リュン02
夏の子守唄


 アサシンのリュンは、自分を狙った相手の情報を求めて、首都プロンテラを彷徨っていた。
 アサシン同士の情報網は使わず、地道に情報屋を訪ね歩いていたが、なかなかそれらしいものには当たらない。路銀も少なくなってきたことだし、一度狩りに出て時間を置いてみようかとも考えていた。
 プロンテラを南北に貫く中央大通りは、いつものように、露店で賑わっている。武器、防具、消耗品、製薬材料やアクセサリーに、珍しいカード類、何に使うのか不明な収集品までも並んでいる。
 人ごみが苦手でなければ、ここは一日中いても飽きない場所だ。
 このところ、肉体的にも精神的にも疲労がたまってきたリュンにとって、活気に溢れた街路は眩しかったが、少しだけ気分を明るくしてくれた。
 突然、前方で悲鳴が上がり、それは、瞬く間にリュンに向かって拡大してきた。
 逃げる客や露天商、入れ替わりに駆けて行く騎士やウィザードたち。そして、街路に溢れ出すモンスター。
 古木の枝を使ったテロのようだ。珍しいものではないが、まったりと露店を出している商人たちにすれば、はた迷惑この上ないハプニングだ。
 リュンもグールやサイドワインダーを倒したが、見たこともない巨大な漆黒の騎士が現れて、思わず足がすくんだ。長大な馬上槍が、鈍く光る。
「アシッドデモンストレーション!!」
 爆風に、リュンは路肩まですっ飛ばされた。
 顔を上げると、モンスターはペコペコに乗った騎士たちに囲まれ、すでに見えなくなっていた。
「ポーションピッチャー!!」
 冷たい液体が降り注いできて首をすくめた頭に、すこーん、と硬質な物が当たる。
 それが地面に落っこちる前に、リュンは両手でキャッチしたが、栓の開いていた瓶は、中身をリュンの頭にぶちまけて、中身は空だった。
 重傷ではないにしろ、あちこちにあった生傷が、投げつけられたポーションのおかげで、一瞬で癒えてしまった。
「ありがとうございます」
 振り向いた時には、クリエイターらしい男の後ろ姿が、カートを牽きながら遠ざかっていくところだった。
 リュンは空になったポーション瓶に視線を落として、驚いた。高価な白ポーションだった。そのラベルには、製作者の名前が入っていて、リュンはその名前を知っていた。
「あ、待ってください!サカキさん!」
 あまり手入れをしていなさそうな、緑色の髪をした男が振り向く。不機嫌そうな半眼は、噂どおりだ。
「サカキさんの白スリムのおかげで、恩人を助けることが出来ました。ありがとうございます」
 サカキが怪訝そうな表情をしたのも当然だ。ホワイトスリムポーションは、リュンのような中級冒険者には、あまり縁のない高級品だからだ。
「あの、先輩・・・アサシンクロスの、アイラをご存知でしょうか」
「ああ、アイラの知り合いか」
 得心がいったと頷くサカキは、それでもやはり不機嫌そうだ。しかし、アイラとは交友が深いらしく、声音は和らいだ。
「元気か?」
「元気でしたよ。・・・二週間前になりますが」
 アサシンという職業柄、いつ行方不明、音信不通になってもおかしくない。・・・たとえば、いまのリュンのように。
「そうか。・・・名前は?」
「え?俺ですか?リュンです」
「・・・将来の顧客リストに加えておく」
 それだけ言うと、サカキは愛らしいパンダのぬいぐるみを乗せたカートを牽いて、落ち着きを取り戻し始めた大通りに消えていった。

 アイラからは苦笑まじりに「気難しい奴だ」と聞いていたが、実際にサカキと会ってみて、リュンも苦笑せざるを得ない。確かに、気難しそうな人物だった。
(パンダカートが、ものすごく違和感ある・・・)
 そのギャップが、あの不機嫌そうな半眼で睨まれても悪い気がしない理由かもしれない。
 偶然とはいえ、孤独に陥りかけたリュンにとって、サカキと会えたのは嬉しかった。自分の謀殺計画に関係のなさそうな人とのたわいもない会話など、久しぶりに感じた。疑うことは、とても疲れる。
 それでも、リュンは最後の情報屋を頼って、プロンテラの下町を歩いた。ここで無ければ、事実自体が無いと思えと、他の情報屋が推薦してくれた人物だ。首都を発つ前に、依頼だけでも入れておきたかった。
 大通りとはうって変わって、静かで、せせこましい路地を進むと、小さな礼拝堂にたどり着いた。
(ここかな?)
 周りの住宅は、粗末といえどもレンガ造りだったが、その礼拝堂は木造で、嵐がきたら吹き飛んでしまいそうだった。
 リュンは、ためらいながらも、その扉に手をかけた。

 小さな祭壇、小さな説教台、わずかな長椅子。その狭いスペースに立っていた男が、リュンに振り向いた。
 黒い法衣を着た若いプリーストは、リュンが何かを言う前に、祭壇の奥を指差した。
「戒告室へどうぞ」
 感情のこもらない、妙に平板な声音が、リュンの背に汗を流させた。人形がしゃべっているような錯覚を覚えたのだが、プリーストの動きは滑らかで、先にたって歩いていく。
 リュンは、それについていくしかなかった。
 狭い戒告室の椅子にかけると、すぐに掌サイズの小窓が開いた。相手の顔は見えないが、声は聞こえるし、小さな・・・そう、現金のやり取りぐらいは簡単に出来る。
「贖罪を求めるには、いささか路地に迷い込んだかな、子羊ちゃん」
 場違いなほどに明るい、低い男の声は、先ほどのプリーストとは異なる。
 リュンは失調感すら覚えたまま、素直に情報を求めた。
「・・・自分の命を狙った人間を探している。アサシンギルドの情報すら手に入れられる奴だ」
「アルベルタの宿屋で起こった事件だろう?やっぱりここにたどり着いたか」
「知って・・・!?」
 かたんと、小窓の向こうで音がしたかと思うと、リュンが入ってきたのとは逆の、壁だとばかり思っていた板壁がスライドした。
 リュンは唖然としながらも、おそるおそる、続きの部屋に足を踏み入れた。
「ウェルカム、迷える子羊よ!」
 にこにこと笑顔で迎えたのは、先ほどのプリーストとよく似た、金髪の男。ただし、法衣は黒ではなく白が基調になっており、しかも、明らかに常人離れした光を放っている。
「転生オーラ・・・」
「イエス!」
 びしっとサムズアップを決めるハイプリーストは、妙に高いテンションのまま、安楽椅子に座って脚を組んだ。
「まま、かけたまえ、かけたまえ」
 応接室になっているらしいその部屋で、リュンは勧められるがまま、カウチに腰掛けた。・・・かなり、上等なものだ。
「7月28日の深夜、アサシンギルドに寄せられた依頼により、悪名高い豪商に、粛々と暗殺が行われた・・・。ここまでが、公表されている情報。私が知っているのは、実行したアサシンが指令は達成したものの、負傷したと思われるまま行方をくらませていること。また、同じ宿に居合わせたはずのバードが一名、これも行方不明になっていること。あとひとつ、現場は暗殺が行われたにしては、妙に荒れすぎていたこと・・・」
 よくそこまで、まるで見てきたかのように知っているものだと、リュンはただただ驚くばかりだ。
 そんな様子のリュンを見て、ハイプリーストは、にんまりと笑った。
「自己紹介が遅れたな。サンダルフォンだ。失礼な奴は廃とか生き字引とか呼ぶが、見てのとおり、ちょっと光っているだけのハイプリーストだ。よろしく」
「リュンです。はじめまして・・・よろしく」
 差し出された手をとって、リュンは体中の力が抜けそうになった。それだけ、サンダルフォンの手は温かく、それだけ、リュンは疲れきっていた。