一振りの刃 −2−


 ヴェルサスには、母と兄と姉がいる。父はヴェルサスが幼い頃に、事故で死んだ。
 父が亡くなってから、母は親戚のツテを頼りに、フェイヨンに土地を持つ資産家の家に、幼子三人を連れて住み込みで働き始めた。
 子供三人は、みな生来物静かな性質だったが、さらに努めて母を煩わせまいと、ひっそりと息を潜めて成長した。性格の悪い資産家の子供にいじめられることも、黙って耐えた。
 姉は器量よしの上、裁縫が上手く、まだ十代のうちに良縁があって、大きな呉服屋に嫁入り出来た。
 兄も器用で、家畜の世話から炭焼きまでこなし、資産家の土地管理に携わっている。最近、働き者で愛嬌のある人を嫁にもらった。
「・・・・・・」
 末弟のヴェルサスも働く予定だったのだが、屋敷に来る家庭教師に頭のよさを認められ、冒険者に登録することで進学を果たした。
 ゲフェンの魔術アカデミーでもよい成績を出し、ゆくゆくはジュノーで研究職に就くか、首都の士官アカデミーに進むかと、教諭たちも頬を緩めていた。
「・・・・・・」
 現実は、そう上手くいかないものだった。魔術アカデミーは卒業できたものの、その先の進路をヴェルサスが決めることは出来なかった。・・・母や兄たち家族を盾に取られては、否と言えるはずがない。
「ヴェルサスです。失礼します」
 ノックをして、返事があってからドアを開ける。体を滑り込ませるまでに一呼吸入れるのは、物が飛んでくることがあるからだ。クッションなどという可愛いものではない。鉛筆立てや本、陶器の水差しならいい方で、刃物や楽器が飛んでくることなどざらだ。
「・・・・・・」
 今回は物が飛んでこなかったが、予想通り、部屋の中は酷い荒れ具合で、戦闘狂どもが走りぬけた通路よりも破壊されているのではなかろうか。
 部屋の主の名はサイハ。ヴェルサスの五つ下で十八歳だが、とにかく酷い癇癪持ちで、それは子供の頃から変わらない。むしろ、体が大きくなった分、暴力に訴えることが多くなったように思われる。
(それでも、馬鹿力でないだけまし・・・)
 殴られればたしかに痛いが、Gvでぶつかり合う騎士や悪漢たちに比べれば、楽士の拳など蚊に刺されたようなものだ。ただし、楽器を振り回されたら、さすがに避けるか防ぐかしないと、命が危ない。
 サイハは資産家の次男坊ではあるが、家の助けになるような商才も愛想もない。地元で盛んな弓の嗜みはあるものの、狩りで生計を立てられるような腕はない。
 だからといって、取り立てて歌や演奏が上手いわけでもない。かろうじて声量はあるものの、商売道具の楽器も大事にしないし、よくバードの試験に受かったものだと、不思議がる人間の方が多いくらいだ。
「今週の収支報告です、マスター」
 そんな侮蔑はおくびにも出さず、ヴェルサスは報告書を差し出した。
 振り向いてヴェルサスを睨みつけるサイハの、扁平な顔のなかで、唇だけがやけに血色がいい。くしゃくしゃとした腰のない髪は青く、目は黒い。
 収支報告書なんか見たくもないと怒鳴りつけたいが、ヴェルサスに「マスター」と呼ばれる心地よさが、自分を寛大で偉大な人間に見せたい欲求と合わさり、躊躇わせている。それが態度や表情から透けて見えるので、ヴェルサスはサイハを転がす容易さを感じながらも、同時に、こんな男にこき使われる自分に情けなさを感じていた。
「遅い!」
「申し訳ありません、マスター」
 怒鳴るサイハの甲高い声はまったく寂びず、いかに歌の修練を怠っているかがうかがえる。
「さっさと片付けろ」
 自分で片付けろカス、と心の中では思っても、ヴェルサスは割れた茶器の破片に気をつけながら、まずは楽譜や本を拾い上げていく。
「できれば、収支報告書に目を通していただきたいのですが」
「いらん!」
「ですが・・・」
「口答えするなッ!!」
 ガツンと床を蹴るサイハに、何を言っても無駄と諦め、ヴェルサスはいつもどおり、報告書をファイルに綴じこんだ。
 実は、ギルドの運営はかなりの赤字を計上しているのだが、それをサイハが把握しているかどうか不明だ。彼のポケットマネーが尽きれば家にせびるのだろうが、彼の兄君や親父殿がうんと言うのかどうか・・・。
「ルース、なんで俺を守らなかった!?」
「は・・・?」
 ルースというのは、ヴェルサスの愛称だ。家族にだけ呼ばれたい名を、サイハは馴れ馴れしく使ってくる。そのことだけでも嫌なのに、また突飛な発言にうんざりした。
 砦で「Blader」にサイハが倒されたことについてだと頭ではわかっているのだが、理不尽な言いがかりにヴェルサスも腹が立つ。この自己中心的な我侭男に、理論的に説明したとて、受け入れるはずもない。だが、せめて当たり前の理由を言ってやらねば気が収まらない。
「僕はLPを切らせるわけにはいきませんし、マスターを守る術も持っておりません」
「槍が飛んで来たら身を挺してかばうべきだろう!」
「・・・・・・」
 怒るな怒るなと、腹の底で呪文のように唱えるほうに力が入り、口から言葉を発することができない。
「俺はマスターだぞ!」
「・・・そう思うのなら、せめて僕の後ろにいてください。そうすれば、マスターは僕の体を盾に出来ると思います」
 できるだけ怒りで声が震えないように、できるだけ冷淡な調子にならないように、物腰柔らかく「お願い」をするが、皮肉にしか聞こえないのはしかたがないだろう。
「俺に指図するな!お前が動けばいい話だ!!」
「・・・申し訳ありません、マスター」
 サイハには、ヴェルサスの努力はおろか、皮肉さえも通じない。怒りが天辺を通りすぎて、ヴェルサスはもはやどうでもよくなってきた。
 ヴェルサスが口をつぐんで部屋を片付け始めると、サイハはベッドに大の字になり、ヴァイオリンの弓を振り回してばんばんとベッドを叩く。大変喧しい。
「クソッ!ブレイダーが!ブレイダーがッ!!なんであいつらはこの砦ばかりを狙ってくるんだ!」
「・・・・・・」
「答えろ、ルースッ!!」
 ヴェルサスは仕方なく、小さくため息をついて、自分の考えを述べた。
「・・・「Blader」はまだ規模が小さく、名を上げたいと思っているはずです。それには砦の所有が一番効果的で、自分たちでも十分狙える場所を選ぶのは当たり前です。他の砦を守るギルドに比べ、わがギルドは比較的狙いやすい脆弱さを持っていますから、狙われるのでしょう」
「うちが弱いだと!?」
 傭兵に頼らねば砦を維持できない「グロワール」を、本当に強いとでも思っていたのだろうか。いや、サイハは思っていたのだろう。
 ヴェルサスはいい機会だと、本当のことを言った。
「「グロワール」より「Blader」の方が、はるかに精強です。現在「グロワール」が砦を維持していられるのは、たまたま、比較的守りやすい地形の砦であった事と、傭兵の皆さんががんばってくれているからです」
 実際、あの「オル・ゴール」から分派した「Blader」相手に、よく持ち堪えていると思う。他のギルドの厚みも脅威だが、「Blader」の突破力は桁違いだ。毎週この砦にいられることに、ヴェルサス自身がびっくりしているぐらいなのだ。
 今日の戦闘の様子も思い出されたが、視界に飛び込んできた細長い影の軌跡に、ヴェルサスはとっさに腕を上げて顔面をかばった。
「っ・・・」
 カラン・・・と床に落ちたのは、ヴァイオリンの弓。恐ろしいことに、ヴェルサスのグローブが裂けて、その下の皮膚はわずかに血をにじませている。弓の硬い端が額に当たったが、もしも手で防いでなかったら、顔面がざっくりと切れていたかもしれない。
「ヴェルサスッ!!お前はどっちの味方だ!?」
「!?」
 いったいこれまでの発言のどこに、「グロワール」でなく「Blader」を味方とする発言があったのか、ヴェルサスにはさっぱりわからない。思わず絶句してしまったが、怒りで顔全体を赤くしているサイハに、思考角度を変えることが必要だと気がついた。
(あぁ・・・)
 相対的な敵味方、ということではない。ただ単に、サイハがその情報を気にいるか気に入らないかだけの問題のようだ。「Blader」の方が強いという「事実」は、「サイハ」の味方ではない、ということらしい。
(くだらない・・・)
 どうしてこんな人間に仕えなければならないのか、その答えはすでに出ている。家族のためだ。
 つかつかと詰め寄ってきたサイハを無感動に見下ろし、その平手が自分の頬を打っても、ヴェルサスは口答えをしなかった。
「跪け!俺はお前のマスターだぞ!!」
 ヴェルサスは大人しく跪き、髪をつかまれる痛みにやや眉をひそめたが、目の前に出されたモノを舐めさせられる苦痛に比べればたいしたことはない。
「咥えろ!・・・ひひひっ、いい眺めだなっ!!」
 頭の上から降ってくる下卑た笑いを聞き流し、ヴェルサスは臭い男根を咥えて奉仕した。
(くだらない・・・)
 家族に害を及ぼさせないため、ただそれだけだ・・・。