嵐華の春 −1−


 曲者の妹姫に乗せられて、フビ国の王子と従者が関わる厄介事を片付けた後、ユーインとクロムが流れ着いたのは、やはり気心の知れた友人の家だった。
「好きなだけいればいいよ」
 との心の広い友人の言葉に甘え、二人はグルナディエ公国の城館に、冬の間居候することになった。
 その代りと言ってはなんだが、ユーインはハロルドや大公殿下の話し相手という名目で、土産話ならぬ諸国の情報を引き出されることを余儀なくされた。特に、燃料などの大暴騰をはじめとする、ベリョーザ帝国の高圧的な態度に、いまさらエクラ王国が焦っている現状の説明を求められ、その原因をつまびらかにした。
「あぁ、あの時のツケか。懐かしいのぉ」
「父上、ご存知でしたか」
「ご存じも何も・・・・・・あの時、わし、エクラ国王になり損ねたからのう」
 エクラ王は五代前、グルナディエ公は四代前にさかのぼって、ようやく高祖父同士が兄弟の続柄で繋がっている現大公は、純朴な三男坊とその友人に微妙な面持ちで見つめ返され、「冗談じゃ」と視線を逸らせた。
「まあ、納まるべきものが、納まるべき場所へ納まったんじゃ。フビ国のラダファム王子も了承済みということであるし、わしらには何の文句もないな」
「あれ、この前エクラから格安で燃料融通しろって言われてませんでしたか?ベリョーザからの輸出品がバカ高くなったのはエクラのせいなのにって、アンリ兄上がブチ切れてキーキー言ってましたけど?」
 批判精神旺盛な次兄が、宗主国からとはいえ、自分が管理する経済に口出しをされて不機嫌になっていたのを思い出し、ハロルドは首をかしげた。
「それはそれ、これはこれじゃ。十五年前にヘマをした、ステファヌの自業自得で巻き添えは食いたくないが、同盟国のウチが完全に無視するわけにもいかん。それに・・・・・・いまごろイーヴァル殿は笑いが止まらんじゃろうて。機嫌のいい怪童を突っついて、わざわざ目を付けられたら、たまったものではないわ」
 くわばらくわばら、と大公殿下は両手を上げて首をすくめてみせた。老獪なグルナディエ大公ですら、当時十七歳でエクラ国王ステファヌをやりこめた、ベリョーザ皇帝イーヴァルには触るべからず、と自戒しているようだ。
「ああ、そうだ。ベリョーザと言えばさ、お酒届いて保管しているけど、そのあと・・・・・・」
 言うの忘れれたとばかりに手を打ったハロルドからの報告に、ユーインもぐるりと目玉を回した。
「・・・・・・俺も忘れてた」
「一年以上も色んな所ぶらぶらしてるからだよ」
 それには一切反論できないユーインは、久しぶりに会ったマエストロと友誼を深めていたクロムを伴って、クロムの実家へと馬車で向かった。
 穏やかな気候のグルナディエ公国では、平地ではほとんど雪が積らないが、山地へと向かえば、ほどほどに白い景色になる。
 戦時中より帰っていなかった家にクロムが帰り着くと、父母をはじめとした家族が、諸手を上げて迎え入れてくれた。事情は公室から達しが来ていたが、旅立った息子が無事でいたことを確認できたのが、なによりも嬉しいだろう。
 ひとしきり再会を喜び合ったところで、クロムは父母から「ベリョーザ帝国で何をしたんだ」と、複雑な表情で聞かれた。
「なにって?」
「お前宛に、ベリョーザ帝国から感謝状と勲章が届いたんだが」
「へ・・・・・・!?」
 全く心当たりがないクロムが、差し出された感謝状に書かれたベリョーザ語が読めなくて首をかしげていると、横からユーインがボソッと答えをくれた。
「クロム、去年クレーヴェル村で、雪崩で困っていた村人を助けたじゃないか」
「ああ・・・・・・えええっ!?」
 確かに一年前の冬、クロムはユーインと共に、ベリョーザ帝国の雪深い無医村で年を越した。その際、雪崩に巻き込まれてけがをした村人たちを、クロムは献身的に治療したのだ。
 だが、二人がすごしたクレーヴェル村は、山間の小さな村だった。皇帝がそんな辺境での些末なことを知っているかなど・・・・・・。
「あ、ユーインがバラしたんじゃないですか」
「・・・・・・結果的にはね」
 額に手を当ててため息をつくユーインが、乾いた苦笑いを吐き出した。
 雪崩で道が塞がってしまったせいで、帝都に戻りたい役人とのトラブルが発生し、それを大使館に伝える手紙を、当の役人に託したのだが・・・・・・。
「ハハッ、どこでバレたんだろうな」
「笑い事じゃないですよ」
「その時は面白いと思ったんだけどなぁ」
 一度も封が開けられることなく大使館に手紙が届けば、ベリョーザ帝国とオルキディア王国との交易に何らかの融通ができることになっていたはずだ。だが、クレーヴェル村から帝都ラズーリトに出た時も、コリーンヌリーブルにいた時に本国とやりとりをした時も、そのような気配はなかった。おそらく、手紙を託した財務局員の手から離れた際に、帝国内のどこかの部署で引っかかったのだろう。
 その手紙が直接オルキディア大使館に届かずに暴かれ、当時別件で忙しかったイーヴァルの冷笑と侮蔑を買ったことは、想像に難くない。あの皇帝ならば、オルキディア人同士でやりとりされた一手紙など、たとえ報告を受けて処理の裁可を仰がれても、そのまま届けろと無視したはずだ。わざわざベリョーザ人に託した手紙など罠でしかないと、あの怜悧なレイヴンならすぐにわかるはずだ。
「まあ、どこであの手紙が開封されても、皇帝が知ることにはなっていただろうさ。・・・・・・しかし、クロムの実家までバレるとは思ってもみなかった。俺の浅慮ゆえの失敗だ」
 イーヴァルはクレーヴェル村の一件で、ユーインに同行者がいたことを知ったに違いない。彼が所有する徹底的な調査につぎ込める金と人員は、下っ端王子のユーインとは比べものにならないほど豊かだ。
 帝都ラズーリトではユーインを見逃したイーヴァルだが、あまり母国に囚われずふらふらと各地を動き回るユーインの、動き回らない弱味を押さえたことになる。実際に手を出すことはなくても、クロムの実家にいつでも確実に刃を突き立てられるという位置を示しておくことで、ユーインに絶大なプレッシャーをかけることができた。
 舐めてもらっては困る、そう薄笑いを浮かべるイーヴァルが思い浮かばれて、ユーインはほぞをかむ思いで自分の失策を悔いた。知られたくない情報を知られてしまった。悪戯の代償にしては大きすぎる、取り返しのつかないことだ。
「ごめんな、クロム。クロムの実家にまで迷惑をかけた」
「殊勝に謝らないでください。ユーインに連れ出されている時点で、我が家はもう十分に被っていますから」
 苦笑いで本当のことを言うクロムに、ユーインはもう一度、申し訳ないとクロムの両親に頭を下げた。
 クロムの実家は、周辺の家屋と変わらない、ごく平凡な作りで、そこに住むのも、ごく平凡な一家だった。ただ、代々体色素の薄い家系なのか、父や祖母、それに四人兄弟の中では妹の一人がアルビノだった。
 長男のクロムが出征し、そのままユーインに連れられて出奔することになったことは、家族にとっても驚きだったが、それでも行く先で功績を立て、その国の首長から直接褒められるのは名誉なことだと、皺だらけの小さな祖母が微笑み、クロムの両親もしかたなさげに頷いた。息子をかどわかしたのが、よりにもよって他国の王子であることも十分困惑することだったが、けっして、嫌がっているクロムを無理やり連れまわしているのではない、ということを理解してくれているのだ。
 ユーインにとっては、斬り返してきたイーヴァルの鋭さに、歯を食いしばって踏みとどまる思いだったが、彼らにとっては、それは大きすぎる世界のようだった。この小さな家庭の平和まで壊す権利は自分にないと、ユーインは自由すぎる自分を戒めた。
「それよりもユーイン、俺がこの勲章をもらってしまったら、ベリョーザに行かなくてはいけない、などということはないですよね?」
 ユーインが多分に漏れずイーヴァルに苦手意識を持っていることを、クロムは知っている。名誉を受ける代わりに、皇帝に謁見しなくてはならないのでは、と恐れたのだ。
「それはないよ、心配しないで」
 クロムが授与された勲章は、小さな円形に緋色のラインが入った、ごく簡素なデザインだった。ベリョーザ帝国に貢献した外国人に授与されるもので、帝国内に居住していれば授与式に招待されるだろうが、そうでなければわざわざ出向く必要はない。
「クロムが勲章をもらうことは、功績に対する恩賞として間違いでは無いんだけど・・・・・・半分ぐらいは俺に対する嫌がらせだよ。気にしないで」
 実際、この勲章を授与されるレベルの貢献には、クロムのしたことは及んでいない。せいぜい感謝状一枚だろう。それを大袈裟にしてみせたのは、やはりユーインに対するからかいの意味が濃そうだ。
「ユーインもお人が悪いと時々思いますが、その上を行く人はいくらでもいるんですね」
「なんか酷い言われようじゃないか?」
 溜息をつくクロムに、ユーインは実に心外だと顰め面をしてみせ、クロムの家族を笑わせた。真面目だけが取り柄だった息子が、快活な王子を手玉にとるようになったのならば、それは親から見て微笑ましい成長なのだろう。
 窓の外に連なる、雪を頂いた山々に視線をやり、クロムがふとつぶやいた。
「・・・・・・イグナーツは大丈夫でしょうか」
「それは・・・・・・」
 長年仕えた主君と離れ、北国へと旅立った忠義厚い青年を思い、二人は揃って口を噤んだ。気にはなるが、できれば直接かかわりたくない案件なのだ。
「今思えば、イグナーツがイーヴァル皇帝のたった一つの弱味だったんだな」
「そうかもしれませんね」
 もうちょっとやりようがあったかなぁ、などと今さらぶつぶつ言いだすユーインを、クロムは呆れて眺めた。あのときに悟らせなかったイーヴァルに、どうしたって敵うとは思えないからだ。
「ロゼ様の依頼をこなせただけで、よかったじゃないですか。姫君たちとのお見合い、ユーイン一人じゃ断れなかったでしょう?」
「うっ・・・・・・」
 両手で頭を押さえはじめたユーインに、クロムは微笑みながら茶のおかわりをすすめた。たぶん、ユーインが無茶をしでかしたり、暴走しすぎたりしないよう手綱を取るのは、クロムにしかできないことなのだろう。