PHANTOM CHAIN-1-
シュバルツバルド共和国の北東に位置する、田園都市フィゲル。
崖の上に立つ大きな家の窓からは、夜空の瞬きを移した漣が見えた。窓を開ければ、風に揺れる木々の囁きと共に、遠く近く潮騒を聞く事ができるだろう。 案内されたゲストルームは、明るくこざっぱりとして、一晩の宿にしてまことに申し分ない。ただ、どーんとダブルベッドが置かれているのは、恋人達に対する気遣いなのか、他人の家でセックスなんてできない嫌がらせなのか、微妙なところだ。 「すげぇ~。おーしゃんびゅーですよ、サカキさん!本当にリゾートみたいだぁ」 弾んだ声を出す若い男には、そんなことはこれっぽっちも悩みの原因にならないらしい。窓に張り付いて外を眺めるハロルドの、腰から生えた尻尾がパタパタと振られている。本物ではないはずだが、どういう原理になっているのかよくわからない。首後ろには、狼の頭を模したフードが倒してあり、さかさまの首に見つめられると、けっこう不気味だ。 「いい家だな」 つばの割れた紅いシルクハットと、慣れない片目眼鏡を外し、サカキも家主の趣味のよさと懐具合を褒めた。 元別荘というだけあって、小洒落た雰囲気の内装も落ち着いている。首都に比べれば格段にお手ごろな地価だろうが、それでもまとまった金が無ければ、こんなに立派な家には住めまい。 「まぁ、どこに住もうと勝手なんだが・・・」 珍しく不貞腐れたようなサカキの声音に、ハロルドがびっくりしたように振り向く。 「すみません・・・」 「別にハロルドのせいじゃない。・・・ちょっと疲れただけだ」 しゅんとなったハロルドに、サカキは気にするなと手を振った。 サカキの顧客の一人であるユーインがマスターを務めるギルドで、ハロウィンパーティーがあった。そこへ招待されたサカキとハロルドは、 ニブルヘイムの会場で、ヴァンパイアに扮したユーインが、高らかに「花嫁」だと隣に立たせたのは、言うまでも無くサブマスターのクロムであり、前触れも無く(あったらあったで一悶着ありそうだが)純白のウエディングドレスを着せられたアークビショップ(♂)が、羞恥と怒りに握り拳を震わせていた。 ・・・まぁ、それだけならば、ユーインのいつもの愛情表現と片付けるが(クロム:片付けないでくれ!)、問題は生真面目で照れ屋な花嫁がブチキレて、狼男と一緒に逃避行してしまったことなわけで・・・。 「まさかプリ系にテレポデイトされるとは・・・」 「俺もびっくりしました」 「・・・・・・」 真面目に頷くハロルドに、サカキは疲れたため息をつく。 クロムがハロルドを連れてテレポートした先は、ここ、フィゲルの自宅近く。いくら「エルドラド」のメンバーにプリースト系が多いとはいえ、フィゲルのポータルメモを持っている者など、そうそういるはずも無く・・・。サカキはユーインと共に、カプラと飛行船を乗り継いで、フィゲルまで追いかけたのだ。ニブルヘイムから。 (・・・遠かった) しかも、サカキがフィゲルに着いてみたら、ウエディングドレス姿のクロムを姫抱っこしているハロルドがいて胸の奥が冷えた。履き慣れないハイヒールのせいで足を痛め、素足になったクロムをユーインに託すと、ハロルドはすぐに駆け寄ってきたが・・・。 マントの留め金を外して、ボリュームのある羽根の胸飾りも外し、ドレスシャツの襟元をくつろげて、サカキはぐったりとベッドの端に腰掛けた。 「ハロルド」 「はい」 こうしてサカキが呼ぶと、ハロルドはすぐにそばまでやってくる。ふさふさの茶色の髪を撫で、まだ仮装の解かれていない肩を抱き寄せて、少しちくちくする毛皮に頬を埋めた。 「サカキさん・・・?」 戸惑いながらもサカキの隣に腰掛けたハロルドの手が、サカキの背中を撫でていく。 「ごめんなさい。心配かけて・・・」 「心配なんかしていない」 ハロルドと一緒にいたのはクロムだ。何かあるわけでもない。 「・・・少し疲れた」 様々な言い訳を並べ立てても、この胸の中のもやもやした感情は、つまらない独占欲で、いい歳したオッサンがまるで子供みたいだと認めざるを得ない。口に出すのは恥ずかしいから、絶対に言わないが。 「ねぇ、サカキさん。結婚式とか披露宴とかはいいですから、指輪ぐらい俺も欲しいなぁ」 「・・・・・・」 つむじの辺りから聞こえてきたおねだりは、なんでもないように装っているが、鼓動がやたらと早くなっているのが、サカキには聞こえた。 「ダメなら、鎖でもいいですけど」 「は・・・?」 指輪から鎖につながる間の意味がわからなくて、サカキはハロルドを見返した。 「ハーネスです。首輪と、鎖」 ほらほらと、ハロルドは自分の首元を示す。そこには、アトロスの仮装に付属している太い首輪と、同じく鎖が付いている。鎖は、かろうじて握れる程度の短さだ。 「もっと長くて、サカキさんが端っこ持っていてくれればいいですよ」 「犬か」 「だって、俺サカキさんの犬でいいんだもん」 酔った勢いなのか、不穏なことを口走るハロルドに、サカキの眉間にしわがよる。 「・・・そういう冗談は嫌いだ」 「俺は本気です」 「なおさら好かん。俺はペットと付き合っているわけじゃない」 うっすらと怒気すら滲ませながら睨むサカキに、ハロルドは不服そうな面持ちながら、目をそらせた。 「・・・わかりましたよ」 それでも謝ることはしないハロルドに、サカキは口を開きかけてやめた。自分も少し平静ではない自覚があるいま、おかしなことを口走ってこじらせかねない。 「すまん。先に風呂はいる」 「はい・・・」 体を離して立ち上がり、ふさふさの頭をひとなでする。 椅子の上に放り出していた仮装用のマントに、服飾にしてはデフォルメしすぎたような、大きなチェーンと留め金が見えて、サカキは脱いだベストをその上に放り出して視界から隠した。 サカキの恋人は、彼とは正反対に、明るくて、人懐こくて、親切で・・・甘く見られることもあるが、誰にでも好かれる人徳の持ち主だ。ハロルドは、自分のことも他人のことも、きちんと線引きをした上で考える事ができる大人のはずだ。 それとも、サカキが買いかぶりすぎているのだろうか。 (そうじゃない・・・) 立ち込めた湯気の中で、癖のきつくなった髪の先から水滴が落ちて、頬や鼻の横を伝っていく。 サカキがハロルドを不安がらせている・・・少なくとも、甘えたい距離に不満があるには違いない。ハロルドはサカキより、十以上年下なのだ。もっと恋人らしく、べたべたしたいに決まっている。・・・今でも十分にイチャップルだとツッコミがきそうだが、何か、根本的に立ち位置がずれている気がする。 (・・・そういえば、もう三年・・・四年目か?) 恋人として付き合い始めたのも、たしかハロウィンの季節だったはずだ。あれから大して喧嘩もせず・・・少なくとも、日付をまたいでも空気が悪かったということはない。だが逆に、何も変わらないというのも、考えてみればおかしなことだ。 いままでハロルドから、わがままらしいわがままなど、聞いたことがない。断ってしょんぼりさせる事はあっても、今日のようにむくれられることは無かった。 束縛されて嫌気が差すという話ならわかるが、自分から束縛されたいとはどういうことか。 (自分だけ見てくれっていうのは、何人もいたけどなぁ) 今回ばかりは、サカキの豊富な、ハロルドにはあんまり言えない、過去の経験が活きないようだ。 (束縛されたって、窮屈で、痛いだけじゃないか・・・) ハロルドには、それがわからないのだろうか。それとも、ハロルドには、サカキがハロルドを軽んじているように見えるのだろうか。 (そんなことない) そうとも。サカキがハロルドを軽んじたら、今頃浮気し放題である。サカキはハロルドにぞっこんなのであり、そばにいてもらいたい特別なのだ。だから・・・ (ハロには、ハロのままでいてもらいたいのに・・・) そんなサカキの気も知らず、ハロルドは自ら卑下するようなことを言った。どうしてサカキが大事に思っているハロルドを、鎖で繋いだ獣と同等な表現にできようか。 「冗談じゃない」 思わず零れた呟きが、湯気を揺らし、漣を作っていく。 サカキは、文字通り、罪も無く鎖につながれた人たちを見た事がある。望むと望まないと程度の差はあれ、その関係はつまり、主従であり飼い主とペットのようなものだった。 彼らと同じことをする気にはなれない。例え、ハロルドが望んだとしても。 (考えすぎだ) ハロルドはただ、目に見える形でサカキとのつながりを欲しがったに過ぎない。同性だからないだけで、異性のカップルなら、結婚という形を求めたがっていい頃合だ。 「だからって、結婚式とかウエディングドレスとかはヤだぞ!」 一人慌てた声がバスルームにむなしく流れ、サカキは血行がよくなりすぎたらしく熱くなった顔をうつむけた。 毎度ユーインのごーいんぐ愛情表現に付き合わされるクロムを見ていて、自分でなくて本当によかったと思っているくらいなのだから・・・。あんな若さは、サカキにはない。 (やっぱり、俺はハロルドが一番いい) そう結論がでたなら、早速ハロルドに、もう怒っていないと伝えなくては。鎖や結婚式の話はおいておいて、せっかくのパーティーで離れ離れになってしまった分を取り戻さなくては、釣り合いが取れないというものだ。 |