白い悪魔−2−


 私室でくつろいでいたサンダルフォンは、ドアのそばで突っ立ったままのマルコに首をかしげた。
「どうした?」
「あの・・・ちょっと聞きたいことが・・・」
 どう切り出そうかともじもじしているマルコを手招きすると、サンダルフォンは自分の隣の安楽椅子を示した。
「何か悩み事か?」
 ちょこんと座ったマルコは首を横に振り、人形のように整った繊細な顔を、少しだけ困ったように翳らせた。
「僕の悩み事じゃなくて・・・サンダルフォンに聞きたいことが。その・・・僕の勘違いかもしれないけれど・・・」
「なんだ?」
「・・・サンダルフォンは、冬が嫌いなんですか?」
 マルコがあまりにも神妙な雰囲気で聞いてきたので、サンダルフォンは逆に、ぽかんと口が半開きになった。
「は?・・・まぁ、たしかに嫌いだが・・・」
「そうですか」
 見当違いなことを言わなかったというだけで安堵したのか、マルコの表情がほっと緩む。
「なんだ、急に?」
「いえ・・・。雪が降っているのを見ていて、なにか、ひどく・・・拒むような・・・」
「ああ・・・」
 雪空の下で働く人の苦労とか、寒さに凍える貧しい人への憐憫とか・・・。サンダルフォンは一瞬、そんなことで片付けようとしたが、苦笑いを浮かべてマルコの頭を撫でた。彼は「嫌そう」とも「辛そう」とも言わなかったのだ。
「マルコはどんどん鋭くなるな。このままでは、私の考えなど全て見通されてしまう」
「サンダルフォン・・・」
 頬を赤らめて膨らますマルコに、サンダルフォンの笑みはさらに深くなる。
「怒るな。からかったわけじゃない。・・・たしかに、私は雪が大嫌いだ。子供の頃から変わらん」
 自嘲というには深すぎる悲哀を感じたか、マルコはきゅっと自分の法衣を握り締め、サンダルフォンの次の言葉を待った。
「・・・私が私生児だったというのは知っているな?子供の頃は、母と二人きり、貧民街で細々と暮らしていた。食べる物も着る物もろくに無くて・・・。私がノービスになった年だった。とても寒い大雪の日に、母が死んだ・・・と思う」
「ぇ・・・思う?」
 思わず聞き返したマルコに、サンダルフォンは悲しそうに微笑んだ。
「住んでいたボロ小屋が、雪の重みで潰れたのだ。私はなんとか生きて助け出されたが、元々寝たきりなほど体の弱っていた母は、助からなかった。・・・あの時は、私も凍死寸前で、いつから母が息をしていなかったのか、正確に覚えていないのだよ」
 サンダルフォンは立ち上がり、窓の厚いカーテンを引き開いた。雪は降っていなかったが、夜闇にも家々の屋根や道の脇に積もった、白い輝きが見えた。
「雪は大嫌いだ。冷たいし、寒いし・・・そこにあったものを、全て覆い隠してしまう。見なくていい、忘れてしまえといわんばかりだ・・・」
 サンダルフォンが助けを求めたなかで、たった一人のプリーストを除いたことごとくが、都合の悪いものから目をそらせ続けた。その結果、適切な援助が受けられないで、優しかったサンダルフォンの母は、冷たくなってしまった。
 サンダルフォンは、自分の手を振り払わないで抱き上げてくれた、冒険者のプリーストに感謝こそすれ、自分達を見捨てた大聖堂に感謝しようと思ったことはない。
「忘れることは、悪いことではない。過去の思い出にしてしまわねば、進めぬこともある。・・・それでも、私は雪が嫌いなのだ。母を凍え死にさせ、メグの墓石を覆い隠してしまう雪が・・・雪を降らせる寒い冬が、私は大嫌いだ」
 握り締めていたカーテンを閉め、サンダルフォンはマルコに向き直った。
「まるで子供だろう?ちっとも成長しないと、自分でも呆れるのだよ」
 サンダルフォンの代わりに今にも泣き出しそうに、綺麗な青い目を潤ませるマルコの頭を、サンダルフォンはくしゃくしゃと撫でた。
「そういうわけだ。おかしな気を使わせて悪かったな。気をつけるとしよう」
「いえ・・・すみません、つらい話を・・・」
「かまわん。むしろ、今まで聞いてくる人間がいなかった。私も少しすっきりしたよ。ありがとう」
 ぽろぽろと涙が伝う頬にキスをすると、サンダルフォンの頬にも柔らかな唇が触れた。
「話してくれて、ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみ」
 可愛い従兄弟の白い法衣がドアの向こうに消えると、サンダルフォンの美しい唇が、色気の無い言葉をつむいだ。
「ルアフ」
「ぎゃんっ!ク、クロー・・・」
「レックスディビーナ!!」
「!!!!!!!」
 べちっべちっと光の妖精に叩かれながら、サンダルフォンの背に抱きつこうとしていた男の影が、必死にソファの向こうに隠れようとしている。
「まったく・・・最初から聞いていたな、ジョッシュ?」
 ソファの向こうで、こくこくと頷いている気配がする。サンダルフォン相手では、正直であること以上に、身を守る術はないのだ。
「聞かれて困るわけではないが、マルコを利用するなんて、やり方が汚いぞ」
「ぷはっ・・・シツレイね!利用なんてしてねーよ!マルコの方が話を持ちかけてきたんだ」
 緑ポーションを飲んだらしいジョッシュの、ソファ越しの抗議に、サンダルフォンは苦笑を零しながら、室内灯を消した。暗くすれば、ジョッシュは逃げない。
「マルコに勇気を出させておいて、自分はこっそり盗み聞きすることの、どこが『利用していない』だ」
 ソファに乗り上がり、その背の向こうに腕を伸ばして、ダークブラウンのはずの髪に包まれた頭を小突く。
「家政婦は聞い・・・ぃてっ・・・」
「ん?髪切ったのか」
 以前見たときは後ろで結ぶほど長かったはずだが、いまサンダルフォンの手に触れる、少し硬い髪は、そんなに長くない。
「おー。だいぶ前な」
 キシシと笑うジョッシュの、タコや節のあるごつい手が、サンダルフォンの手に触れた。
 そのまま、サンダルフォンの両頬が、長めの髪ごと包まれる。
「ん〜っちゅっ」
「・・・緑ポの味がする」
「色気ねぇ・・・んっ」
 耳の後ろを指先で撫でると、ジョッシュの体がひくんと震える。
「いやらしい体の家政婦だ」
「普通に敏感って言ってくんない?」
 暗闇の中で得られる感触が、唇、舌、もどかしげに肩に絡まる腕と、増えていく。
「はっ・・・サンダルフォン・・・」
 何度か見たことのある、秀でた額を撫で、くっきりとした眉や彫りの深い顔立ちをなぞり、広い頬を両手に挟んで、口付ける。めったに触れないせいか、余計にジョッシュという存在を鮮明に思い出される。
「・・・そういえば、いつも都合よくいるのはどういうわけだ?」
「ひでぇ。俺はいつだって、アンタの顔を見ていたいんだぜ?特に凹んでいる時は、体も狙い時だよな」
 ぬけぬけと言うジョッシュの、待ちきれないように服を脱ぎ捨てた体は、きちんと筋肉が付いていながら、細身でしなやかなシルエットを浮かび上がらせている。
 綺麗なシーツが広がったベッドの上で、ジョッシュはサンダルフォンの腰にしゃぶりついたまま、膝を立てて開いた脚の間に自分で手を伸ばしている。くちゅくちゅという自分で広げる音が、舌で奉仕されるサンダルフォンの耳に心地よい。
「んっ・・・ふ、ぁ・・・あっ!・・・は、はやく・・・っ」
 敏感な首筋から耳の裏に舌を這わせ、ぴんと勃起した乳首を指の腹で押しこねると、我慢できないと強請ってくる。
「はっ!・・・ァアアッ!!」
 盛り場で他の男にも抱かれ、よく慣れたそこなのに、サンダルフォンを迎えただけで快感を持て余し、絞り上げるように蠢く。
「っ・・・本当に、体は正直だな」
「な、にがっ・・・ひぅ・・・はっ、おれは、いつだって・・・んぁああッ!!あっあぁっ!・・・サンダルフォン・・・!!」
 激しく突き上げられ、奥まで蹂躙されながら、ジョッシュは何度も腰を振って達し、何度も吐き出されながら嬌声を上げた。
「ひぃい・・・っ!も、ぉ・・・っ、ぃっぱ、い・・・!また、またぁ・・・で・・・あああっ!くっ、ィくぅうッ!!」
 サンダルフォンがやりたいように任せながら、全身で快感を味わいつくして果てると、ジョッシュはサンダルフォンの隣に寝そべり、実に満足そうに微笑んだ。
「う〜ん、シアワセっ」
「・・・欲の無いことだな」
「そぉかぁ?」
 呆れるサンダルフォンに、ジョッシュはクスクスと笑う。暗さに慣れたサンダルフォンの目には、乱れたダークブラウンの髪を、オールバックに撫で付けるジョッシュが見えた。
 彼はサンダルフォンより年下だが、無精ひげにシケモクが似合いそうな、実におっさん臭い雰囲気をかもしており、完璧なネコなのが不思議なほど、逞しい前衛職の普通の男だ。ただ、少し顎をあげたときの喉仏のラインや、その仕草に、妙に色気があるのは認める。
「・・・たまにはいいな」
「ん?二日にいっぺんでもいいぞ〜。毎日はさすがに若くねぇからなぁ・・・」
「はぁ・・・そうじゃない」
「ぁん?」
 サンダルフォンは、またジョッシュの髪が乱れるのも気にせず頭を抱き寄せ、薄い唇に吸い付いた。
「ジョッシュの体温が高いから、寒いのもたまにはいいかなと思っただけだ」
 サンダルフォンにしては支離滅裂な言い方に、呆けていたジョッシュが慌てて顔を覆っている。
「・・・ひきょーだぞ」
 小さな声でぶつぶつと文句を言うジョッシュに、サンダルフォンは言いたいことがあったが、まだそれを素直に言葉にできそうもなかった。
「・・・でも、もう雪は怖くないな」
 寝台に一人で朝を迎えても、キッチンからせわしない音やいい香りが漂ってくる。それだけで、寒い冬も温かくなった。