繋いだその手で抱きしめて −1−


 綺麗なマンションにクロムの部屋はあったが、置いてある物は多くなかった。身の回りの必要最小限な小物と衣類以外の、家具や家電などは、クロムがここにきた時にはすでにあった。
 この部屋を用意したのはエクターで、クロムは一切かかわっていない。分譲なのか賃貸なのかもわからないのに、それらの資料はすべて警察が押さえているので、今度ヴィンフリートがまとめて説明してくれることになっている。
「あの時、どうやって俺の部屋に入ったんだ?」
「鍵なら開いてたよ。エントランスのオートロックなんて、住人の振りして他の人の後について入っちゃえばいいんだし」
 お茶を飲みながら問えば、ソファでくつろぐユーインは、けろりとした顔で答える。
「部屋の鍵は、さすがに専用の器具か技術がいるけどね。守衛がいるマンションでなくてよかったよ。機械の方が騙しやすいもんね」
 クラスターなら二重丸をくれそうな模範解答だが、真っ正直にしか物事を捉えないクロムには、そのやり方が、たぶん正攻法ではないのだという認識になるが・・・自分が咎められるのかどうかもわからない。
 それよりも、あの頃はドアの鍵を閉めることすら失念するほど疲れていたのだと知り、愕然となる。
「・・・あの時は、ひどいところを見せたな」
「顔真っ青だったよ。もっと頼ってくれてもよかったのに」
 あの時、ユーインがとても真摯にクロムのことを思ってくれているのを知っていれば、もしかしたらそうしたかもしれない。だが知っていても、頼らなかったかもしれない。ユーインを、巻き込みたくないと思うだろう。
「結局、俺は何もしないで、助けられてばっかりで・・・」
「いいんじゃない?これから困っている奴を助けてやれば」
 はっとユーインを見れば、意外や、少し困ったようにしている。
「何もしてないのは俺もだよ?危ないことは、みーんなハロがやってくれた。・・・本当はね、やらないって言ってたんだ。俺に何かあったら、誰が神父を守るんだって、ハロが言ってさ」
 たしかにユーインはクロムのそばにいられて、エクターを寄せ付けなかったが、それはある一面でしかなかった。
「・・・もしかして、ユーインがやったかも・・・?」
「え?あぁ・・・ハロが止めなかったら、やったかもね」
 風俗の店に出入りしたかもしれないと、ユーインはあっさりと頷く。
「ダメだ!!」
「そんな・・・怒らなくったって・・・」
「絶対ダメだ!あんなの・・・ユーインが、あんなこと・・・」
 エクターからハロルドがクロムの身代わりになったと聞かされ、ハロルドが大勢の前で犯されているのを見た。それだけでもショックだったというのに、あれがユーインだったかもしれないと思うと、恐ろしくて言葉にもならない。
「嫌だ。ユーインが、他の人とするなんて・・・!」
 そんなものを見せられたら、気が狂ってしまうに違いない。後になって、あのショッキングピンクの髪の男がサカキだったと教えられたが、サカキもあの時は死ぬかと思ったと呟いていた。その憤りや悲しい気持ちが、いまのクロムにはよくわかった。
「じゃあ、誰とするのならいいの?」
「え・・・?」
 テーブルにカップを置いて、少し悪戯っぽく、どこか嬉しそうに、ユーインは微笑む。
「クロム神父は、俺が誰とセックスするのならいい?」
「なっ・・・誰とって・・・。それは・・・ユーインが好きになった人と・・・」
「そうだよな!」
 にぱっと笑顔になると、ユーインはクロムの隣にやってきて座りなおした。
「他の誰でもないクロム神父なら、神父は嫌じゃないよな」
「・・・え?」
 クロムの理解が追いつかない一瞬のうちに、ユーインの腕がクロムを抱き寄せて、軽く唇が触れ合った。
「・・・ずっと、待ってた」
 瞬きも忘れたクロムの視界で、ユーインが嬉しそうに微笑んでいる。そのままソファに押し倒されたところで、麻痺した思考より先に、体が反応した。
「・・・やっぱり、俺じゃ・・・嫌?」
 クロムの両手が、ユーインを押し退けようとしていた。
「ちがう。ユーイン・・・俺は・・・」
 悲しそうにクロムを放そうとしたユーインの腕を、クロムはつかんだ。怖いだけで、嫌ではない。
「嫌じゃない!ユーインがいい・・・」
 口走った後で、クロムは自分の口を覆って、さらに熱くなった顔をユーインからさえぎろうとした。
「ホント?」
 嬉しさと期待に満ちたユーインの声に、クロムは震えるように声を絞り出しだ。
「・・・だけど、俺なんか・・・」
 何も持たず、すでに体も汚されている。自分はちっともユーインにふさわしくないと思う。
 顔を覆っていた手を取られ、ぎゅっと瞑った目の下、頬に、柔らかい感触が当たった。
「俺は、クロムがいい」
 耳元で囁かれて、クロムは痺れるような感覚に身震いした後、顔どころか全身が熱くなった。
「だけど・・・」
「歳も、職業も、男同士だってのも、関係ない。俺は、クロムがいい。・・・俺、簡単に諦めないよ?」
 ユーインの両腕に抱きすくめられながら、よく知っていると、クロムは心の中で呟いた。
「・・・俺は、抱かれたことはあるけれど、気持ちいいと思ったことはない」
「わかってる。やさしくするけど・・・こうして欲しいとか、ある?」
 クロムはハロルドに覆いかぶさるサカキと、そのシャツを握り締めるハロルドを思い出し、苦しいほど鼓動が早まった。
「その・・・たくさん、キスしたり・・・大事そうに、頭を撫でてくれたり・・・」
「あたま・・・?」
 似合わないことを聞いたせいで首を傾げるユーインに、音が鳴るなら鳴ったであろう程に、クロムの顔が赤くなった。
「そ、それは・・・っ」
「またサンダルフォン先生・・・」
「ちがっ、サカキせんせ・・・ぁ・・・」
 口を覆っても、もう遅い。意外な名前に、むくれかけていたユーインの目が、さらに据わる。
「・・・その、ハロくんと・・・」
「あー・・・ハロは喜びそうだなぁ」
 納得してくれたようだ。しかし、クロムがほっとしたのもつかの間、ユーインの鋭い勘が、クロムを許してくれなかった。
「で、サカキ先生とハロがやってるの、見たんだ?」
「そんなこと聞くなっ!」
 クロムだって、見たくて見たわけではないのだ。
 たしかに、場違いもはなはだしく愛し合っているオーラが出ていて、あんな場所なのに、うらやましいほど幸せそうなセックスだった。
「二人がしてるの見て、興奮しちゃった・・・?」
「や・・・ぁっ!」
 ユーインの手に股間を撫でられて、クロムはびくっと体を震わせた。少しだが、確実に反応しているのが、ユーインにもわかっただろう。
「・・・そんなにすごかったんだ」
「やめっ・・・ユーイン、たのむ、から・・・!」
 クロムがユーインの腕を強くつかんだので、刺激的な愛撫はぴたりと止んだが、一度火のついた疼きは止まなかった。
 深い呼吸で熱を追い出そうとするクロムの頬や額に、いくつもユーインの唇が触れた。
「素直じゃないなぁ。それとも、俺って信用ない?」
「そんなこと・・・ない。だけど、俺なんか抱いても・・・」
 ユーインがクロムのことを好きだという気持ちは嬉しい、クロムもユーインが好きだ。・・・だけど、これは必要なことか・・・?
「俺は、もっとクロムを感じたい」
 ぞくりと、耳の後ろの辺りがそそけ立つような感覚に、クロムは震えるような息を吐いた。中途半端なままの欲望が、ぞろりとクロムの体の中を撫でていく。
 いつまでたっても態度が煮え切らないクロムに、ユーインの表情はせつなく、真っ直ぐな眼差しが痛いほどだ。
 ユーインは再び、クロムの唇に軽く口付け、耳元や首筋にもキスを落とした。たくさんキスをして、髪やこわばった指を、優しく撫でていく。
「っ・・・ユーイン?」
「ハロと先生がやってるの見た後、自分でしたの?」
「し、てない・・・!」
 ユーインの顔がうっとりと蕩けたのに、クロムは気がつかない。
 今度は少し握りこむように擦られ、クロムは悲鳴を上げた。
「あっ!ひ、ぁ・・・ああっ!」
「気持ちいい?」
「ぃ・・・も、やめ・・・っ!だ、めぇ・・・!」
 服越しに撫でられただけで、腰が抜けそうになっている。そもそも免疫は薄い方だが、こんな感覚は初めてだ。
(エクターにされたときは、こんなじゃなかった・・・!)
 嫌悪感とか罪悪感とかその他諸々で、体の生理的な反応以外は、ほとんど感じられなかった。
「脱がしていい?」
「・・・!」
 そんなことまで口にするユーインに、クロムは恥かしさでしがみついた。
「せめて、ベッドにしてくれ」
「りょうかーい」
 嬉しそうに、ユーインは微笑んだ。