嵐華の春 −2−


 過ごしやすいグルナディエ公国の城館で新年を迎え、クロムとベリョーザ酒を呑みながらのんべんだらりとしていたユーインではあったが、春に行われるジェメリ国のカーニバルの話題になった時に、クロムが興味深げな表情をしているのを見て出立を決めた。
「え、いいんですか?」
「もちろん。クロムって、今までどこに行きたいとか、俺に言ったことないじゃん」
 思い立ったが吉日と、ユーインはてきぱきと旅の準備を進め、ハロルドに暇を告げた。
「うん、またおいでよ。いつでも歓迎だよ」
 ほんわか笑顔でサカキと共に手を振るハロルドに礼を言い、ユーインはクロムを伴って、草木の新芽が出始めた日にグルナディエ公国を出発した。
 ジェメリ国はグルナディエ公国から東側に位置しており、その隣のレオーネ国と共に、地面を掘れば遺跡が出てくるような、非常に長い歴史のある国だ。周囲に専制君主国家が多いなかで、古くから合議制という比較的民主的な政治形態を取ってはいるが、実情は法王や領主諸侯たちの権力が強く、地方によってはほとんど中央の制御が効かないような状態であった。
 それでも経済は安定し、特にエストレリャ国や周辺地域とその他の国を繋ぐ交易で、莫大な利益を上げていた。国土が分解寸前でも、豊かな経済と、エストレリャ国のような異教国家との対立事情により、かろうじてそれぞれの地域を繋ぎとめているという現状だった。
「なんだか大変そうな国ですね」
 ジェメリ国の貿易都市マルモのレストランに腰を落ち着けて、クロムは首をかしげた。レストランの中はもとより、マルモの町は活気に溢れており、各地の交易品が溢れ、地方同士で争っているようには見えなかった。
「どこでもそうだけど、敵がいれば身内は団結する。敵がいなくなれば、分解して相食む。・・・・・・いまだって、エストレリャ国とレオーネ国が角を突き合わせているから、ジェメリはその間で上手くやろうとしているのさ。上手くできているかは、さておきね」
 ユーインは肩をすくめ、ジェメリ国に従兄弟がいると明かした。オルキディア王の妹の一人がジェメリ国の有力者に嫁ぎ、その息子が内閣官房補佐官をしているらしい。
「ゆくゆくは、国家元首を狙っているそうだ」
 珍しく吐き捨てるように言ったユーインに、クロムは目を丸くした。
「・・・・・・ユーイン、その方と、あまり仲が良くないのですか?」
「あー、なんていうか・・・・・・馬が合わないのは確かだね」
 このように姻戚関係から諸外国の圧力や利害が絡むことが多く、そのこともジェメリの国内がギスギスする原因なのだそうだ。自由奔放で家門にこだわりのないユーインにしてみれば、従兄弟殿のがつがつとした権力志向に鼻をつまみたくなるのだろう。
 辛味のある魚貝のパスタをフォークに巻きつけながら、ユーインはうんざりと首を振った。
「まあ、奴とはなるべく顔を合わせたくないから、議事堂周辺には近づかないことにしておくよ」
「議事堂・・・・・・そういえば、ジェメリの首都は、アルターレではないのですか?」
 カーニバルがあり、ユーインとクロムが目指しているのは、アネッロという港湾都市で、法王がおわす古都アルターレではない。
「アルターレは元首都だよ。現在の政治経済の中心が、アネッロなんだ。ただ、今後首都がどこに置かれるかはわからない。これも国内が割拠しているせいなんだけどね」
 マルモからアネッロへは、船で行くことになる。海賊が出やすい海域近くを通ることになるが、陸路では山脈を越えねばならないのだ。
「ジェメリのガレー船は速いから、港に寄りながらでも、すぐにアネッロに着くよ」
 ユーインの言葉通り、筋骨たくましい人足たちがオールを漕ぐガレー船は、波の穏やかな内海を、矢のようなスピードで進んでいった。ちなみに、船の漕ぎ手は立派な職業で、給料以外に個人でも小遣い稼ぎに交易をするため、かなり儲けがある人気職そうだ。
「ただ、肉体労働だし、嵐にあったり、海賊と戦ったりすることもある」
 大昔のように奴隷や罪人が漕ぎ手をすることもあるが、それだとスピードが出ないそうだ。いくらきつい肉体労働だと言っても、健康で健全な人間がやった方がいいにきまっている。
「これも経済の一環なんですね。一般の国民も自由に商売ができ、労働者がきちんと金銭を手に入れられるから、ジェメリの交易も活発なのでしょう?」
「そういうこと」
 天候にも恵まれた船旅は、北海でのようにユーインがぐずりだす前に、速やかに二人をアネッロへと運んでくれた。

 港湾都市アネッロは、水の都とも呼ばれている。その理由は、町中に張り巡らされた水路。元々、外敵から逃げるために干潟を埋め立ててできた町であり、地盤沈下や水位上昇の危険は承知の上で家が建っている。
 荷物を積んで進む小舟や飾り立てたゴンドラ、水路に面した家の勝手口、その上方で三階や四階の窓同士に張り渡された洗濯物を、クロムは感心したように橋の上から眺めた。
「クロム、おいで。この町は同じような狭い道ばかりで、迷子になりやすい。気をつけてね」
「はい」
 ユーインの言う通り、石造りの街並みは情緒に溢れていたが、どこも似たような風景で、いくつも水路の橋を渡っている内に、方向感覚までおかしくなってくるようだった。クロムはしらず、ユーインの手をぎゅっと握って歩いていた。
 ユーインは王子の責務として、いつも通りオルキディア大使館を訪れ、自分の所在を本国に通知した。挨拶もそこそこに、大使館の職員から宿の候補や祭りの日程を聞くと、ユーインへ会食の招待が届いていると告げられた。
「また面倒な・・・・・・よく俺がこの町に来るってわかったな。どいつが呼んでるって?」
「アルカ公爵夫人ダニエラ様と、ベリョーザ帝国大使館のアゼル外務官殿でございますよ」
 ユーインは盛大に姿勢を崩し、危うくテーブルの上に置かれた、高価なティーセットをひっくり返すところだった。どうして会いたくない相手ばかりが、ユーインの居場所を簡単に突きとめてくるのだろうか。
 特にアルカ公爵夫人は、ユーインに見合い相手を推薦した一人であり、現オルキディア国王の妹でユーインの叔母にあたり、ユーインが会いたくない従兄弟の母親でもあった。
「はぁああああっ!?いったい何の用だ!?」
「・・・・・・と、申されましても。こちらでも、事情はわかりかねます」
 思いっきり嫌そうに奇声を上げるユーインを前に、オルキディア大使館員も困惑するしかない。
「ふん、どっちにも関わりあいたくないな」
「では、どちらへも辞退のお返事を・・・・・・」
「あ、ちょい待ち」
 ユーインが即答を回避したのは、クロムがとっさにユーインの袖を引っ張ったからだ。希望はあるのだが、何と言えばいいのか、そもそも口を出せないものに自分の意見を言って良いのかと、そんな葛藤が巡って固まっているクロムを見つめ、ユーインは少し考えた。去年コリーンヌリーブルで別れた小さな船は、この町に到着したはずだった。
「その二箇所は、なにか言ってきたか?」
「ベリョーザ大使館からは『ご助力への感謝と、メッセージを預かっております』とのことでございます。公爵夫人からはなにも詳細はありませんが・・・・・・少し、気になることが」
「なんだ?」
 ユーインに促され、大使館員は言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「近頃、ベリョーザ帝国の動きに変化が表れています。先年ユーイン殿下とロゼ殿下が、三カ国に亘る事件に介入し、成果を上げられていることは、当方にも伝わっております。おかげさまで、今冬の大高騰にもかかわらず、オルキディアは例年通りの価格で、ベリョーザから燃料を購入できました」
 珍しく目に見えて本国に貢献する結果が出たユーインは、まんざらでもない表情を浮かべる。たまには功績をたてておかないと、ぶらぶらする旅費の予算を削られかねない。
「それ以後、特に今年に入ってから、ベリョーザ帝国の外交政策が、ほぼ百八十度転換したため、ジェメリ国をはじめ、この周囲の国々に緊張が高まっています。おそらく公爵夫人は、その辺りのことを、ユーイン殿下からお聞きしたいのではなないかと・・・・・・」
「ベリョーザの外交政策の変化とは、具体的には?」
「紛争地から伝え聞くものばかりで、正確さには欠けます。ただ、ベリョーザ軍が戦闘区域から撤退したのは、間違いないようです。ヴェーラやソマといった地域と、講和条約を結ぶ動きがあるようです」
 ユーインは唖然と目を見開き、息をすることもしばし忘れた。ユーインですら、思ってもみなかったことが、現実になっていた。
 元々、同じ民族同士の地域で構成された神聖コーダ帝国と違って、ベリョーザ帝国の成り立ちは、異民族や未開の土地を征服することによって大きくなっていった。その性質というか気質は今も受け継がれており、ベリョーザ帝国と国境を接する国や地域では、散発的に小競り合いが発生するのが常だ。特に、信仰する宗教が違うヴェーラや、資源の利権が絡むソマといった地域とは、激しい戦闘もたびたびおこなわれていた。
「それは・・・・・・いいことなのではないですか?」
 単純に戦争が終わることを良いと考えたクロムだが、ユーインの表情は渋い。
「そう、平和なのはいいことさ。ただ、平和ってものは、世界地図を眺めると相対的なものでさ。・・・・・・つまり、該当国がベリョーザに安心して背を向けられると、今度はジェメリやレオーネ、コーダやエストレリャなんかからの要求や関係が、不満に感じるようになるんだ。ジェメリだって、ソマの資源を狙っていたはずだ」
「その通りでございます。戦線がまるごとこちら側にシフトしかねない、と考えていただいても、あながち間違いではありません。周辺国が戦いを仕掛けたとして、むこう側で同盟など組まれたら、各小国にベリョーザの軍事支援が入って、泥沼化する可能性もあります」
 大使館員の肯定に、ユーインは大きく舌打ちをしかけて、表情をあらためた。
「わかった。とりあえず、ベリョーザ大使館のご招待はお受けしよう。ダニエラおばさまのところは、その後考える」
「かしこまりました。それと・・・・・・聞くところによりますと、公爵夫人はまだあきらめていないようですよ」
 なにを・・・・・・と聞き返しかけて、大使館員の意味ありげな眼差しに、ユーインは頭を抱えた。
「ロゼが上手くやったんじゃないのか!?」
「もちろん、ロゼ様からのお話はこちらに入っております。ただ、公爵夫人も、おしの強いお方ですから・・・・・・」
 地団太を踏むユーインの肩に、クロムの手が優しく掛けられた。カーニバルが終わり次第この地を発つとユーインが言い出しても、クロムは止めないだろう。