Sugar Days−1−


 真新しい法衣に袖を通し、マルコは姿見に映る自分をまじまじと見つめた。
 深紅の天鵞絨装飾に伸びる黄金色の刺繍。それが安寧と鎮魂を司る漆黒とあいまって、壮麗ともいえる美しさでプリーストの法衣を形作っている。
(・・・まだ信じられない)
 マルコは、プリーストに転職した。
 幼い頃は剣士を目指していたこともあり、術よりは体を動かす方が得意だ。それを活かしてモンクになるのかとも聞かれた事があるが、マルコはずっと、この黒い法衣だけを目指していた。
 アコライトとしての修行も、年齢的なスタートは遅かったが、サンダルフォンという大先輩のおかげで、みるみるはかどった。だがなにより、マルコ自身の頑張りが大きい。
(サカキさん・・・)
 これでやっと、大好きな人の手伝いができる。そう思うと、鏡の中の青年人形が、少しだけ頬を染めて、瞳を潤ませるように小さく微笑んだ。

 装備一式と、緊急用の回復剤、それから家と狩場の直通ワープポータル用の青石を持って、マルコは自分の部屋を出た。
 転職前からしばらく、ルティエのおもちゃ工場にいて、これからもしばらくは、そこで修行するつもりだった。勢い余ってクッキーを殴らないようにすれば、おもちゃ工場は明るくて、カラフルで、楽しかった。
(ストームナイトとハティーベベだけは、困るんだけどな)
 アコライトや転職したてのプリーストでは、物陰から密かに討伐隊を応援するしかできない。
 リズミカルに階段を駆け下り、サンダルフォンがいるであろう執務室に立ち寄る。
「いってきます」
「え?待て、どこに行く!?」
 慌ててデスクから立ち上がったサンダルフォンを、マルコはきょとんと見返した。
「ルティエ・・・おもちゃ工場、ですが?」
「ああ・・・狩りは、延期しないか?」
 まだ転職したてで、あまりプリーストのスキルを覚えていない。昨日やっとグロリアの初歩を覚えられたばかりで、これから自分の戦闘に役立つものを覚えていかねばならず・・・。
 そんな困惑を浮かべたマルコを、サンダルフォンは薄笑いを浮かべて、わざとらしく視線を泳がせながら声を高めた。
「これからサカキが来る予定なんだが・・・」
 マルコは荷物を抱えて、大急ぎで自分の部屋に駆け戻った。


 サンダルフォンの友人であるサカキという男は、商人の癖に愛想がなく、アルケミストの癖にホムンクルスを連れず、自分も男だというのに同性の男を抱くのが好きという変わり者だ。
 だが、初めて見たアルケミストがサカキだったせいか、マルコはそれが変だとは思わない。それに、「変」というだけなら、マルコのほうがずっと変なのだと思う。
「転職おめでとう。立派になったな」
「ありがとうございます」
 いつもの不機嫌そうに見える無愛想さが、ほんの少しだけ柔らかくなっているサカキに、マルコはおずおずと頭を下げた。
 サカキがいなかったら、マルコはこうしてプリーストになれなかったはずだ。目標と言う意味でも、文化的な生活する人間と言う意味でも。
「転職祝いだ」
 そう言って差し出された、リボンをかけた小さな薄い小箱。
「・・・開けて、いいですか?」
 緑色のボサボサ頭が首肯し、マルコは包装を解いて箱を開けた。
「カードっ!?」
 モンスターが極稀に落とす、様々な効果があるカード。その価値はピンからキリまであるが、大概高価だ。
 そして、サカキがくれたのは、背の高い丸太が揺れ動く「天下大将軍」。それほど高価でもないが、マルコが貯金をしなくては買えないほどの市場価格だったはずだ。
 天下大将軍のカードには、アコライト系が装備すると、モンクのスキル「気功」が高確率で自動発動する効果がある。マルコのような殴りプリーストには嬉しいものだ。
「ありがとうございます」
 なんだか胸がいっぱいになってしまって、マルコはやっと、それだけ礼を言った。
「サンダルフォンのところになら、もっといい装備が揃っていそうだけどな。ソロで行くようになったって聞いたから」
 マルコの向かいに座ったサカキがそういうと、マルコの隣でサンダルフォンが苦笑いを浮かべる。
 傷を癒し、前衛への支援をこなすサンダルフォンの装備は、接敵して戦う、いわゆる殴りプリのマルコにはあまり恩恵がない。
「これからは、自分で自分に見合った装備を整えていくんだな」
「はい」
 実の親のように頭を撫でてくれるサンダルフォンに、マルコは頷いた。
 傷つけられ、子供のまま六年間も孤独に放置されていたマルコの心は、最近やっと自分で歩くことに危な気がなくなってきたところだ。心を開いた人間に対してだけ見せる、控えめな微笑は、年齢のわりにあどけなさを残しているが、脆さは感じさせず、与えられる愛情によってのみ肥沃さを増す、心根の豊かさを垣間見せた。
「ところで、今日はマルコに言っておかなくちゃいけない事があって来た」
 改まったサカキの言い方にマルコは内心身構えたが、次にサカキの口から出た言葉に、あっけなくショックを受けた。
「もうすぐ発光する。そうしたら転生して、もう一度子供になる。・・・つまり、しばらく相手をしてやれないと思う」
 少しハスキーな響きのある低い声が、悪いな、と続けた。
 冒険者として、アルケミストとして、道を究め、さらに高みを目指すための、儀式と呼ぶには生々しい通過儀礼。それは本来、とても喜ばしいことなのだが・・・。
「おめでとうございます」
「そんな顔をするな。すぐに戻ってくる」
 そんなに顔に出ただろうか。マルコは、くしゃくしゃっと頭を撫でられながら、思った。
 実際、マルコの表情には何も出なかった。だから、サカキはマルコの不安を読み取ったのだ。
「だから言っただろう?製薬支援が必要になるのは、だいぶ先だって」
 苦笑いを浮かべるサンダルフォンに、サカキはかすかに眉をひそめた。
「もうグロリア覚えてきたんだよ。まだキリエ完成させてないのに、サカキの手伝いがしたいって聞かなくてなぁ」
「サ、サンダルフォン・・・!」
 くつくつと笑う年上の従兄弟に、マルコは顔が赤くなるのを自覚しながら、小さな声で抗議した。
 サカキはマルコの体質をよく知っており、なによりマルコの心身が傷付くのを避けようとしてきた。それなのに、マルコは自分を守るという義務や責任を後回しにした。
「マルコ」
「はい・・・」
 きっと叱られる。マルコは身を硬くした。
「転生したら、製薬で身を立てるつもりだ。頼りにしている」
 いつもと変わらないサカキの声音に、マルコはうつむいていた視線を上げた。そこには呆れたような、それでも怒ってはいないサカキが、小さく苦笑いを浮かべていた。
「だから、あんまり危ないことをするな」
「は、はい・・・!」
 いい子だ、そう言って頭を撫でてくれる手は、剣を握り慣れ、皮が厚くなっていた。