白い大地の微熱 −7−


 真っ暗な窓の外はシンと静まりかえり、ただ止まることなく雪が降り続いている。
 遠くで新年を知らせる教会の鐘が鳴っているはずだが、暖炉でパチパチと弾ける薪の音の方が大きいようだ。
「ユーイン」
 自分の顔が映る窓から視線をはがし、ユーインは愛して止まないパートナーを振り返った。
「新年あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう、クロム。今年もよろしくね」
「はい。・・・あの・・・」
 すでに一ヶ月も滞在して、すっかり馴染んだ宿の部屋には、色とりどりの織物や毛皮が溢れ、そのなかですらりと立つクロムの白銀は、暖炉の光を受けて際立って美しかった。
「あの、これを・・・」
「なぁに?」
 クロムはもじもじとうつむき、両手になにか持っている。ユーインは窓辺から離れ、クロムの前に立った。
「これ・・・その、ユーインに」
「俺に?」
 クロムは耳まで赤くなってこくこくと頷くと、ユーインの両手に、なにやらぎゅっと押し付けてきた。
「?」
 布の柔らかさのなかに硬い感触があり、ユーインはそれを両手で広げてみた。
「これ・・・」
 髪留め・・・というより、髪飾り、というべきか。羊毛を縒った下生地に、小粒で形の揃っていない琥珀を帯状に編み込んであるが、一粒一粒の濃淡によって模様ができている。両端は結べるように長く縒り合わされ、ベリョーザのほかの地域で特産とされている陶器の玉で留められていた。
「街道の事故で怪我をした中に、琥珀細工職人さんがいて、その奥さんに教わりました。その・・・店に並ぶような物には程遠いんですが・・・」
「クロムが作ったの?」
「はい。・・・やっぱり、職人さんの作るものは、俺には手が出なくて」
 クロムは申し訳なさげに縮こまるが、ユーインは胸がいっぱいで、言葉が出てきそうもない。クロムには欲しい物があれば買ってあげると言っているが、ユーインへのプレゼントでは言い出せまい。
「ゆ、ユーイン!」
 ユーインはぎゅうっとクロムを抱きしめ、この気持ちを表す言葉を考えたが、語学に堪能なはずの口からは、結局一言しか出てこなかった。
「ありがとう、クロム!!愛してるよ!!」
 まだわたわたと、恥かしげにうろたえているクロムの頬にキスをして、ユーインは跪いた。
「クロム、俺にその宝冠を載せてくれ」
「えっ?え・・・あっ、はい!」
 ユーインから髪飾りを受け取ったクロムは、それをユーインの頭に載せ、端を結んだ。
「どうかな」
「・・・なんか、可愛くなっちゃったかな」
「それもいいなぁ」
「すみません・・・」
 クロムが期待していたほど、凛々しくはならなかったらしい。ユーインは機嫌よく髪飾りの凹凸を撫で、そのかろうじて鋭くはない粒々した感触に微笑んだ。
「ねぇ、クロム。俺は一応王族だけど、クロムに心配事のない安全な毎日や、苦労のない贅沢な生活をさせてあげられない」
「ユーイン・・・!」
 クロムは首を振って否定してくれるが、ユーインが一番よくわかっている現実だ。こうして旅を続けているのも、言ってしまえばユーインの我侭だ。
「だけど、俺にはクロムだけで、クロムだけは幸せにしたいんだ。王妃に迎えるような、大きな宝冠をあげることはできないけど・・・」
 ユーインは琥珀の髪飾りを外し、クロムの白銀の髪を飾った。
「ひとつがこの小粒な琥珀くらいの幸せでも、たくさんクロムにあげられたらいいな」
「ユーイン・・・」
 琥珀が炎の光で深い飴色に輝き、クロムにもよく似合う。
 控えめだが、本当は気が強くて、隠れて努力する恥かしがり屋で、真面目で純粋で・・・そんなクロムが眩しくて、ユーインは欲しくてたまらないと思った。そして、手に入れてからは、誰にも手出しされないよう心を砕いた。他に何もいらない、クロムだけがいてくれればいいと・・・。
 だが、ユーインのそんな努力が滑稽に見えるほど、クロムはユーインだけを見て、こうして贈り物を用意してくれた。クロムは意識していないのだろうが、それはユーインがほぼ得ることがないだろう栄光を表す物と、同じ場所を飾る物だ。
「俺たちの王冠だよ、クロム。ずっと一緒にいよう」
「はい・・・!」
 ユーインは穏やかなクロムの微笑を抱き寄せ、その薔薇色の唇に口付けた。


 ユーインのソリ滑りの技術は、クロムが手伝っても、せいぜい「乗っていられる」だけにとどまった。本来、ソリなど乗っているだけでいいはずなのだが、滑ろうとするとなぜかふらふらと蛇行し、それを怖がって余計なことをするのでソリごと前転したりする。非常に危なっかしくて仕方がない。
 ユーインが涙目で嫌がるので、クロムもそれ以上は無理強いしなかったが、誰にでも不得手があるものなのだと、妙に安心した。ちなみに、クロムはゲコゲコ鳴いてぴょんぴょん飛び跳ねる、ぬめぬめテカテカとした緑色のカエルが、大の苦手だ。同じ色のピーマンも嫌いだというのは、すでにユーインにばれてしまったが、こちらは出来るだけ内緒にしておきたいと思っている。
 琥珀の髪飾りをつけて、ユーインはクロムの隣を歩いている。いくら掃いても積もっていく雪は、しだいに人の足裏を地面より高くしていった。
「本当に、なんでもいいんですか?」
「うん。なんでもいいよ」
 ユーインは髪飾りのお礼がしたいと言ってきかず、クロムは困ってしまった。いままでも、必要なものはすべてユーインが揃えてくれていたし、いまさら欲しい物といっても思いつかない。ユーインとどこかへ行くにも、その行き先が、世界を知らないクロムには思いつかない。
「あの・・・では、嗜好品で申し訳ないのですが」
「ああ、ベリョーザ酒か」
 レヴィーの家である酒造屋を前に立ち止まり、クロムは頷いた。
「ごめんください」
 中にはクロムが治療したレヴィーの父と祖父がおり、快く貯蔵庫に案内してくれた。
「レヴィーが持って来てくれたお酒が、とても美味しかったんです」
「そうかい。じゃあ、あの棚だ」
 天井まで届く壁の棚には、出荷を待つベリョーザ酒のボトルがびっしりと並んでいる。ベリョーザ酒は蒸留した後、白樺の炭でろ過し、すぐに瓶詰めにされるそうだ。酒精の強烈さが純粋さのあらわれであるかのように、癖のない、まろやかで繊細な味わいが、ベリョーザ酒の特徴だ。
「ユーインこれ・・・買ってもいいですか?」
 クロムがもじもじと示したのは、ボトルではなく「棚」だ。
「いいよ。だけど、全部持って歩くのは大変だなぁ」
「えぇっ!?これ、全部か!?」
 目を飛び出さんばかりに驚いている酒蔵の主人達に、ユーインは顔をでれでれとだらしなくしながら、財布の紐を緩めている。クロムにおねだりされたのが、余程嬉しいようだ。
 結局数本抜き取り、残りはオルキディアの王宮と、よく立ち寄るハロルドのところで預かってもらうことにして、配送の手続きを大使館に依頼することにした。
「王子様って言うのは、本当だったんだな・・・」
「国王になれない王子だけどね〜。うち兄弟多くてさぁ」
 苦笑いをするユーインに、酒蔵の主人達も神妙に頷いた。お家騒動の面倒さというのは、王家も庶民も変わりないらしい。
「ウサギ先生!!」
 貯蔵庫を出ると、レヴィーが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「うちの酒を買いにきたの?」
「うん。お父さんたちが造るお酒が、とても美味しかったからね」
「じゃあ、ずっとここにいればいいじゃん!俺、ウサギ先生をお嫁さんにするぜ!」
 孫息子の爆弾発言に親たちが青ざめ、噴火しそうなユーインが噛み付く前に、クロムは膝をついてレヴィーの頭を撫でた。
「ありがとう。でも、俺はユーインが好きだから、レヴィーのお嫁さんにはなれないよ。ごめんね」
「うっ・・・」
 とたんに、レヴィーの大きな目にじわりと涙が浮かび、クロムは小さな恋人立候補者を抱きしめた。
「春になったら、俺たちはまた旅に出る。だけど、レヴィーが大きくなって、お父さんたちとお酒を造るようになったら、レヴィーが造ったお酒を飲みに来るよ」
「・・・ほんと?」
 顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでもクロムにしがみつくレヴィーに、クロムはニッコリと微笑んだ。
「うん。約束だ」
「・・・がんばるよ」
 まだしゃっくりが止まらないが、レヴィーはごしごしと顔を拭い、きっとユーインを見上げた。
「ユーイン、ウサギ先生を泣かしたら許さないからな!イノシシユーイン!ソリに乗れないへっぽこユーイン!!」
「こらっ、レヴィー!!」
 親父殿たちの雷が落ちる前に、レヴィーは全力で逃げ去って行った。
「あのクソガキァ・・・」
「まぁまぁ」
 クロムは怒りでぷるぷると肩を震わせるユーインをなだめて、レヴィーの父親達が平謝りする姿に見送られながら酒蔵を後にした。
「クロム、さっきのこと嬉しかったなぁ」
「え?酒を買ったことですか?」
「違うよ。俺を好きだって言ってくれたこと」
 クロムは記憶を手繰り、レヴィー相手にそう言ったことを思い出した。その辺の雪の中に埋もれたいぐらい顔が熱い。
「あ・・・あの、その・・・っ」
「俺も大好きだよ!」
 全開笑顔でぎゅっと抱きついてきたユーインに、クロムはそっと手をつないだ。どこまでも、いつまでも、一緒にいたいと・・・。
 世界の果てまでも続く空を見上げて、クロムはユーインに寄り添った。