白い大地の微熱 −3−


 一夜明け、また曇り空が戻ってきた。
 クロムが昨日負傷した人たちの家に往診している間、ユーインは犠牲になった村人の墓穴を掘る手伝いをしていた。
 亡くなったのは、クロムが言っていた妊婦の父親だった。娘のためにも、先頭で道を切り拓いていたのだろう。
「ありがとうございました」
 葬儀の中で支払われる報酬で、墓穴掘りは神父に次いで高額だ。ユーインは老婦人に手渡されたベリョーザ硬貨を、そのまま彼女に返した。
「あの・・・」
「これでお孫さんに温かい服を。そのほうが、ご主人も喜ばれる」
 ユーインは身分を公表していないが、いくら報酬とはいえ、王子が他国の民から現金をもらうことははばかられた。ユーインが墓穴を掘る手伝いをしたのは、純粋に厚意だ。
 涙を浮かべて頭を下げる老女を労わり、オルキディア風ながら墓前に祈りを捧げると、ユーインは昨日の事故現場に向かった。
「これ・・・どーすっかなぁ・・・」
 道を塞ぐ土砂や木の幹は、ユーインの背丈よりもはるかに高い。土木建築に造詣のあるハロルドならば、二次災害を防ぎながら道を開ける方法を教示してくれるだろうが、あいにくとユーインにその知識はない。地元民の判断で危険となれば、門外漢でただの旅人のユーインは、雪解けを待つしかないだろう。
 ユーインは踵を返し、村の中心に向かって歩き出した。
 そろそろ昼食の時間だ。ベリョーザ帝国の多くの地方では、昼に正餐をとる習慣があるので、肉体労働で腹の減ったいまのユーインにはありがたい。できれば、野菜のピクルスと山盛りのプロフ(羊肉などが入った炊き込みご飯)、あっさりした魚のスープが食べたいところだ。
「ユーイン!ユーイン!!」
 覚えのない声で呼ばれ、ユーインはぐるりと見渡した。雪が積もった牧草地の向こうから、小さな影が走ってくる。
「あー・・・なんだっけ?」
「レヴィーだよ、ばか!赤イノシシみたいな頭して、頭の中身もイノシシ並みかよ」
 大変失敬な暴言だが、「相手は子供だ、子供・・・」と、ユーインは自分に言い聞かせた。
 蔵元の子であるレヴィーは、クリッとした釣り目でユーインを見上げ、白い息を吐きながらまくし立てた。
「町の役人が、また道を開けろって無茶言っているんだ!ウサギ先生が抗議してて・・・」
「それを先に言え!」
「最初から言っているじゃねーか!」
 ユーインの脚も長いが、雪道に慣れた山育ちの子供の足も速い。ユーインは飛ぶように走るレヴィーを追いかけた。

 困ったように縮こまる村長を引き連れた一行に対し、クロムは頑として立ちふさがっていた。これ以上怪我人を働かせるなど、医者の卵としてクロムは許せないし、さらに働き手を動員させるとなると、この村が麻痺してしまう。
 大きな酒蔵のある家の前で、恫喝に怯える母親にしがみつき、涙目になっていたレヴィーにユーインを呼びに行かせ、クロムは毅然と胸を張って役人たちを睨み返した。
 クロムはただの役人としか聞いていなかったが、どうも政府関係者ではないかと考え直し始めた。言葉は所々わからないが、町役人にしては服装が立派だし、喚きたてているのは、その部下たちのようだ。
「我々は急ぐのだ!外国人の貴様がでしゃばるんじゃない!!」
「これ以上怪我人を増やしてなんとします!?医術を心得る者として、この村の人たちを働かせるのは反対です!!」
 慣れないベリョーザ語では、上手く言いたいことが伝わらなさそうだが、それでも言わないよりマシだ。
「相手は自然です。人間の力では限界があることぐらい、ご存知でしょう!?」
「これ以上先延ばしにしたら春になってしまうではないか!今年中に琥珀の調査をあげねばならんのだ!そこをどけ、このオヴィンニクが!!」
「お、こび・・・?」
 クロムには意味がわからなかったが、レヴィーの母親や村長が顔を引きつらせたところを見ると、あまりよい意味ではなさそうだ。それよりも、強い力で外套をつかまれ、拳が振り上げられた方が恐ろしく、クロムは思わず目を閉じた。
「げふっ!」
 ガツンとすごい音がして、クロムは外套の襟を引っ張られたが、すぐに温かい手が肩を包んでくれた。
「俺のクロムに汚い手で触るな、このゲスが!!」
「ユーイン・・・!」
 村はずれから、全力で走って戻ってきたのだろう。ユーインは頬を上気させて息を弾ませているが、それよりも殺気に溢れた目つきに、クロムは血の気が引く思いがした。クロムはユーインが外敵に対し、容赦しないことを知っている。
「ウサギ先生・・・!」
「レヴィー・・・ありがとう。お母さんのところへお行き」
 小さなレヴィーはクロムのそばにいたそうだったが、母親に抱えられるように引っぱっていかれた。
「このっ・・・この無礼者!」
「逮捕だ!」
 ぶん殴られて倒れていた者を含め、三人の男がユーインに襲い掛かったが、クロムが止める前に叩きのめされ、綺麗に地面に伸びてしまった。武術の心得もない軟弱な役人が、ユーインにかなうはずがないのだ。
 周囲に集まっていた村民からは、どよめきと賞賛の拍手まで上がっているが、ユーインが必要以上に暴力を振るいそうな気配がして、クロムは慌ててしがみついた。
「ユーイン!殺しちゃ駄目だ!!俺なんかのために国際問題になったらどうするんです!」
「・・・心配してくれるの?だけど、俺にはクロムが殴られる方が大問題だ!!」
 たまたま腰に刷いた剣を抜くよりも、拳で殴った方が早かっただけで、殺意を隠そうともしないユーインの怒りはまだおさまらないようだ。
 それまで成り行きを見守っていた、ひときわ立派な旅装の男が、動揺の欠片もない落ち着いた低い声で、初めて言葉を発した。
「ベリョーザ帝国財務第八機関の所員に暴行した罪、告発される用意があるようだな。氏名を名乗れ」
 それはベリョーザ政府の牢屋にぶち込まれることを意味しており、歓喜に沸いていた村民は青ざめたが、ユーインはそれまで怒りだけだった表情に、侮蔑するような微笑を加えた。
「道理が通じず、忍耐もなく、仁慈もない人間に名乗る名などない。文句があるなら、外務局に『オルキディア国王の嫡子の連れに難癖をつけたら、王子に殴られました』と訴えればいい。外務局がオルキディア大使館と交渉してくれるかもしれんぞ」
 ユーインが懐から出したパスポートには、王室関係者を表す金の飾り文字が、堂々と輝いている。
 それを、帝国の財務局員だという男は目を眇めて睨みつけていたが、相変わらず声の調子は落ち着いたまま、頭を下げた。
「・・・これは、ご無礼を」
「なに、皇帝陛下によろしくお伝えいただこう。ベリョーザの料理と蒸留酒は美味いので、大変気に入っている」
「恐れ入ります」
 財務局員の男はもう一度頭を下げ、そして何事もなかったかのように、歩き去って行った。おそらく、村長の家か、特別に用意されている宿があるのだろう。
「ユーイン!なんてことを・・・」
 クロムは敵国人同士でさえ和ませるユーインの話術に期待したのだが、まったく浅はかだったと自分を責めた。しかし、そんなクロムを見下ろして、ユーインはやっと表情を和らげた。
「あははっ。大丈夫だよ、クロム。オルキディア王国は、ベリョーザ帝国から琥珀や材木なんかを、他国より多く買っているんだ。この国にいる間は監視されるかもしれないけど、危害を加えられることはないよ」
「そういう問題じゃ・・・っ!」
 両の拳でユーインの胸を叩こうとするクロムを、ユーインはむぎゅうと抱きしめ、ほぅっとため息をついた。
「よかった。クロムが無事で」
「ユーイン・・・」
 ユーインがハロルドのいるグルナディエ公国ほどの頼りがない外国で身分をさらすのは、褒められた行為ではない。しかも、高位の身分だからこそ、暴力事件など起こしてはまずい。
 だが、そうでもしてクロムを守りたかった。その気持ちが、クロムには胸が苦しくなるほど嬉しかった。