんなのか」
「みんな・・・狩りに行っています。ギルドの、レベルも・・・上げなきゃ・・・なりません」
 というのは建前で、とにかくこの三人から遠ざかっておけという、ヴェルサスの密かな指示だ。
「・・・こいつ、生意気だな・・・」
 生気を感じない平坦な声に、ヴェルサスはジェーナスの暴力とは違う恐怖を覚え、身を震わせた。
 蹲りたい体を無理やり起こされ、目の前によく切れそうな短剣が差し出される。
「・・・咥えな」
 言われるままに、刃を舌に乗せ、カチカチと震える歯で噛み締める。
「アスマ、そいつが口をきけなくなると、スキルが使えなくて困る。アサだってSPいるだろ」
「ああ、セージってなるヤツが少ねぇんだったな」
「・・・ちっ」
 短剣をつかんでいた手が離れ、そのまま口を切り裂かれる恐怖は通り過ぎたが、いつその都合が翻るかわからない。縮み上がる臓腑を理性で無理やり押さえつけたヴェルサスだったが、ふとアスマの暗く沈んだ青い目とあった。
「生意気」
 ずぶ・・・という奇妙な感触に次いで、焼けるように熱い痛みがヴェルサスの右目を襲った。
「ぅ、ぎ・・・ぁあああァアああああアッ!!!!」
 音階を外した悲鳴が自分のものだと、ヴェルサスはどこか遠くで認識した。
(ごめんなさい・・・)
 家族、家庭教師、魔術アカデミーの教諭、ギルドのみんな・・・そして、クラスター・・・。自分に期待してくれた色々な人に、ヴェルサスは泣きながら心で謝った。
「はぁ!?無理じゃねぇの?」
「ばぁか、意外と入るんだよ」
「・・・っぁあ・・・ぅあああっ!はぁっ・・・ぃあ、あああアア・・・ッ!!」
 自分が無力なばかりに応えられないことが、体を殴られ、陵辱される痛みよりも、ヴェルサスには辛く、悲しかった・・・。


 暖かなよい天気に包まれながら、クィジウとアルフォレアは、露店で賑わうプロンテラの中央大通りを連れ立って歩いていた。
 クィジウはそもそも製造志望だったのだが、紆余曲折の末、対人の道に入っている。だから、最初から製薬一本のアルフォレアが少しうらやましいとは思うが、ちょっとしたことで倒れたり、一次職でも難無いモンスターを倒すことが精一杯だったりして、申し訳なさそうにしている顔を見ると、その苦労が他人事とは思えず胸が詰まった。
 それに、狩りにアルフォレアを連れていくと、ポロポロとレア品が落ち、自分の感覚がおかしくなってくる気がするほどなのだ。おかげで装備に不自由は無いし、アルフォレアは気配りもまめで、なにより作る飯の美味さは、文句のつけようが無い。
 アルフォレアが得な性分といえばそうだし、クィジウの僻みだといわれても言い返せない。そんなことをひっくるめても、この二人は商人系同士、意外と上手くやっていた。
「あれ・・・あの子泣いてる?」
 アルフォレアが言わなければ、クィジウは気付かなかっただろう。いや、そこを歩いている通行人も、露店を開いている商人たちも、気付かなかっただろう。なぜならば・・・正しくは「泣きそう」だったからだ。
「ぅん?あれ「グロワール」じゃないか」
「え、そうなの?」
 Gv中はベースにいるアルフォレアは、そのエンブレムを知らなくても不思議ではない。
 クィジウはふと、今朝クラスターから聞いた話を思い出し、おどおどとした雰囲気のマーチャントに近付いて行った。
「おぉい」
「ひぇっ・・・」
 驚いたマーチャントの少年は、声をかけてきた人間のエンブレムを確認して、目にいっぱい浮かべた涙をこぼした。
「う・・・ひっく・・・」
「お、おいっ・・・なんだ、いきなり!?」
「どうしたの?僕ら何もしないよ?」
 しゃっくりをあげながらも一生懸命に涙を拭い、その場から逃げようとしないマーチャントに、クィジウはもしやと首をかしげた。
「・・・誰かに言いたいけれど、俺らには言えないことか?」
 マーチャントがうんうんと大きく頷いたのを確認して、クィジウはすぐに自分たちのマスターに報せた。
 クラスターがやってくる頃には、プリーストのユエレイが現れ、同時にシリウスへも連絡が飛んだ。街中ではまずいと宿屋の一室に場所を移し、最後にシリウスが入室したとたん、カスケという名のマーチャントが、声を上げて泣き出した。
「どうした、なにがあった!?」
 シリウスが抱きとめてやるが、カスケの怯えた泣き声は震えて言葉にならない。
「カスケ・・・まさか、あれを聞いたのか」
 蒼白な顔色のユエレイに、カスケがうんうんと頷く。
「なにがあった?」
 壁に背を預けて腕を組んでいたクラスターの低い声に、ユエレイもカスケと同じくらい震えながら、喘ぐように小さな声で答えた。
「・・・叫び声です。昨日から、ジェーナスとアスマがうちにきて・・・。俺たちを送り出した後・・・ヴェルサスさんの、悲鳴が・・・っ」
 「Blader」同士で素早く視線が交わされ、事態が思わぬ方向へ動いたことを確認する。
「お願い・・・助けて・・・!」
 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、カスケがシリウスにしがみついた。
「ヴェルサスさんが死んじゃうよぉっ!助けて!!」
 カスケが差し出した書類を受け取ったシリウスは、さっと目を通した後、無言でクラスターに差し出した。
 サイハの名で出された契約解除通知、「グロワール」メンバーと、契約中の傭兵の名簿・・・そして、砦の布陣。
「・・・やろぉ」
 そこに、ヴェルサスの名は無かった。