嵐華の春 −7−


 穏やかな天気の元、巨大なオベリスクが蒼穹を突くリベルタ広場。ここの市場は規模も大きく、いつも盛況だ。カーニバル期間が始まり、観光客相手の土産物屋も目立つ。
 ユーインとクロムは屋台で買い求めたパニーノにかぶりつきながら、賑やかなパレードを見物していた。
「すごいですね!」
「うん、そうだね」
 隣で頷くユーインが、パレードではなくはしゃぐクロムを見ていることに、クロムは気が付いていない。
 赤、青、緑、黄、紫、白、黒・・・・・・。鮮やかな布地に、金や銀の刺繍や縁取りがされた華やかな衣装。鳥を象ったような真っ白な仮面や彩色が施された丸顔の仮面は、色とりどりの羽根やビーズで飾り付けられ、かつらで膨らんだ頭部を衣装と同色の布や花で包むことで、ことさら大きく見せていた。
 楽隊が一定の歩幅で進み、沢山の花が舞う中を、人形のように着飾った人々が練り歩いていく。
「綺麗だなぁ」
「今夜はクロムもあれを着るんだよ」
「へっ!?」
 驚きと期待に顔をほころばせたクロムに、ユーインは小さく苦笑いをしてみせた。
「今夜はバッツィーニ城館のパーティーだよ。みんな仮装して行くの。・・・・・・この前、ベリョーザ大使館で採寸したじゃないか」
「え、あれ・・・・・・そういう事だったんですか」
 ベリョーザ大使館での会食後、ノリノリのアゼルに引っ張っていかれて、お針子たちに全身を採寸されたのだが、まさかここまで派手な衣装を着ることになるとは、クロムは思っていなかった。せいぜい、ジェメリでの礼装になるトーガかコートだと思ったのだ。
「なんだか楽しみです!」
「はははっ」
 いつになく上機嫌で積極的なクロムをエスコートしながら、ユーインはパレードが通り過ぎた広場の石畳を歩き出した。
「今夜は一応舞踏会だけど、踊れなくても気にしないで。ジェメリの政治家や各国の大使館員なんかが、コソコソしないで密談する場なんだよ」
 コソコソしない密談とは妙な言い方だが、ユーインに酒場や井戸端や公衆浴場を例えに出されて、クロムは納得した。貴族たちが和やかに「ここだけの話」をするのが、パーティー会場なのだ。
「それと、また妙な噂も聞いた」
「妙な噂?」
 傍らを歩くユーインが声を低くしたので、クロムは浮かれた表情をしまって聞き返した。
「ベリョーザ国内の税率が変わるそうだ。ぶっちゃけて言うと、全面的に安くなる。それも、全国的に」
 眉間にしわを寄せたユーインに、クロムは首をかしげた。税金が安くなるのは、その国に住む庶民にとったらいいことだ。
「なにか、問題でも?」
「俺が心配することはなにもないさ。今のところね」
 そう言う割には、ユーインの表情は浮かない。賑やかな人混みをすり抜けるように歩きながら、クロムは少し聞き方を変えた。
「ベリョーザ国内の税率が変わると、どういうことが、起こる可能性があるのですか?」
 クロムの質問に、ユーインは少し整理するように沈黙し、わかりやすい言葉を選んで説明を始めた。
「まず、税収が一時的に下がるかもしれないが、ベリョーザ帝国には、その一時を支えられるだけの余裕が国庫にある。戦争も止めるから、その分を回してもいい。そのうち、かえって商業活動が活発になって、長期的には税収が上がる可能性が高い。これは、単純に納税者の負担が減るだけでなく、借金の利率も下がるから、大きな仕事や買い物をしやすくなるからだ。さらに、さっき言ったように、今まで争っていた周辺国と和平を結ぶから、戦費が縮小する。その分を国内のことに回すことができる。たとえば、病院や学校を作ったり、孤児や傷病者を保護したり、商業基金を増やしたり、街道を整備したりするとか。そういうのが回りまわって、国家財政が健全化する・・・・・・つまり、景気が良くなる。そうすると、ベリョーザの貨幣に対する信用が増して、相対的に周辺国の貨幣価値が下がる」
 ユーインの言っていることは規模が大きかったが、戦線が国を跨いでくる可能性を聞いていたクロムには、貨幣価値が変わるという意味がなんとなくわかった。
「ベリョーザ帝国だけが豊かになり、周辺国が・・・・・・比較して貧しくなる、ということでしょうか?」
「そう。実際に、国民生活がすぐに貧しくなるとは言わないけれど、いままでジェメリの金貨一枚で買えていたベリョーザ産の物が、ジェメリ金貨一枚と銀貨三枚が必要になる、という感じかな」
「わかります。逆に、ベリョーザの人たちは、外国の高価な物でも買いやすくなるのですね」
「そういうこと」
 市場に並ぶ青果やパン、水揚げされたばかりの魚貝や、並ぶ酒の瓶を眺め、ユーインはさらに続けた。
「まあ、自国の貨幣価値が上がり過ぎても、輸出がしにくくなって困るんだけどね。この前みたいな、エクラ王国相手の一時的な大暴騰ならまだしも、資源国であるベリョーザ帝国の輸出品が値上がりし続けると、世界規模で不況に転がり落ちかねない。だから、最近は値が落ち着いてきただろう?」
「そうですね」
「それだけなら、どの国の執政者だって考えるし、頑張るさ。あのレイヴンの恐ろしいところは、最近になっても反乱を起こしまくりだった地域を含めて、一律に税率を下げたことだ。本当かどうかわからないが、囚人の恩赦や減刑まであるそうだ」
「それって・・・・・・支配の手を緩めるということですか!?」
 イーヴァルが厳しい支配者だということは、クロムだって知っている。逆らう者は皆殺しにしているというイメージの強さは、かなり一般的だ。クロムが驚き、ユーインが戸惑うのも当たり前だ。
「なんというか・・・・・・ある意味、見せしめなんだと思う。逆の意味で」
 ベリョーザ帝国民になれば、これだけの恩恵が受けられるぞ、こんなに豊かな生活ができるぞ、そういう姿を、今まで武力衝突していた周辺国に見せつけるためだと、ユーインは考えていた。
「豊かな生活、華やかな文化に憧れを持たせる・・・・・・そうすることで、周辺国内の内部分裂や意識改革を促しているんだと思う」
「憧れ・・・・・・」
 クロムもつい先ほどまで、アネッロの華やかさに心が浮かれていた。ユーインの言いたいことはよくわかる。
 貧しい生活を強いられる今の国家よりも、いっそベリョーザ帝国に組み込んでもらえれば・・・・・・。民族、宗教、文化、言語、そういったアイデンティティを越えてまで、ベリョーザに強い羨望を抱かせ、同化を求めさせることができたなら・・・・・・。
「税金が安くなれば、必然的に国内感情は良くなる。周辺国のベリョーザへの好感度と経済格差が上がれば、ベリョーザへの依存がたかまり、いずれは・・・・・・」
「そんな、途方もない・・・・・・」
 かかる時間も、動く物量も、影響する広さも、クロムには想像もできない。
「それをやれるから、あの人は十代から皇帝なんてやっていられるんだろうよ。しっかし、あのレイヴンが、遠謀ありきとはいえ優しいなんて、気持ち悪くてかなわないな」
 ユーインは寒気がするとばかりに身震いした。
「それは・・・・・・やはり彼が行ったからでしょうか?」
 淡い青銀色の髪をした、細身の青年。クロムと同じように、身分違いの求愛を受けて、忠誠をささげた主君に見送られながら、かつて自分を傷付けた人間の元へ旅立ち、そして・・・・・・幸せに暮らしていると伝えてきた。
「・・・・・・どうかな。そこまでは、俺にはわからないよ」
 タイミング的には全くの同期ではあるものの、ユーインにはイーヴァルが国内統治に私情を挟んだり、まして個人的な感情だけで外交方針の舵を切ったりするとは思えなかった。イグナーツがベリョーザ帝国の政治に干渉していないのは、アゼルの報告にあった通りに間違いないだろう。
「・・・・・・これは、本当に・・・・・・俺の思いつきというか、半分願望なんだけど」
「なんでしょう?」
 クロムに見つめられて、ユーインは軽く頭を振り、いっそ囁くほどに声を低めた。
「もしかしたら、あの人は早く皇帝を辞めたいのかもしれない」
「え・・・・・・!?」
 あまりに突飛な考えに、クロムも一瞬足を止めかけた。ユーインはクロムの手を引きながら、恥ずかしそうに自信の無い考えを捕捉した。
「この前の会食の時、アゼル外務官が皇太子について言っていただろう?」
「ええ、甥御さんだとか」
「そう。その甥だけど、たぶんまだ十代になったかどうかという年齢だと思う」
「姉の子で、たしかイーヴァル皇帝も三十代になったばかりでしたよね?」
「そう。・・・・・・ホムラ皇太子が帝位を継ぐとしても、最低でも現皇帝が即位したのと同じぐらいの年齢が必要だろう。だいたい、あと七年から十年は見積もっておきたい」
「十年・・・・・・では、その間に全てを!?」
 クロムの理解に、ユーインは無言で頷いた。
「イーヴァル皇帝は、なるべく早く、治めやすい状態にしたいんじゃないかな。自分の好き嫌いを抑え込んででも、若い皇帝が即位した時に反乱を起こしにくい、国民が迎合しやすい平和な体制を作りたい。そして、早く帝位を甥に譲りたい。なぜか?」
「自分で国を治めなくてもよくする・・・・・・そう、仕事をしなくてもよくなるんですよね。それなら時間ができます。自由に・・・・・・あ、イグナーツと一緒に・・・・・・?」
 その答えに、クロム自身が戦慄した。目を見開き、息が詰まる。まさか、そんなことが。だがしかし、いまクロム自身の手をしっかり握って引いている愛おしい人も、順位は低いものの、王位継承権を持った貴人ではないか。
 イーヴァルは自身で権勢を揮うよりも、イグナーツと共に悠々自適な生活を送るための準備に取り掛かった。クロムを連れ出したユーインは、ひとつひとつの幸せを共にしようと言って、手を繋ぎ、隣を歩いている。
 ユーインは照れくさそうに笑い、クロムを抱き寄せた。
「これからこの大陸が、平和になるか、動乱になるか、それはわからない。でも俺は・・・・・・俺も、クロムを守りたい。俺ならクロムを安全な所へ、どこにでも連れて行けるよ」
 俺、ぶらぶらしてる王子でよかったかもしれない。そんなユーインのつぶやきが、クロムの頬を急激に熱くさせた。
(でも俺に、そんな価値があるのか・・・・・・?)
 イグナーツ一人の存在がきっかけで、いくつもの争いが治められ、多くの人が豊かになれるかもしれない。また、他国においては逆のことが起こるかもしれない。
 それに引き替え、クロム一人にはユーインを独占してまでも及ぼせる影響などありはしない。ユーインから愛される幸福と同時に、一抹の畏れが、クロムの胸の裏側を撫でていくような気がした。