若葉の頃に−1−


 ようやく温み始めた風に、高い梢がさわさわと揺れている。
 緑溢れるフェイヨンの森の中を、アルフォレアはホムンクルスのバニルミルトと一緒に、えっちらおっちらとカートを牽いて歩いていた。
 一応、カートブーストなるスキルは持っているのだが、その辺に生えているキノコや草を刈りながらだと、かけなおすのがだんだん面倒になってくるのだ。大きな光るナマズのような形態になったバニルミルトは、主人を煩わせることのない大人しい子で、主人を手伝ってキノコや草をぽこぽこと叩いてくれる。
 べつに、何か用があるわけでもない。Gv用の製薬は昨日済ませたし、今日は皆それぞれに予定があるので、上級狩場に付いて行けないだけだ。
「はぁ〜、よっこいしょっと」
 見晴らしの良い広場までやって着て、半ば土に埋もれた倒木に腰を下ろす。
 その辺にヘビがいたり、狼がばうばう吠えていたりするが、こちらから手を出さない限りは襲ってこない。主にアカデミー生などがうろつく、ごく初級の狩場だ。ただ、賑わっていたのはだいぶ前の話で、いまは閑散としている。
「・・・っ!・・・ぇいっ!」
「わぁ〜、懐かしいなぁ」
 過疎った狩場でも精進している若人がいるらしく、線の細いソードマンの少年が、やや武器に振り回されながらも、一生懸命にウルフと渡り合っている。アルフォレアは弁当を広げようとしていた手を止め、しばらくその様子を眺めていた。
 しかし、戦っている仲間に吸い寄せられるように、他のウルフ達も集まってきてしまい、噛み付かれた少年剣士は悲鳴を上げた。
「ポーションピッチャー!!」
 思わず駆け出して白ポを投げたはいいが、ハエの羽を握りつぶしたらしい少年の、大きく見開かれた目と合った。
「あ・・・やばい」
 攻撃目標を失ったウルフ達が、デコに冷や汗を浮かべたアルフォレアに向かって群がってきた。

 淡い青色の髪にピンク色のアカデミー帽をかぶったソードマンが、大きな青い目にいっぱいの涙を浮かべ、息を切らせて駆け戻ってきたのを、アルフォレアのほうが驚いて見詰めた。
「はぁっ、はぁっ・・・あのっ・・・はぁっ、すみませんでしたっ!!」
「いや、あの・・・」
「おれ、人がいたの気がつかなくて・・・勝手に逃げちゃって・・・」
「あー・・・あのね?」
「守りたくてソードマンになったのに・・・助けてくれた人に押し付けちゃって・・・っ!おれ・・・っ!」
「あー、ちょっと落ち着こう、ね?」
 ぺこぺこと腰を折るほど深く頭を下げる少年の頭から、アルフォレアはアカデミー帽を取り上げ、びっくりして見上げてきた可愛らしい顔を、むにゅっと両手で挟んだ。
「落ち着きましょう、ね?」
「はぅ・・・」
 いくら純製薬型だからといって、三次職がウルフに囲まれたぐらいで転ぶわけがないのだ。一緒に戦ってくれるホムンクルスもいることだし。
「いやぁ、今時礼儀正しい人じゃないですか。ギルド見てMPKしたのかと疑った僕の方こそ謝らないと」
「ギルド・・・?」
 きょとんと首をかしげる少年から、ぐぅう〜と聞こえた。
「あっ・・・」
「よかったら、お昼ご飯一緒に食べよう。お弁当あるんだ」
「え、でも・・・」
「いいんだよ〜。そそっかしい恋人が忘れて行ったから、二人分あるんだよね。腹が減っては戦はできぬだよ」
 恐縮する少年剣士を手招きして、アルフォレアは最初に弁当を広げかけた倒木に腰掛けた。

 アカデミー生の少年はイシュアと名乗り、アルフォレアのジェネティックという職が、クリエイターのさらに上位職だと聞いて頬を赤らめていた。きっと、三次職の人間としゃべるのが初めてなのだろう。
 おにぎりをぱくつき、唐揚げや野菜オムレツを頬張るイシュアの食欲に、アルフォレアはまた懐かしい気分に浸った。イシュアは余程お腹がすいていたのだろう。ぺろりと弁当を平らげ、デザートのフルーツミックスも綺麗に食べ終えた。
「ご馳走様でした。お腹いっぱい〜」
「おそまつさまです〜。育ち盛りだね」
「あの、何かお礼を・・・」
 生真面目なイシュアの気遣いがくすぐったくて、アルフォレアはクスクスと笑った。
「いいんだよ〜。僕も駆け出しの頃、お腹がすいて行き倒れていたのを、師匠に食べさせてもらったんだ。だから、今度はイシュア君が立派になった時に、お腹をすかせている人に食べさせてあげればいいと思うよ」
「は・・・はいっ!」
 アルフォレアは、イシュアの真っ直ぐな、純粋な目がまぶしく感じられた。まだ十代と思われるイシュアの前途には、洋々と未来が広がっているのだろう。
「あの・・・アルフォレアさんは、どうしてここに?製薬の材料集めなら、おれ手伝います!」
「アルでいいよ。ううん、ただの一人と一匹ピクニック。ここに来ると、初心を思い出すんだよねぇ」
「初心、ですか・・・」
 まだ若く、今現在が初心であろうイシュアにも思うところがあるのか、やや神妙な顔つきになった。
「そう。ギルドに入ったばっかりの頃、公平するのにレベルが足りないからって、ここでスパルタ壁育成されてねぇ」
「え・・・」
 イシュアの表情が固まってしまったが、アルフォレアにしたら、いまはもう笑い話だ。
「あははっ。僕、こう見えてまともに一人で戦ったことないんだよ。転生三次職ですって言っても、ずぅっと壁育成とお座り・・・いわゆる養殖ってヤツだね」
 いきなり「養殖育ち」と言われて戸惑っているのか、それとも「養殖」自体を知らないほど初心うぶなのか、言葉が見つからない様子のイシュアに、アルフォレアは伸びをするように大きく息を吸った。
「自分の脚で歩かなかった道に、後悔はないよ。そもそも、冒険者になった当時、僕には初心なんてなかった。イシュア君のように、誰かを守りたいとか、冒険者になってなにをしたい、という目的がなかったんだ」
「それじゃあ、どうして・・・」
「生きるためだよ。僕、家にいられなかったんだ。だから冒険者になって、一人でやっていこうと思っていたんだ。だけど、現実は厳しくてねぇ〜」
 DexとLukしか数値が上がっていない冒険者証を見たサカキに怒鳴られたことを思い出し、アルフォレアは苦笑いを浮かべて短く刈った赤毛頭をかいた。
「そんな時に目標をくれたのが、僕の師匠と、いま所属している生産者ギルドの、さらに上の対人ギルドを仕切っているマスターなんだ。僕は、対人ギルドお抱えの薬剤師ってわけ」
 炎をかたどった「プロメテウス」のギルドエンブレムは、アルフォレアの誇りだ。
「僕は、僕の力でいまの地位や実力を得たわけじゃない。ランカーだからって驕ったりしないで、みんなのおかげで生活出来ているんだって事を、みんなのために薬を作り続けるんだって事を、みんなに必要とされるジェネティックでいる努力をする事を、ここで半べそかきながらレベル上げさせられたことを思い出して、自分を戒めているんだよ」
 ごついジェネテックの職服に、自分の童顔がいつまでも馴染まないことは、アルフォレア自身が一番よくわかっている。その職服を着る資格がないとは思わない。だが、ここまで押し上げてくれた仲間に、相応の責務を果たさなければならない。自分が生きる場所と目的を与えてくれた、みんなのために。
「あは、ツマンナイ話だったね。・・・僕の薬は誰かを守るけど、誰かを傷付ける手伝いもする。だからね、僕とこんな風に話したなんて、まわりの人に言わない方がいいよ。イシュア君がいじめられたら大変だもの」
「そんな・・・っ!アルさんは、自分に厳しくて謙虚で、とってもいい人だと思います!」
「いやぁ〜、そんなに持ち上げられると照れちゃうよ」
 アルフォレアはくすぐったくも嬉しかったが、イシュアはたぶん「Blader」の悪名を知らないから、こんなにも褒めてくれるのだろうと胸に沈めた。
『アルぅううううっ!!!!俺の弁当ぉおおおおお!!!!』
 突然頭に響いた大声は、愛しく華奢な魔法使いのもので、アルフォレアは両手で耳と頭を押さえた。
『遅いよ。もう食べちゃったよぉ〜。忘れていく真澄くんが悪いんですからね』
『のぉおおおおおおおおおおおお!!!!!俺の弁当ぉおおおおおお!!!!がーっでむっ!!しぃぃっと!!!!』
 キンキンと頭に響く叫び声に、アルフォレアは軽く首を回した。腹をすかせているのにそんなにシャウトしたら、余計に腹が減りそうなものだが・・・。
『いまどこだよ、アルぅうううう!!!?』
『フェイヨンのウルフ森〜』
「どうしました?」
「ん?僕の彼氏からwis。お弁当忘れて行ったの、いま気がついたみたい」
「あ・・・」
 真澄の分の弁当を食べた当人が、申し訳なさそうに赤面する。
「あははっ。大丈夫だよ、忘れて行った人が悪いんだもん」
 アルフォレアは弁当箱をしまいながら底の方をかき回し、長いことカートの肥やしになっていたクリップをいくつか探し当てた。