嵐華の春 −8−
夕方になり、ベリョーザ大使館を訪れたユーインとクロムは、それぞれが着替えのために別室へ通された。
「おおっ、よくお似合いですぞ!」 深紅に金や銀や黒を配した派手なアドミラルジュストコールに、黒地に白いボアの縁取りと赤やオレンジの羽根飾りがされたトリコヌルをかぶせられ、ユーインは苦笑いを浮かべた。シルクのシャツに首元にはたっぷりとしたクラヴァットが巻かれ、真っ赤なジャケットの衿や袖、それに前合わせの切り返しは黒く、銀のレエスが全面に張られ、大きな金ボタンが並んでいる。子供が想像する海軍の大将を、さらに派手にしたような格好だ。 「そうかな。俺なんかより、ラスカー殿の方が板についていると思うのだが」 「私はもう、毎年のようにやっていますからな」 ラスカーは全身を真っ黒なマントに覆わせ、羽根で作られた巨大な帽子をかぶり、鳥の嘴ように尖った仮面をかぶっていた。声を聞かなければラスカーだとはわからず、カーニバルでないのに夜道に立たれたら悲鳴を上げるレベルだ。 「仮装とはいえ、髪飾りを外していただくことになり、申し訳ありません」 「え、ああ・・・・・・」 ユーインの頭にいつもあったクロム作の髪飾りは、いまはコートの内ポケットに収まっていた。 「どうして、これを気にかけて?」 「それはベリョーザの琥珀でございましょう?しかも、既製品としては珍しい形をしてらっしゃる・・・・・・。以前我が国にお見えになった時は、クレーヴェル鉱山の近くにおいでだったとか」 ユーインたちの情報は、ずいぶん行き渡っているようだ。ラスカーが実際どこまで知っているのかはユーインにはわからなかったが、だいぶくたびれてきた羊毛が、常に身につけていることを悟らせたのだろう。 失礼します、とメイドがドアを開け、ド派手なカーニバルドレスの女性が二人入ってきた。その二人は並んで歩いていたが、メイドよりもかなり背が高く見えた。 「・・・・・・え、もしかして、クロム!?」 「はい・・・・・・」 白を基調に金や桃色の細かい刺繍を施したドレス姿が、花を盛り盛りにした帽子の下で、カラフルなビーズで装飾された仮面を取り、ユーインが見慣れた恥ずかしそうなクロムになった。 「よく似合っているでしょう?」 その隣に立つ黒いドレスは、女にしては低いものの、セクシーな擦れ声で、猫の形をした仮面をクロムに近付けた。 「アタシの見込み通り。ねぇ、見て見てぇ。コレもぉ詰め物がっちり、ばっちりなのよぉん」 「これ、アゼル」 「アゼル!?」 「うふふっ・・・・・・あはははっ」 女の擦れ声が、男の快活な笑い声に替わった。 「あはっ、はぁ・・・・・・ああ、コルセットが苦しい。この格好で笑うのは自殺行為だ」 扇でパタパタと自分をあおぐアゼルは、やっぱり声が男でないとアゼルだとはわからない。黒い布で覆われた頭部には、レエスやビーズで飾られた猫耳型の帽子がかぶせられ、首元も布に覆われているので、元の骨格を推し量るのは難しい。 クロムもアゼルも完璧にドレスを着こなしていたが、それはコルセットやペチコートなどを使い、締めるところを締め、膨らませるところを徹底的に膨らませ、崩れないようにかっちりとまとめ上げた成果だ。 「あの・・・・・・どうしてもこの恰好で行くのですか?」 「しょーがないよねえ。舞踏会って、男女で行くものなんで」 消え入りそうな声で聞くクロムに、アゼルは諦めてくれと背を叩き、再びセクシーなファルセットを出した。 「こほん・・・・・・では、殿方たち、お待たせいたしました。参りましょうか」 バッツィーニ城館に馬車で乗り付けた四人は、すぐに賑やかな広間に溶け込んでいった。なぜならば、給仕の人間以外は、みな豪華なカーニバル衣装をまとい、派手な仮面をかぶっていたからだ。 「誰が誰なのか、わからないんじゃないですか?」 「それがいいのですよ。ここにいるのはカーニバルの道化たち。その言葉に惑わされては、外交官や政治家など、とうてい務まりませぬ」 クロムの疑問に、ラスカーは喉の深くで笑い声を立てた。 「とはいえ、馴染みのある者には・・・・・・」 巨大な三日月を頭に乗せた、紫色の服を着た人物が親しげに近づいてきて、ラスカーが仮面の下で苦笑いを浮かべたようだ。クロムが聞き取れないほど早いジェメリ語でやりとりがされ、紫色の三日月人間がユーインを見て大げさに驚いてみせた。 「なんと!これは望外の幸運!お初に御意を得ます、ユーイン殿下!それがしは旧アンジェロ王国領より参りました・・・・・・!」 どうもジェメリ国の有力な領主のようで、ユーインも気さくに会話を続けているが、この早口な人物は感激屋なのか、ひどく声が大きい。クロムが見ている間に、次々と同じような衣装が寄ってきて、すぐにユーインが見えなくなっていってしまった。 「あぁ・・・・・・」 「いやぁ、さすが風来王子。モッテモテですねぇ」 「アゼル・・・・・・」 「そんな声をお出しになりますな。クロム殿は、俺がお守りいたしますんで」 クロムの隣から離れず、冷静な声音で扇の陰から囁くアゼルは頼もしかったが、ユーインのまわりにクロムのようなドレス姿が輪を作り出して、クロムは妙に胃の辺りがシクシクした。きっと慣れないコルセットのせいだと思いたかった。 クロムはアゼルと共に壁際に避けていったが、その横をまた、仮装した紳士淑女が、ユーインを中心とした人だかりに向かって行った。 「・・・・・・何事かと思えば」 呆れたような低いつぶやきが落ちてきて、クロムはふと傍らを見上げて驚いた。四角く険しい表情の仮面をつけた男は、ユーインよりも鮮やかな赤毛を結んで背に流していた。焦げ茶色のトーガは金と赤の装飾が施され、頭には毛皮飾りのついた縁なし帽をかぶっている。 「あら、もしかして内閣補佐官殿ではありませんこと?」 その男がユーインたちの輪に向かって歩き出したのを、アゼルは猫がごろごろと喉を鳴らすように呼び止めた。 脚を止めて振り向いた男が頷いて肯定したのを、クロムは喉から心臓が飛び出るかと思うほどドキドキしながら見守った。すでにユーインたちの輪は要人と淑女たちでいっぱいであり、そこへこの男を出現させるのは好ましくない。だが、クロムの傍にいられるのも緊張した。 「お初にお目にかかります。わたくし、このたびベリョーザ帝国大使館に着任いたしました、新米外務官でございます。お気軽に、アゼル、とお呼びくださいませ」 アゼルが優雅にスカートを広げて礼をすると、その所属に男は興味を示したようだ。 「これは遠路ご苦労な。私は内閣官房補佐官のメルヴィンだ。貴国とは末永く友誼を結んでいたいと思っている」 「恐れ入ります。我が皇帝からも、平和を尊ぶ方とのお話を歓迎するよう、申しつけられております」 クロムはアゼルの陰に隠れたまま、ユーインが毛嫌いしている従兄弟殿を窺った。顔は仮面で分からないが、おそらくユーインとは似ていないだろうと、力強い眼光から勝手に想像する。彼らはたとえ兄弟でも母親が同じでないと、ほとんど顔が似ていないのだから。 メルヴィンは体格もよく理知的な雰囲気で、誰かの下でおもねるような性質ではなさそうだ。ただ、その自信に溢れた態度が、人によっては苦手かもしれない。人を引っ張っていくタイプであり、ユーインのように和ませて協力させるタイプではないだろう。 「こちらもベリョーザの方かな?」 突然水を向けられ、びっくりしてクロムは声も出せずに硬直した。 「いいえ。我が国にとってご恩のある方ですが、こちらのクロムさまは、オルキディア王国のユーイン王子のお連れ様です。ジェメリ語がご堪能ではないので、わたくしが通訳を」 「なに、あいつの・・・・・・」 一瞬だけメルヴィンの空気が剣呑になり、こちらでもユーインを嫌っているのだなとクロムは悟った。メルヴィンの視線を受けて、慌ててスカートをつまんで、小さく腰をかがめる。見様見真似では、淑女の仕草など上手くできる自信がない。 「クロムさまは、ベリョーザ帝国民をお救いになられた功績により、我が皇帝より緋珠三等勲章を授与されております。わたくしにとっても恩人でございますれば」 ここでその話題を出すのかとクロムは赤面したが、ユーインとベリョーザ帝国に繋がりが多いことをアピールする材料にはよいのだろう。まだイグナーツ充ての手紙を書いていないので、アゼルにとって恩人となるのは予定だけのはずだが、まったく、外交官という人種は抜け目がない。 「ほう、優秀な方なのですね。・・・・・・あの放蕩者には勿体ない」 まだ人だかりの出来ている方をちらりと見て、メルヴィンはクロムに対して、いくらか声音を柔らかくした。 「ご存知かもしれないが、私の母がオルキディア国王の妹にあたり、ユーインとは従兄弟の関係にあります。あの無作法者に迷惑を被ったならば、遠慮なく私を頼ってください」 これをアゼルがわざわざエクラ語に翻訳してクロムに伝えたので、クロムも男声と、実はジェメリ語も聞きとるだけなら少しは出来る事がばれないよう、小声のエクラ語で答えた。 「お気遣い痛み入ります。私はユーイン殿下の後について行っているだけなので、お荷物にならないよう気をつけています。と仰っていますわ。うふふ、クロムさまったら緊張なさっているのね」 アゼルがころころと笑い、扇の陰で「上々」とジェスチャーをしてみせた。しかし、アゼルのように堂々と女装で外交会話をできる自信のないクロムは、メルヴィンの視線を逃れようと、ますますアゼルの陰に隠れた。 |