ささやかな復讐劇−1−


 ユーインの悪巧みにより、なぜか野球拳で脱がされる羽目になったハロルド。
 クロムとユーインの目の前で、ハロルドはあわや全裸をさらすところを、クロムの機転とサカキの素早い行動に助けられたわけだが・・・。
(うぅ・・・怒ってる・・・)
 自室に閉じこもってしまったサカキが怖くて、ハロルドはしょんぼりと膝を抱えている。
 助け出されたそのときは、「勿体無いことをするな!見ていいのは俺だけだ!」と、一喝されるにとどまったのだが、それからもなにやらサカキは機嫌が悪い。もしかしたら、申し訳なさげに謝りに来たクロムを、サカキは厳しく非難したのに、ハロルドはあっさり許したからなのかもしれない。
(仕方ないじゃん・・・)
 言質を取られて抵抗できなかったクロムは悪くないし、ユーインだって、ハロルドをいじめようなどと思ってやったわけではない。悪ふざけではあるものの、ハロルド当人なら笑ってすませられるシャレだ。・・・ただ、ハロルドの恋人にシャレが通用するかどうかまでは、考えていなかっただけだ。
 ハロルドだって、自分をサカキに独占して欲しいと常々思っているのだから、サカキの勘気は嬉しい。ただ、誰にでも寛大なハロルドの気質のせいで、サカキの怒りの行き場がなくなり、ハロルドに対する感情に矛盾をきたしてしまっているのだ。しかも、まったくサカキは悪くないので、サカキの不機嫌さは正当で当然の成り行きといえる。
(やっぱり俺が悪いんじゃんか・・・ダメだなぁ)
 情けなさにじわっと涙が浮かび、痛くなってきた鼻の奥をくすんと鳴らす。
 サカキにただ謝ったとて、ハロルドは悪くないと言われるに決まっている。彼の機嫌を直すには、もっと別のことが必要なはずだ。
 ハロルドは膝を抱えた腕に力を込めて顔を埋めるが、仲直りする言葉は思いつかず、悲しい気持ちしか湧いてこない。自分の頭の悪さには、ほとほと愛想が尽きる。
「たれちゃん、俺どうすればいいかな」
 ベッドの枕元から、サカキそっくりのたれ人形が、じっとハロルドを見つめているが、もちろん答えなどない。
 ハロルドが深くため息をついたところで、隣の部屋のドアが開く音がした。
「ハロルド」
「は、はいっ」
 慌てて立ち上がり、玄関のドアを開くと、外出するつもりらしいサカキが立っていた。
「・・・なんて顔している」
「え・・・あ・・・」
 この世の終わりみたいな顔をしていたのだろう、ハロルドは自分の頬を擦ってみた。
「ユーインのところに行ってくる」
「えっ!?」
 ハロルドは驚いたが、サカキはもう怒っていないようだ。むしろ機嫌がいいくらいで、小さく苦笑を滲ませている。
「別に文句を言ったり、喧嘩をしたりしに行くわけじゃない。新しい薬の臨床試験に協力してもらうだけだ」
「そ、うですか・・・。そうですよね!」
 やっぱりサカキは大人で、悪意のない悪戯被害に、いつまでもこだわったりしないのだ。サカキの機嫌が直ったことが、ハロルドはとても嬉しい。
「すぐに戻るから、俺の部屋で留守番頼む。これでも飲んで待っていてくれ」
「わぁ、ミックスジュースだ!ありがとうございます」
「じゃあな」
「いってらっしゃーい」
 ハロルドはサカキを見送ると、一気にストローを吸い上げた。うじうじしている間に、かなり喉が渇いたのだ。
「美味しいぃ〜!」
 ゴキゲンで自分の部屋を出て行くハロルドを、ベッドの上からたれサカキが見つめていた。


 毎度のトラブルで、ユーインの悪戯やクロムの泣き言にはだいぶ慣れたはずだったが、今回はさすがに、サカキもむくれざるを得ない。大事なハロルドを剥いていいのは、サカキだけなのだから。
 それなのに、ハロルドはあっさりと許してしまい、サカキは立つ瀬がない。もっとも、ハロルドのそんな優しいところも好きなのだが・・・。
(俺はハロルドほど優しくはないぞ)
 相応に分別があり、悪いことをしたと自覚のあるクロムならまだ話が通じるが、正邪の区別よりも自分のやりたい事を信じ、しかもそれをこなす馬力のあるユーインをたしなめるには、言葉だけでは足りないだろう。
 ハロルドはサカキの機嫌が悪かったせいで泣きそうな顔をしていたが、別れる時はいつもの笑顔になっていた。・・・帰ったらもっとイイ顔にさせてやると、サカキは不埒な予定を立てる。
 エルドラドの溜まり場がある酒場へたどり着く前に、サカキは大通りでユーインを見つけた。呼び止めると、一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、サカキに詰るつもりがない空気を感じ取ると、いつもの人当たりのよい笑顔になった。
「さっきは言い出し損ねた。悪いんだが、臨床試験に協力してくれないか?」
「臨床試験・・・?俺どこも悪くないですよ?」
「スピポみたいな物だ。逆に、健康な人間でないと、正確なデータが取れん。あいにくと、ハロルドがいま、別の薬の服用期間でな」
「そうですか」
 サカキが差し出した、濃い赤色の試験管を、ユーインは疑うことなく受け取った。
「味は苦いから、一気に飲んでしまってくれ」
「はい」
 試験管の栓を抜いて一気に煽ると、ユーインは顔中に苦いと書きながら、サカキが差し出したリンゴジュースを飲んだ。
「苦ッ・・・なんの薬ですか?」
「精力減退剤だ」
 口の中の苦味がおさまるのにつれて、サカキの言葉も飲み込めたらしく、ユーインの顔色が面白いほど変わっていく。
「え・・・ちょっと・・・!?」
「ああ、安心しろ。恋愛感情が消滅するとか、性感帯がなくなるとか、一生起たないとか、腐ってもげるとかは、まったく絶対に、ない・・・はずだ。俺が、保証する」
 サカキはことさらゆっくりと、ひとことひとこと念を押すように、真面目な顔でユーインに告げた。
「じわじわと、ながぁ〜く効くと思うぞ」
「そんな・・・!」
「じゃあな」
 サカキが踵を返して立ち去ると、背後で悲痛な叫び声がした。
「クロムで起たなくなるなんて俺じゃなぁあああい!!!」
 名指しで性愛対象だと暴露されたクロムのためにも、サカキはその恥ずかしい内容を記憶から消去した。
「あー、すっきりした」
 ユーインが飲んだのは、レッドスリムポーションに、ポポリンの好物である「とても苦い草」をすりつぶして混ぜただけの物で、サカキが言った様な効能はない。もっとも、腹を壊したら、その限りではないが。
 いまごろ、溜まり場に駆け込んだユーインが、自分の恋人に対して体がちゃんと反応するのか、びくびくしながら様子をうかがっているに違いない。
(これで少しは懲りるといいんだが・・・)
 大して長続きはしないだろう、とサカキは眼差しを遠くして嘆息する。良くも悪くも、主にクロムに対して発揮されるしぶとさが、ユーインの長所でもある。
(だけど次やったら、今度こそ起たなくなるやつを、クロムに飲ませてやる・・・!)
 エロい体に開発した恋人が、自分のテクニックに無反応になってしまったら、ユーインは発狂しかねないだろう。不能薬の上から催淫剤を飲ませたとて、同じサカキの作ならば、簡単に効果をブロックする自信がある。真っ青になって自分のところに怒鳴りこんでくるユーインの姿が容易に想像できて、サカキはくつくつと喉の奥で笑った。
 薬屋を怒らせると怖いということを、きちんと示さねばならない。それも、ハロルドに対する愛情あるからこそ。
 とりあえず、今回はこれで一応、腹の虫はおさまったので、あとは自分の恋人を心行くまで可愛がるだけだ。
(美味かっただろう、ハロ?)
 サカキ謹製夜のオクスリが入っているとは知らずに、渡されたミックスジュース飲んだであろうハロルドが、いまごろ自分の部屋でどうなっていることか・・・。サカキは足取り軽く、家路を急ぐのだった。