白い大地の微熱 −6−


 朝から高熱を出したクロムに、こちらはすっきり元気になったユーインは、水桶だ湯たんぽだパン粥だと忙しい。
 なにしろユーインは、昨夜はイったところまでは覚えているのだが、その後の記憶がない。あっさりと先に寝てしまい、抱かれる方に負担が多いのに、クロムに後始末を全部させたに違いない。
「ごめんよ、クロム・・・」
 ユーインは眉を下げて、井戸水に雪を溶かした冷水に手ぬぐいを浸し、絞る。悪寒に震えながらベッドに横たわるクロムの額に乗せ、久しぶりに姿を見せた太陽の光からかばうように、その目元まで覆ってやった。
「おぅい」
 ごんごんとドアがノックされ、ユーインが出ると、そこにはすっかり怪我が直った宿の主人が、小さなグラスを持って立っていた。
「先生、起きてるか?こいつを飲めば一発だぜ」
「なんだ、それ?」
 体の大きな宿の主人と比較すると、本当に小さなショットグラスだ。中の液体は、ホカホカと湯気を上げている。
「ッ・・・酒じゃんか!」
 その刺激的な香りは紛れもなく、ちょーきついと有名な、ベリョーザの蒸留酒だ。じつは、レヴィーからクロムがもらった酒を、ユーインも飲ませてもらったことがあるのだが、あやうくひっくり返るところだった。
 よく冷やして、ショットグラス一杯を一気飲みするのが作法らしく、クロムは「美味しい」と言って平気でこなしていた。見かけによらず、酒に強い。
「温めて、砂糖をひとかけら溶かす。ベリョーザじゃ、こいつで風邪を治すんだ」
 にひひと熊のような主人は笑い、のしのしとクロムのベッドまで歩いて行った。
「さ、先生には世話になったからな。特別上等なヤツを持ってきたんだぜ。一気に飲んでくれ」
 ぜぇぜぇと返事をするのも大変そうなクロムを、ユーインは抱き起こしてやった。
「ありがとう、ございます・・・いただきます」
 クロムはグラスを両手で持ち、きゅーっと飲み干すと、すぐにとろんと瞼がおり、穏やかな寝息を立て始めた。クロムが眠りに落ちたのがあまりにも早く、ユーインは逆に不安になってくる。
「本当に大丈夫なんだろうな・・・?」
「赤ん坊以外はこいつで治すんだ。任せとけぇ」
 ユーインより二回りは厚みのある主人の手が、ばんばんとユーインの肩を叩いた。
「後は寝かせておけばいい。目が覚めたら、すっきり治って、食欲もあるはずだ。そこで、王子様には先生に食わすパンを焼いてもらおうか」
「まじで!?」
 この後もクロムの看病をするつもりだったのだが、主人はガハハと笑ってユーインをせかした。
「それが終わったら、雪かきだ。そろそろ二階のエントランスが使えなくなりそうだ」
「・・・この村は本当に雪に埋もれるよな」
 ユーインはクロムの毛布をしっかりと整えてやり、水差しがすぐそばにあるのを確認した。
「宿の手伝いに行ってくるよ。ゆっくり休んでて」
 ユーインはクロムの眠りを邪魔しないよう、そっとささやき、主人の後について静かに部屋を出た。

 たくさんの友達に囲まれ、いつもそばにユーインがいる、穏やかで楽しく、幸せな夢を見て、クロムは目を覚ました。
(あれ・・・?)
 いまが夢なのか現実なのか、クロムは一瞬戸惑った。額の手ぬぐいを取ると、宿の天井が見え、カーテン越しに薄い日の光が感じられた。
「あれ?」
 現実だと認識すると、今度は別の違和感に飛び起きた。
「治ってる・・・」
 眠る前はあんなに苦しかったのに、すっきりと体が軽い。少し頭がふらつくが、熱はない。喉が渇いているが、呼吸も楽だ。
「・・・・・・」
 民間療法は時にすごい効果を発揮するが、それにしても、ユーインといいベリョーザ酒といい、医者要らずとはこういうことだろうか。
(医者の不養生が文句を言えた立場じゃないか・・・)
 クロムは思わず苦笑いをこぼし、上着を引っ掛けて水差しの水を飲んだ。
 ユーインの姿が見えないが、外で子供の声と雪下ろしの音がするので、きっと宿の手伝いをして外にいるに違いない。クロムはカーテンをあけ、今にも山にかかりそうな太陽の光を浴びた。ここは三階だが、年明けにはこの高さも雪に埋もれそうだ。
 窓を開けると、ひんやりとした空気が流れ込んできて、クロムは身震いをして毛布をかきあわせた。
「あっ!ウサギ先生!!」
 見覚えのある子供が、二階の屋根の高さにある雪の上を走ってきた。
「レヴィ・・・あっ!」
「ぎゃふっ!!」
 空から降ってきた雪の塊がレヴィーを直撃し、その小さな体を押し倒して地面の雪と同化させた。
「あー、わりぃわりぃ」
 ちっとも悪いと思っていないユーインの声が上からして、クロムは氷柱に気をつけて窓の外を見上げた。
「ユーイン?」
「クロム!元気になった!?」
 ばさばさっと、雪の欠片が軒から落ち、続いて長身な影が飛び降りてきた。
「クロム〜!よかったぁ!」
 雪の高舞台のおかげでほとんど同じ高さで、建物とのわずかな隙間しかない距離から、ユーインはにこにこと子供のように無邪気な笑顔で喜んだ。
「なにすんだよ、イノシシ王子!!・・・あ、あれ?こら、おろせぇ〜!!」
 ぼすっとレヴィーがユーインにぶつかってきたが、ユーインは涼しい顔でレヴィーを担ぎ上げ、やわらかい雪山にぽいっと放り投げた。
「わぁあっ!」
「ユーイン!!」
「はっはっは。俺のクロムに気安くするんじゃない、無礼者」
 クロムはおろおろと焦ったが、ひっくりかえったレヴィーは、元気よく飛び起きた。
「ユーインのばーか!!大人なのに、ソリにも乗れないくせに!!」
「え・・・」
 レヴィーの暴言も気になるが、びくぅっと肩を揺らしたユーインの後姿に、クロムは何を言うべきか思考が飛んだ。
「あ、あんなに小さくて不安定な玩具に乗れるか!」
「へへ〜ん、荷駄馬が引っ張るソリを見ても固まっていたくせに!ソリが怖いんだろ!ユーインの運動音痴〜!」
「ぎゃー!それを言うな、このガキンチョ!!」
 雪合戦の始まった二人を眺めつつ、クロムは意外な事実にクスクスと笑みをこぼした。そういえば、子供達がソリを引っ張っていても、ユーインが一緒に遊んでいるところを見たことがない。
(ユーインにも苦手な物もあるんだ)
 そう思うと、余計に笑いがこみ上げてくる。クロムから見ると、何でもできて、いつも余裕たっぷりなユーインにも、苦手な物があったことが、とても微笑ましい。
(今度引っ張ってあげようかな)
 全力で嫌がりそうだが、ガチガチに力むせいでソリが横倒しになり、雪まみれになるユーインを見てみたい。
 ふと視線をずらすと、巨大な雪の塊が積み上がり、なにやら製作途中のようだ。
 スノーマンにしては、木の棒を刺す場所が頭なのはどういうわけだと思っていたが、木の棒の先に引っかかっている白い物が靴下だと気付き、クロムはとうとう笑い転げた。
「あははっ、そうか、そうか!・・・ありがとう」
 ウサギ雪だるまの横にうねった溝は、かろうじて『早く元気になってね』と読めた。
「怖がりユーイン!へっぽこユーイン!」
「待ちやがれぇ〜!!」
「ユーイン!レヴィー!」
 気の早い太陽がもう山に隠れ始め、クロムはレヴィーに帰宅するよう促した。