白い大地の微熱 −4−


 ユーインが他国の王子だという噂は、瞬く間に小さな村に広まった。宿の主人夫妻など恐縮していたが、ユーインは朗らかに笑って、いままでどおりただの旅人と同じように扱って欲しいと頼んだ。
 大人たちは怪我人が多いこともあり、遠巻きにしているだけだったが、好奇心旺盛な子供はそうもいかない。レヴィーをはじめ、村の子供達が宿のまわりに押しかけ、その相手をするのがユーインの日課になりつつあった。
「王子なんて嘘だろ!この赤イノシシ!」
「無礼なガキンチョだな!!」
 雪の塊を投げあい、ユーインが新雪の上に子供を軽く放り投げると、投げられた子供は転がって喜んだ。ベリョーザの民謡を歌いながら、ユーインを先頭に村の道を雪かきして進むと、子供達は通りかかった大人に褒められて嬉しそうだ。親しみやすいユーインは、子供にも大人にも受け入れられていた。
 クロムは相変わらず、怪我人の家を往診して歩いていた。医療品は残り少なくなっていたが、元々頑丈な人が多いのか、村人の回復も早いようだ。
 そんななか、クロムはあまり言葉が自由ではなかったが、「オヴィンニク」について聞いてみた。
「ああ・・・穀物を荒らす悪い精霊のことよ。目が赤いから、そう言われたのね。気にしないで。先生のおかげで、うちの人は助かったんだから」
「はい」
 やはりユーインに聞かなくてよかったと、クロムは内心胸をなでおろした。クロムの容姿を侮辱するようなことを聞いたら、ユーインはクロムの静止も聞かずに、あの役人の命を奪っただろう。
 クロムに教えてくれたその夫人は、琥珀細工の工房に嫁いでおり、家には様々な道具と、未加工の琥珀が転がっていた。
「ベリョーザでは琥珀が採れるんですね」
「そうよ。中に虫や葉が入っている大きなものが、とても価値があるの」
「・・・これ、ひとつ、おいくらぐらいするんですか?」
 夫人から返ってきた装飾品の値段に、クロムはとても手が出ないと苦笑いを浮かべた。
「こっちは、小さすぎて、このままじゃ商品にならないものよ」
「わぁ・・・」
 綺麗に磨かれた、大粒の琥珀のペンダントやブローチも素晴らしかったが、無造作に小箱に入れられた琥珀の欠片も、たくさんあってキラキラとしている。
「興味があったら、自分で作ってみる?」
「え、俺でもできるんですか?」
「この細かい欠片を使えば、金具とかの材料代だけでいいわよ。作り方、教えてあげる」
 クロムは少し戸惑った後、夫人に提示された低価格に、お願いしますと頭を下げた。

 結局、村の大工や鉱夫などの尽力により、土砂でふさがった街道は、次の大雪までに何とか人が通れるようにはなった。しかし、補強はしたものの、いつまた崩れるかも知れず、少ない往来があったと、春まで通行止めになることが決まった。
 クレーヴェル村では、無事に生まれた新たな命が祝福された。隣村のボリス医師は、事故で怪我を負った村人を診てまわり、クロムの処置を絶賛していた。
 昼でも空が低く暗くなり、雪は日増しに積もり、村を覆っていった。ささやかな冬至の祭には、今年の収穫を供え、酒と料理が振舞われたが、その辺りからさらに冷え込みが厳しくなり、とうとうユーインが不調を訴えた。
「ユーイン、大丈夫ですか?」
 軽い夕食を済ませて自分達の部屋に戻ってくると、クロムは風邪薬をユーインに渡しながらたずねた。部屋に入るなり毛布に包まったユーインは、クロムの薬を飲み下し、だるそうに「大丈夫」と返事をした。
「そういえば、さっきダイニングで街道の話になっていましたけど・・・。あの人たちに渡した手紙はなんだったんですか?」
 薬の苦味に顔をゆがませたユーインは、子供のように口直しのキャンディーを頬張り記憶を辿った。
「ああ、あの財務官か」
 街道を通りたがっていた、ベリョーザ政府の財務局員達は、道が開通するとすぐに出発していった。そのときの村人たちが安堵する空気といったらなかったが、ユーインはあの怜悧で堅物な印象の財務官に書簡を託していた。
「ラズーリトにあるオルキディア大使館宛の手紙だよ。ここで起こった事件と、俺たちがここで冬を越すからしばらく音信不通になること。それから、もしも未開封できちんと届いたのなら、ベリョーザとの交易に便宜を図ってもいいかなっていう内容さ」
「そ、それって・・・」
 もしも大使館に届ける前に開封してしまったなら、あの財務官か、あるいは情報局や機密局などは、皇帝から叱責されること間違いない。
 また、書簡を開いた時点で、ベリョーザの地方役人達の素行が公になり、これも皇帝の不興を買う材料になる。どこの時点で書簡が開かれても、ユーインが面白がる結果にしかならない。
 書簡を抹殺して知らぬ存ぜぬを通すには、ユーインの後ろにあるオルキディア王国は相手が悪い。ベリョーザ帝国と同等ぐらいには、オルキディア王国は諜報活動ができ、その最たるが、ユーインという高価な浮遊分子だ。
 ユーインはクスクスと笑いながらベッドに寝転がり、王子らしいちょっとした悪戯に満足しているようだ。
「お人が悪い」
「横暴なベリョーザの木っ端役人には、いい薬だよ。それに、あのゴーレムみたいな高級財務官は、自分の判断で書簡を開いてしまうほどの無鉄砲には見えなかった。頭のいい人間だと思うよ」
 あんなに頭に血が上った状態でも、ユーインは相手を観察できたらしい。やはり放浪したいくつもの経験が、ユーインを守っているのだろう。
「クロム」
 おいでおいでと手招きされ、クロムはベッドで丸まっているユーインのそばに座った。なでなでと頭が撫でられ、ユーインの大きな手が、クロムの頬を包む。
「そんな顔しないで」
「ユーイン・・・。ユーイン、あまり無茶なことをしないでください」
「うん」
 クロムはユーインを批難しているわけでも、信頼していないわけでもない。ただ、あまりにも軽々しく自分の身を危険にさらすのが心配で、その原因が自分だったりすると、いたたまれない気持ちになるのだ。
 ユーインは好きでやっているのだろう。でも、もしも自分がいるせいでユーインが窮地に陥ったら・・・そう考えると、クロムは自分の足元に深くて大きな空洞が口をあけているような気がした。
「ねぇ、クロム」
「はい」
「メシ食べて薬飲んだから、あとは軽く汗を流せば、風邪が治るよね?」
「は?」
 話の流れをぶっちぎって、いきなり何を言っているんだこの人はと思う間も無く、クロムはユーインのベッドに引きずり込まれた。
「ちょっと!ユーイン!」
「一緒に寝て俺を温めてよ〜。寒気がするんだよ〜」
 クロムはユーインにがっちりと抱き込まれ、身動きもままならない。寒気がするというわりには、なにやら硬くなっているモノが脚に当たるのだが・・・。
「ユーイン・・・!」
「大好きだよ、クロム」
 ちゅっちゅっとキスが顔中に降ってきて、するりと服の上から胸や脇を撫でられ、クロムは力が抜けるように観念した。
「ひどくなっても知りませんよ」
「んふふ。クロムは俺の特効薬だよ」
 くぐもった含み笑いが首筋に吸い付いてきて、クロムに熱い吐息を漏らさせた。