白い大地の微熱 −2−


 午前中かけて、屋根中の雪を下ろし、何とか荷馬車が通れる程度の道を開けると、野菜のシチューやミートパイなどの温かな昼食をたっぷり挟んで、今度は薪割りにユーインは精を出し始めた。クロムは女将を手伝って、毛布や毛皮を干している。
「ユーイン、お茶が入りました」
「ありがとー」
 斧を置いて腰を叩くユーインを、トレイを持ったままのクロムがなんともいえない表情で見詰めており、ユーインは首をかしげた。
「どうしたの?」
「いえ・・・ずいぶん庶民的な王子だなと。薪割りって、経験がないと難しいのでしょう?」
「あははっ。まーねー」
 丸太が大量の薪に変わって積み上げられた前で汗を拭うユーインは、グルナディエ公国の野戦病院ですら、衛生兵のクロムにくっついて雑用をしていた。
 来年二十七になるユーインには、順位は低いものの王位継承権があり、豊かな赤毛とアクアマリンの目、人当たりの良い優しい笑顔がとても魅力的だ。数ヶ国語を操る英明さがあり、難路を踏破する体力と身を守る武勇があり、その場に素早く馴染むユーモアのセンスも抜群だ。高貴な出らしい立ち居振る舞いもでき、身分相応の場に出れば、着飾った貴婦人たちに囲まれること間違いない。
 それなのに、こうしてクロムと一緒に、隙間風の入ってくる薪小屋で、ヤギの乳で煮出した甘い茶をすすっているのは、ユーインの意思ではあるものの、根本的な原因は、彼の実家であるオルキディア王室の事情による。
 クロムはユーインと共に行くことを選び、それを幸せと感じたが、いまだにユーインの育ちのよさに気後れすることもあった。
「主人の具合はどう?」
「屋根から落ちたショックが少し残っているようで、いまは寝室で休んでいます。少し腰も痛むと言っていました。それから、この村に臨月の方がいるそうで、ええっと・・・ボリス先生といったかな?隣村の医師に、巡回ついでに診て貰えるのではないかということです。道が通り次第、ですけれども」
「そうか、よかったな」
「はい。それで・・・」
 言いよどんだクロムの表情に、わずかな戸惑いと嫌悪が影を差し、ユーインは眉をひそめた。
「なにかあった?」
「ええ。隣村との街道なんですが、どうも役人が通りたがっているようで、騒ぎになっていました。村の男衆が無理やり集められているみたいで・・・」
「なんだって」
 たまたま屋根から落ちたこの宿の主人は、怪我のために連れて行かれずに済んだらしい。
「道を塞ぐ雪は早めに退かされそうですけど、村の中によくない雰囲気が出ていますね」
「そうだろうな。どこも自分の家のことを片付けたいだろうに」
 屋根に雪が積もりすぎれば、いくら頑丈なベリョーザの家でも壊れる。雪が降っていないうちに、次の蓄えや冬篭りの準備をしなくてはならないのだ。
「クロムさん!クロムさん!!」
 甲高い声とどすどすと走ってくる足音が聞こえ、息切れと共に薪小屋の扉が開いた。
「どうしました、女将さん?」
「ああ、お願いがあるんだよ。街道の雪かきをしていて、怪我人が出たんだ。診てやってくれないかね?」
 はっと引き締まった表情がユーインに許可を求めてきたが、もちろんユーインは快く頷いた。
「俺も行こう」
「お願いします」
 ベリョーザ語に堪能ではないクロムでは、方言や訛りまじりの言葉が伝わりにくい。ユーインは布や棒切れを抱え、医療品の入った包みを持って走るクロムの後に続いた。

 現場は惨憺たる有様で、ユーインも思わずため息をついた。
「酷いな」
 雪崩というべきなのか、土砂崩れというべきなのか、木と岩と雪がまじり、まとめて山道を塞いでいた。まだ下敷きになっている人がいるようで、動ける人たちが必死に掘り起こしている。
 ざっと見ただけで、寝かされている人が五人、座っているが痛みに呻いている人が三人。
「申し訳ありませんが、重症の人から診させていただきます!待っている間に、傷口を洗って、服を緩めておいてください。体が冷えないように、毛布を持ってきてあげて下さい」
 歯切れよく指示を発しながら、クロムがてきぱきと手当てをしていく。はじめはクロムの特異な容姿に驚き戸惑う人もいたが、宿の女将が「従軍経験のある異国の医者」だと触れてまわり、診察を拒否することはなかった。
 救助活動は日暮れまでかかり、最後まで生き埋めになっていた人が犠牲になった他は、怪我の程度はあれ、何とか命拾いをした。みなクロムに感謝したが、助けられなかった命を思い、クロムの表情はけっして明るくはなかった・・・。


 ぱちぱちと暖炉で薪がはぜる暖かな部屋で、乾燥させる薬草の選別や、軟膏を練る作業を黙々と続けるクロムを、ユーインは邪魔しないよう、そばで眺めていた。
「ベリョーザに入る前に、もっと薬品を蓄えておくんでした。俺は、マエストロさんほど、野生の薬草に詳しくないし・・・」
「それは仕方がないよ。ここで何が起こるかなんて、一ヶ月前の俺たちにはわからなかった。今日はクロムがいたおかげで、この村の人たちはとても助かったんだ」
 医学生として学問を修めたクロムと、魔女の血族として子供の頃に修行を積んだサカキとは比べられない。自分を責めるクロムを、ユーインは穏やかに諭した。
「今年の冬は、どこの家も大変だろうな」
「そうですね」
 一家の働き手が負傷しては、力仕事の進みが格段に遅くなる。子供を抱えた夫人達の焦りが察せられた。
 コツコツと部屋のドアが叩かれ、ユーインが返事をすると、この宿の跡継ぎが顔を出した。父親に似てがっしりしているが、顔は母親の若い頃に似たのか、すっきりとしている。彼も街道の雪かきに駆り出されていたが、幸い怪我はなかった。
「蔵元の子が、お医者さんにお礼を持ってきているよ」
「え・・・俺に?」
「ほら、感謝は受け取るべきだよ」
 恐縮してまごつくクロムを、ユーインはクスクスと笑いながら手を引いた。
 宿のロビーで、鼻の頭を赤くしながらホットミルクをもらっていたのは、モコモコと着膨れた十代に入ったばかりと見える少年だった。ロビーに下りてきたクロムを見て驚いたのか、大きな目を真ん丸に開き、ぽかんと口が開いている。
「こんばんは。お父さんの具合はどうかな?」
「あ・・・ぅ、大丈夫。これ、じぃじが持っていけって」
 わたわたと差し出されたのは、ベリョーザ特産の蒸留酒のボトルだ。火がつくほどきついと有名だが、この国では誰もが軽く飲んでいる。
「あの・・・かーちゃんが、ありがとうって。うち、酒屋だから、このぐらいしかお礼できないけど・・・」
「そんなに気を使わないで。でも、ありがとう。お母さんとおじいさんによろしく。お父さん、早く元気になるといいね」
「うん」
 酒瓶を手渡した少年の顔が、寒さのせいではなく、真っ赤にほてった。
「俺、レヴィー。お医者さん、ザーイエッツみたいだ。とっても可愛いよ」
「ザーイエッツ?」
 きょとんと首をかしげたクロムの後ろで、大人気なく目を据わらせたユーインが、低い声で訳した。
「ウサギさんだって」
「うさ・・・」
 クロムの白い髪と赤い目を、怖がるどころか兎と称した少年に、言われた当人はくすぐったそうに微笑んだ。