戦乙女の招き −1−
その侵食は、極めて静かだった。そして、人々が気付いた時には、もう手遅れだった。
「なに、世の中には完全というものは無い。たまたま、私は手遅れだったと言うだけで、そのうち解決されるさ」 そう寝台の中で話すサンダルフォンに、枕元の椅子に座ったマルコは唇をかんだ。 苦痛を和らげるために、大量のメントとイジドルを摂取しているせいで、サンダルフォンは以前より少し舌足らずで、眼差しはとろんと力が無い。それも、いつまで持ち堪えられるか見当もつかない。肉体が朽ちるか、気が狂うかの、どちらが先かというだけの問題だが。 「でも、特効薬になりそうな薬草は見つかっています」 「まだ特定はできていないだろう?」 「・・・はい。でも・・・」 マルコは言いかけたが、サンダルフォンがふわりと微笑んだので、それ以上言えなかった。 「もう行きなさい。どうやって伝染するのかも、まだわかっていなのだから」 「・・・はい。御用ができたら、また呼んでください」 小さな頷きを確認して、マルコは席を立った。そして、白い法衣が、サンダルフォンの寝室から出て行った。 いまはハイプリーストになったマルコが、情報屋の仕事を一手に担っていた。忙しいくせに、数時間ごときっかりに、サンダルフォンの様子を見に来る。 (いい子に育った) 頭はぼんやりとして、考えようとするそばから、思考が零れて落ちて消えていく。まだ生きているのだなと、それぐらいしか認識ができない。この病が発病すると、たいていは体中の痛みに錯乱して、幻覚や幻聴に悩まされた末に気が狂ってしまうのだが、本来は幻覚を見せるイジドルのおかげで正気を保っていられるという、ずいぶん皮肉な状態だ。 魔王モロクが逃げ込んだ次元の狭間から繋がった異世界へ、冒険者は勇躍して乗り込んで行った。その異世界に、目に見えない脅威があるなどとは考えずに・・・。 誰も気付かなかった。それが、極めて高い致死性を持った、原因不明の病となって、次々と人を蝕んでいくまでは。 ―まだ生きているのか― 繊細な金属の鈴を鳴らすような、よく響く高い声。その失礼な物言いも、傲慢な調子も、とても懐かしく、サンダルフォンの目には、自然と涙が浮かんだ。 ―まだ生に執着するか。意地汚い男だな― 「ひ・・・さし、ぶりなのに・・・、言うの・・・それか・・・?」 ―泣き虫はまだ治らんようだな、サンダルフォン― 枕元に立った女聖堂騎士は、冷笑を含んで吐き捨てた。ぞんざいに短く切った銀髪、灰色を帯びた蒼い目。中肉中背ながら、その圧倒的な存在感と気配は、他の追随を許さない。 レースのカーテンから零れる逆光で、弱ったサンダルフォンには、その姿を見定めることすら難しいが、どうして間違えることができようか。 「メグ・・・」 その影は、にぃと大きく唇を歪めた。涼やかな美貌が、ひどく邪悪に、牙を剥くように微笑んだ。 ―なんだ?― 「・・・あんまり、遅いから・・・治る、のかと、思った」 ―そうか、それは良かった。絶望は楽しいか?― 「まだ・・・生きていたい。でも、母や、メグが死んだときほど・・・苦しくない」 ―そうか。つまらん― 腕を組んで鼻を鳴らす彼女に、サンダルフォンは病んだ吐息で笑った。 ―良い後継者ができたか― 「私は・・・自分がしたくて、情報屋を始めた・・・。別に、継いで欲しいとも、言っていない・・・」 それでも、最後の望みとして縋って来る人々の手を払うことなく、一生懸命に仕事をして、最初に会ったときには想像もつかなかった笑顔を見せるマルコが、自分の仕事を継いでくれたのは、とても嬉しい。 「まるで、親父だな・・・」 ―自覚があるようで何よりだ。さ、とっとと起きろ― 「せっかち・・・に、なったな・・・」 ―忙しいのだ。これからも人死にが多くてな― 「私はその人手か?」 ―相変わらず理解が早くて、頼もしい限りだ― 「・・・相変わらず・・・、メグは、私を・・・使うのが、上手くて・・・」 ―私以上に、貴様を使いこなせる人間はおらん― 堂々と人を物並み扱いするメグに、サンダルフォンはやれやれと起き上がった。 きちんとアークビショップの蒼い法衣を纏い、寝癖を梳いた頭にパレード帽を小粋に載せる。杖は過剰精錬した治癒の杖でいいだろう。 ―ほう、馬子にも衣装だな― ―どうも。さ、どこへでもお供しましょう、オヒメサマ― ―貴様は黙って私についてくればいいのだ― 紫色のマントを翻すメグに、サンダルフォンは心が弾むような気分で、後を追いかけた。 その報せを受けて、マルコは文字通り飛び上がった。ずっと心待ちにしていた朗報だ。何度もしっかりと確認して、すぐにサンダルフォンの寝室に飛び込んだ。 「サンダルフォン!特効薬の原料がほぼ確定しました!異世界に行っているBladerからも裏付けが取れました。クラスター殿も快方に向かっているそうです!これでサンダルフォンも・・・」 反応の無さに、眠っているのかとベッド近付いて、マルコは首をかしげた。 「サンダルフォン・・・?」 よほど楽しい夢でも見ているのか、微笑をたたえた目尻に、濡れた跡がある。病でやつれ果てているのに、子供のように無邪気な・・・。 「サンダルフォン・・・?サンダルフォン!」 胸は動くことを止め、痩せ細った手首に脈は無く、マルコに的確な助言を与えてくれた唇に血の気がない。 そんな馬鹿なと、マルコはブルージェムストーンを握り締める。 「リザレクション!!」 きちんと手順を踏み、石は砕けたが、サンダルフォンの呼吸が戻らない。 砕けた石が二桁になる頃、マルコは震えながら、冷たくなった亡骸にすがりついた。 「ぅ・・・っ、うぅっ・・・ぁあああぁあああああっ!!!!」 それがマルコの、第二の親との別離だった。 |