白い大地の微熱 −1−


 半月ほども吹雪が続いた後、久しぶりに青く高い空を見上げて、クロムは眩しさに手をかざした。色素の薄いアルビノの赤い目には、太陽の光も、地上からの照り返しも厳しいのだ。
「すっげー・・・これ道まで雪除けると、人の背丈軽く越えるよな」
 大きなシャベルを片手にユーインが見下ろしているのは、建物一階を窓の高さまで埋め尽くし、外階段もクロムたちの足元まで埋めた、雪、雪、見渡す限りの雪だ。まわりの民家も、日の当たらない場所は、白い屋根や二階から上しか見えない。
「いやぁ、悪いね。お客さんにまで手伝ってもらっちゃって」
「いいっていいって。どこから始めたらいい?」
「俺ぁ屋根の上やっから、お客さんはとりあえずこの階段と、表通りまで道開けてくれりゃ十分でさ」
「りょうかーい」
 こわいヒゲを蓄えた宿の主人が、熊のような巨体を軽々と屋根の上に乗せ、ざくざくと雪を下ろし始めた。
「じゃ、俺たちも始めよっか」
「はい」
 クロムはブリキの大きな塵取りを持ち上げ、ユーインが割り砕いた雪の塊を、邪魔にならないよう積み上げた。
 二人はユーインの故郷オルキディアを出発して、グルナディエ公国のハロルドを訪ね、それからアウラ山脈のエクラ王国側を北上し、ベリョーザ帝国の入り口であるクレーヴェル村に着いたのが今月の初め。それから十日以上も続く吹雪に見舞われ、帝都ラズーリトにむかう足止めをくらっていた。
 ベリョーザ帝国を訪れる観光客は、雪で閉ざされる寒く厳しい冬を避けるものだが、ユーインはまったく気にしていない。異邦人に澄ました顔を見せる観光地よりも、人々の暮らしが身近に感じられる地方を選んでいるからだろうか・・・。もっとも、いざとなったら大使館がどのようにも便宜を図ってくれる身分なので、冒険に躊躇がないだけなのかもしれない、とクロムは薄々感じていたりもする。
 雪の中に突き立てたシャベルの先が、がつんと弾かれて、ユーインは首をかしげた。
「ん?あれっ、柵だ。ということは、道路はもう少し向こうか?」
「ユーイン、標識があそこにあります」
「おっけー」
 背の高い木は見えるものの、視界をほとんど塞ぐ雪の壁のせいで、方向感覚も狂いそうだ。積み上げた雪山の上でクロムが示す方向へ、ユーインはシャベルの進みを変えた。
 ここは豪雪地の山間部とあって、冬の移動手段はほとんどないに等しい。クレーヴェル村は、大雪があると街道が完全にふさがり、周囲との連絡が途絶えてしまう。
(こりゃ、この村で越冬かなぁ・・・)
 ユーインはもう少し栄えている、雪の少ない町まで行きたいと思っていたのだが、どうも難しそうだ。冬至の祭も新年の祝いも、ささやかで素朴なものになりそうだ。
「この地方は、毎年こんなに雪が積もるんですか?大変ですね」
「オルキディアもグルナディエも、あんまり雪が降らない温暖な国だからなぁ・・・」
 ユーインとクロムがたてる、ざくざくという音に混じって、なにか重みのある音がした。二人はどこか崩れたのかと見渡し、雪が半端に下ろされ、人影のない屋根を見つけた。
「主人!」
「ご主人、大丈夫ですか!?」
 シャベルと塵取りを放り出し、歩きにくい雪の上へよじ登ると、大の字に倒れた宿の主人が、半ば雪に埋もれてもがいていた。
「あたたぁ・・・。しくじった」
 彼がいたのは一階の張り出した屋根の上だったが、地上の雪が一階をほぼ埋めているので、それほどの落差はなかったようだ。雪もまだ柔らかく、大柄な男の体重も沈むことで受け止められたらしい。
 ユーインとクロムは、宿の主人を雪の中から引っ張り出した。
「大丈夫かい?」
「ああ、世話ぁかけた・・・っ」
 立ち上がりかけて両手をついた宿の主人を、クロムは素早く、無理のない体勢に落ち着かせた。
「どこが痛みました?左ですか?」
「いや、ちっと強くひねっただけ・・・」
「こっちですね!」
 てきぱきとブーツを脱がそうとするクロムに、大柄な宿の主人は慌てたが、ユーインがまぁまぁと肩を叩いた。
「クロムは従軍経験のある医者だから、任せなよ」
「軍医さんだったのか・・・!」
「ただの衛生兵です!ユーイン、変なこと吹き込まないでください」
 クロムに主人の腫れた足を真剣に見詰めながら釘を刺され、ユーインは苦笑いを浮かべた。
「痛いのは足首だけですか?こっちは?」
「いや、そっちはなんともねぇ・・・いででっ!」
 脛や膝は平気そうだが、腫れ始めた足首の向きを少し変えただけで飛び上がった主人に、クロムは形の良い眉をひそめながら言った。
「・・・捻挫だけだと思います。もしかしたら骨にひびが入ったかもしれませんが、俺では判断できません。とにかく、固定しましょう。ユーイン、女将さんに、水桶と手ごろな薪を二、三本、それから手ぬぐいをいくつか頼めますか?」
「わかった」
 ユーインの報せを受け、必要な物を抱えて女将がやってきたとき、クロムは冷たい雪で腫れた足を冷やしていた。
「ああ、あんた!」
「すまねぇ、どじっちまった」
 クロムは冷水と雪でキンキンに冷たくした手ぬぐいを巻きつけ、ユーインに手伝わせながら添え木をたてて、動かないようしっかりと縛った。
「これで、とりあえずは大丈夫です。この村にお医者様は?」
「隣のジュレーヴリ村にボリス先生がいるけど、道がこれじゃあ・・・」
 主人と同じくらいの重量がありそうな体で、女将はおろおろと青ざめるが、クロムは柔らかく微笑んだ。
「そうですか。出来れば診ていただいた方がいいと思いますが、ひとまずご主人は安静にしていてくだされば、これ以上悪化することはないでしょう」
「そう」
 女将はほっと胸をなでおろしたようだが、主人の方は難しげに口を尖らせた。
「安静ったって、仕事が・・・」
「歩き回らないでください。一生歩けなくなってもいいんですか?」
 クロムにぎろりと睨まれ、熊のような主人は押し黙った。
「大丈夫だよ。俺たち、雪が解けて道が通れるようになるまでここにいるからさ。仕事手伝うよ」
 にっこにっこと邪気のない笑顔でユーインが提案し、まごついている夫妻に、さりげなく滞在の延長を付け加えた。