白い悪魔−1−


 長く一緒に過ごしていると、そうと言わずとも、気がつくことがある。
 暖炉にくべられた薪が、ぱちんとはじける。炎は小振りながら赤々と輝き、織物が贅沢に敷き詰められたサンダルフォンの執務室を、適度に温めている。
 マルコは今年使う支援物資に関する資料をそろえながら、ちらりとサンダルフォンを盗み見た。厚手のカーテンを少しだけ除け、室内の暖かさに曇りがちな窓ガラス越しに、しんしんと雪が降り続く街並みを見ている。
 濃い色の豪華な金髪、すっきりとした鼻梁、長い睫に縁取られた明るい緑色の目は、時折青味を帯びて見えることがある。普段の行いや性格を知らない人なら、社会的弱者に尽くす聖職者然とした姿や慈悲深い微笑みを向けられて、この世に舞い降りた天使と思うに違いない。
「・・・・・・」
 誰が見ても美形だと太鼓判を押すだろうその顔の中で、雪を眺めている時の唇だけは、何かに抗うかのように引き結ばれているのを・・・はたして、マルコ以外の何人が知っているか。
「今年の雪は早いですね」
「・・・そうだな」
 まろやかな低い声が、どこか底冷えするように、寒々とした響きを残した。サンダルフォンは今、雪の向こうのどこか遠く・・・マルコの知らない、過去の時間を見ているのに違いない。
 マルコは資料をサンダルフォンのデスクに残し、そっと彼の執務室を後にした。
「・・・・・・」
 いつのころからだったか、サンダルフォンが冬を嫌っているのだと気付いたのは。


「え?サンダルフォンが冬を嫌い?」
「うん。理由を知らない?」
「うーん・・・思いつかないなぁ。まぁ、暑いのより寒いのが嫌いっていうのは、聞いたことあるけど」
「そうか・・・」
 マルコのやや平板な静かな声に、明るくも寂びた男の声が答えている。
 家族だけで使うダイニングキッチンに、コーヒーの入ったマグカップが二つ。マルコの前にひとつと、誰もいないその向かいにひとつ。
 ずずっという音にマルコが顔を上げると、そこには中身の少し減ったマグカップ。相変わらず、誰も座っていない。
 幽霊ではない。アサシン系の冒険者が使う、クローキングスキルのせいだ。そこにはたしかに、アサシンクロスの男がいるはずだ。
 姿を見られることを極端に避けるこの男の素顔は、マルコでも数えるほどしか見たことが無い。それも、意識が朦朧とした発作の時がほとんどで、細かい造作なんて覚えていない。マルコより、七つか八つ年上だというのはたしかだ。
「ジョッシュでも知らないなんて・・・」
 彼はサンダルフォンの屋敷内の、ほぼ全ての雑事を片付けることを自任しており、まるで童話に登場する屋敷しもべ妖精のような状態を何年も続けていた。執事兼メイド兼用心棒である。
「んにゃ・・・俺だって、メグさんのときからの付き合いだし。それより前なら、クラスターの旦那の方が知ってるんじゃねぇ?」
「そうかぁ。・・・でも、あの方が知っていると思う?」
「激しく低い可能性だぬ」
「だよねぇ・・・」
 凶悪対人ギルドのマスターが、いくら昔馴染みだとは言え、そんな細かいことを覚えているような性質だとは思えない。
「冬かぁ・・・メグさんの事件も寒い時期だったけど、どっちかっていうと春が近かったしなぁ」
「雪に関しては、なにか?」
「見当もつかん」
 肩をすくめているような気配が、すっとマルコの目の前に移動してきた。
「何でそんなこと、急に気になったん?」
 声の調子は軽いが、けっして他人を軽んじたりしない、思いやりのあるこの男を、マルコはサンダルフォンやサカキとは別に、心から慕っていた。
「・・・なんとなく。サンダルフォンが・・・少し、苦しそうに見えたから」
 毎年見ているのに、今年だけ、というものでもあるまい。マルコが感じ取れるほど鋭くなったのか、あるいはサンダルフォンが気を緩めるようになったのかはわからないが。
「ふぅん。俺がいっても、話しゃしないだろうけどな。まぁ、人肌恋しいってんなら、おにーさんが温めて上げましょう〜!」
「ジョッシュの場合、夜這いって言うんじゃ・・・」
「ふふん、襲ったもん勝ちなんだよ」
「スパイクで殴られても知らないよ」
「クリティカルはやめてッ!さすがにおにーさんにも当たっちゃう!当たってもサンダルフォンの物理攻撃なんて痛くないけど・・・つか、襲い受けを殴らないで!?」
 いやーんと体をくねらせるように気配が遠のき、またマルコには、ジョッシュがどこにいるのかわからなくなった。
「マルコが直に聞けばぁ?話してくれそうじゃん?」
「・・・そうかな?」
 空になったカップがいつの間にかテーブルの上から消え、流し台の方でカチャカチャ音がする。
「いちおー、血が繋がっているし?マルコも大人にもなったわけだし」
「・・・でも、踏み込まれたくない話だったら?」
「そんときゃ断るなり誤魔化すなりするだろうぜ?つか、そもそも気付かれるような態度しないんじゃね?」
 それもそうか、とマルコは頷く。
「ありがとう、ジョッシュ」
「おう。そんなわけで、今夜は夜這い決定だ。邪魔すんじゃねぇぞ」
「ホーリーライトで沈むといいよ」
 可愛くないわねッ!というオネエ言葉を背に、マルコはダイニングキッチンを出た。
 ふざけた言葉遣いのジョッシュだが、あれでも一応サカキのセックスフレンドの一人だったという男だ。中身はきっちりしているし、サンダルフォンの顔が好きと断言して住み込み家政婦を始めたツワモノでもある。
 大聖堂の牢獄から救出され、右も左もわからないマルコに、「まわりの人間が変人過ぎる」と言って、偏りの無い一般常識を教えてくれたのはジョッシュだった。はじめは姿が見えないのが嫌で、覚えたてのルアフであぶりだそうとしたが、発作を鎮めるのを手伝ってくれてからは、諦めた。
 普段は普通に冒険者をしている(らしい)し、人前では常にクローキングしているせいで、屋敷の中にいるのかいないのかわからないが、マルコにとっては何でも相談できる人だ。
(お母さん・・・って言ったら怒るかな?)
 実の母からは見捨てられたマルコには、いくつになっても親身に話を聞いてくれるジョッシュが、母親のように感じられても不思議ではないかもしれない。
(ジョッシュがいいって言うなら、直接聞いてみよう)
 少しドキドキと緊張する胸を押さえ、マルコはサンダルフォンの部屋をノックした。