リュン05
夏の子守唄


 右から左に流れていった結果、また財布の中身が寂しくなったリュンであったが、その日はサンダルフォンの自宅にある客室に案内され、ここ十日ほどの激しい活動に疲れた体を、ふかふかのベッドに投げ出していた。
 外傷などはヒールでふさがるが、基本的な気力体力は無限ではない。
 ゆっくり食事を取って、広い風呂でさっぱりしたら、後はベッドの上で寝るだけだ。
 窓から心地よい夜風が入ってきたが、昼の熱気はまだしぶとく残っている。
 風に乗って、またあの曲が聞こえてきて、リュンは悲しくなって目を覚ました。
 どうしてこの曲は、こんなにもせつなくなるのか。ぼんやりとした頭ではあったが、それは曲のせいではなく、奏者のせいだと考え至った。
 ごそごそと起きだすと、リュンは音を立てずに部屋を抜け出した。

 特別気配を消してはいなかったが、流貴はすぐ傍までリュンが歩いてきたのに気づかなかった。
「あ・・・あ、ごめん。うるさかった?」
「いや」
 その曲を爪弾くのが癖なのか、ほとんど意識せずに弾いていたらしい。
 リュンと同じような客室の床に座り、ベッドに背を預けたまま、流貴はリュートを抱えて窓から夜空を眺めていた。
 リュンは流貴の隣・・・床に座った。
「なんていう曲?」
「知らないんだ。兄貴がよく口ずさんでいて、それを覚えただけ。・・・もしかしたら、本当は全然違う曲かもしれない」
 リュートを脇に置いて膝を抱えた流貴が、リュンのほうを向いて微笑んだ。
「すっげぇブラコンだろ?」
 思わず吹きかけたが、流貴の行動力は、ただのブラコンができる範囲を超えていると思う。
「家族って、どんな感じ?・・・俺、孤児だから知らないんだ」
「リュンさん、ずっと一人だったの?」
「うん。気が付いたら、モロクのキャンプにいた。捨てられたのか、はぐれたのかは、わからないけど」
 モロクのキャンプも、そこに十分な庇護があるわけではなかった。リュンは物心つく前から、生きるためにあらゆることをしてきた。もちろん、大きな声では言えない事もしたが、奇麗事を言っている場合ではなかった。
「近くにシーフギルドがあったし、アサシンになったのも、まぁ、成り行きというか・・・」
 アイラなどはよく目をかけてくれたが、いまさらアサシンギルドに戻ったところで、居心地の悪い思いをするのは目に見えている。
「流貴さん、なんで俺を探したの?」
 暗殺者などという危ない職業の人間を、なぜことさら追いかけたのか、リュンには理解できなかった。せっかく命が助かったのだから、そのまま何食わぬ顔で紛れてしまえば、早々おたずね者として捕まることはないだろうに。
「あの・・・ごめん、迷惑だった?」
 すまなそうに視線をおとした流貴は、リュンが予想もしてなかった返答をした。
「いや、俺アサシンギルド内の事情とか知らなかったし、ギルドまで行ったの、隠れているリュンさんの邪魔になっちゃったかと・・・」
「そんなことない。先輩から、流貴さんがギルドまで俺を探しにきていたって聞いたから。なんで、そのまま逃げなかったのかと思って」
「えーと、うん・・・逃げはしたんだけど」
 流貴は口篭って、しばし視線をさまよわせた後、小さな苦笑いをリュンに向けた。
「行く場所なんてなくて。けっこう、人生の最大目標だったから。その後のことなんて、考えていなかった」
 自嘲するような流貴の表情に、リュンはまたあの夜を思い出し、胸が痛んだ。
 自分の命より重いものがあると。自分のすべてを捧げても成し遂げるものがあると。・・・リュンには理解できなかったし、それは、とても恐ろしいことだと思う。
「どうして、そこまで・・・」
「うーん、なんでかな。確かに兄貴のことは好きだったし、あの腐れ外道は本っ当にいなくなって欲しいって思っていたけど・・・。たぶん、他に考える事がなかったからじゃないかな。興味がなかったというか」
 あまりのショックに、極端に精神的視野が狭くなったということだろうか。そこにアーチャーとしての集中力が上乗せされて、より鋭利な復讐者へと流貴を育てたのかもしれない。
「せっかくリュンさんに助けてもらったのに、これからどうしようかって考えて・・・それで、その・・・・・・」
 急に言いよどんだ流貴は、リュンの方を見ないで視線を泳がせた。
「あの・・・俺後衛職だし、まだ、歌いながら矢を撃ったりとか出来ないんだけど・・・足手まといにならないようにがんばるから、い・・・一緒についてっちゃ駄目かな?」
 ・・・たぶん、いま自分は間抜けな顔をしている、とリュンには自覚があった。
「俺と・・・?」
 なぜか顔を赤くした流貴が、うつむき加減のまま、こくこくと頷く。
「他に相方がいるとか、迷惑だったら・・・」
「そんなことない。ただ・・・そういうの、あんまり組んだ事ないから。俺で、よければ」
「ホント!?」
 それまで、耳と尻尾をたれた犬のようだった流貴が、ぱっと輝いた笑顔を上げた。そんなに喜んでもらえることなのか、リュンのほうが、逆に心配になる。
「本当にいいのか?バードって求人多いって聞いたことあるぞ」
 バードやクラウンといった吟遊詩人系は、集団戦で強い支援力を発揮する。だから、冒険者同士のギルドお抱えの楽士が多いなか、流貴のようなソロは珍しいと思う。
 それでも、臨時などの求人看板には、バードを求める書き込みは多く、わざわざリュン個人について回ることはないと思うのだが。
「ああ・・・俺、ブラギ持ってないから」
 一番需要があると思われるスキルを持っていないと、流貴はあっさりと言ってのけた。
「なんで!?それがあるとないとじゃ・・・」
「俺は、自分が好きな歌を、好きな時に歌うし、好きな人にしか、聞いてもらいたくない」
 この吟遊詩人は根っからのソロ気質なのだと、リュンは理解した。しかし、それならばなぜリュンに殊更こだわるのか・・・。
「俺はリュンさんに聞いてもらいたいし、リュンさんのために歌いたい」
 真顔で言った後で、流貴はふらりと、床に突っ伏した。
「うぁわああぁああっ!・・・ヤバイまずい、変な奴だと思われたっ・・・てか、も、恥ずかしくて死にそぉ・・・」
 頭を抱えて悶えているところを見ると、本当は言うはずではなかったことのようだ。
「あのっ、でも、リュンさんがブラギ欲しいって言うんなら、俺覚えるしっ、その・・・リクエストがあれば何でも歌うよ!?」
 がばっと起き上がって訴える流貴が、あまりにも必死で一生懸命なので、悪いとは思いつつも、リュンは笑いをこらえきれない。
「いいよ、そんなに気にしなくても。それに、バードの歌を独り占めできるなんて、ずいぶん贅沢な話だ」
「じゃあ・・・」
「パーティー成立。だけど、レベル高い所いけないし、あんまり期待するなよ?」
 明かりの点いていない暗い部屋の中でもわかるほど、流貴の大きな目が、星明りにきらきらと輝いたのが見えた。
「やった!ありがと、リュンさん」
「よろしく」
 差し出した手を握り返してきた流貴が、本当に嬉しそうな笑顔を見せる。リュンも、嬉しかった。もう、孤独はどこにもない。