流貴02
夏の子守唄


 音というのは不思議なもので、聞こえているはずなのに、聞いていないという状態が、ごく普通にまかり通っている。
 それは、自分に不要な雑音として、自分の脳が勝手に選別しているからなのだろうが、逆に、聞くことを強制する音によって、他の音が追いやられることもあるらしいと、流貴はぼんやり思い至った。
 見晴らしのいい、ピラミッド型の遺跡の上は、砂混じりの風の音だけが聞こえている。
 モロクから蜃気楼を目指すように砂漠を越えると、海岸に聳え立つアサシンギルドにたどり着く。このあたりには、姿を消して近付いてくるモンスターが多く、遠距離攻撃を得意とする流貴にとって、いささか入りにくい土地だった。
 しかし、自分をフェイヨンに残して姿を消した男を捜すには、彼の所属しているであろう職場をたずねるのが、一番手っ取り早いと思ったのだ。
(まぁ、素直に教えてくれるとは思ってなかったけどさ)
 通常、仕事場を見てしまった一般人を、アサシンが生かしておくかどうかも怪しかったので、流貴はアルベルタでの事件は伏せ、その辺で助けてもらったことにして、紫の髪の、眉間に傷のある男を捜していると、無邪気な笑顔を振りまいて、アサシンたちに聞いてまわった。
 しかし、口の堅いアサシン相手に結果は芳しくなく、手詰まりのまま、たまに襲ってくるサンドマン相手に、エルニウム原石や星の粉を巻き上げているような状態に陥っていた。
 ただ、アサシンたちの間にも、奇妙な間があることに流貴は気づいていた。流貴がたずねると、逆に「彼を知っているのか?」というような問いを返されたり、「死んでるんじゃないか」と冷笑されたりもした。
(もしかして、変なタイミングで俺出現なかんじ?)
 首を傾げると、長く残した前髪が、顔を隠すように揺れた。
 流貴は結い上げるほど長かった銀髪を切って落ち着いた紅色に染め、伊達眼鏡をかけていた。変装というには足りないかもしれないが、アルベルタから消えたバードだとは、すぐには気づかれないだろう。
「しかし、どこ行っちゃったのかねぇ」
 次の手とすると、首都プロンテラにいる、腕のいい情報屋を頼るぐらいだが・・・。
(あの人、ちょっと変態だからなぁ)
 何でも知っているようなハイプリーストに、兄の仇を探す代わりに要求された対価を思い出し、なるべくなら頼りたくないとため息。
 その拍子に、思い出したようにずきりと胸の刀傷が疼く。まだ完全に癒えていない状態で弓矢を扱うのは、正直辛かった。
 へなへなとしゃがみこむと、かわり映えのしない色の砂漠と遺跡の向こうに、夕日を照らし返す海が見えた。そろそろモロクに帰らなければ。このあたりで野宿するのは、危険に過ぎる。
 しかし、ここの眺めは最高だ。
 リュンは新しく買い求めたリュートを抱え、風の音に耳を済ませた。なにかいいフレーズが浮かんできそうで、気の向くままに弦を爪弾いた。
 早く会いたい。もう一度会いたい。・・・あの人の為に、歌いたかった。
「もし」
 一瞬、空耳かと思った。風と弦の音にまぎれた女の人の声が、自分に向けられたものだと気づいたのは、その影が自分に落ちていたからだ。
「は、はい?」
 見上げてドキッとしたのは、砂に洗われた滑らかな肌が、大胆に露出していたのと、流貴を見つめる大きな黒い目がすうっと細まって、硬質な光を放ったことの、両方のためだ。
「あなた、リュンを探しているの?」
「リュン?」
 それが、あの人の名前なのだろうか。
 ついてこいと身振りで示した、長い三つ編みを背に垂らした女性のあとを追いかけ、流貴は人気の無い遺跡の陰に身を寄せた。
「濃い紫色の髪で、大人しそうな髪型の子でしょう?ちょっと目が切れ長で。・・・こういう形のカタールを持っていなかった?」
 砂に描かれた武器の細かい形までは覚えていなかったが、容姿は女性の言うとおりだ。流貴は頷いた。
「何日か前、アルベルタに仕事に向かったきり、帰ってこないの。依頼は果たしていることを確認できたけど・・・あの子・・・リュンは生きているの?」
「生きている、と思います。俺が会ったのは、たぶん、そのあとだから」
「・・・その時、ではなくて?」
「・・・・・・」
 じいっと見つめられて、流貴は判断に困った。下手な答えを返しては、自分の命も、なぜか行方をくらませているリュンの命をも、危険にさらしそうだ。
 流貴の警戒も尤もだと気づいたのか、彼女はため息をつくと、強気な気配を和らげた。
「ごめんなさい。わたしはアイラ。リュンはよく出来た後輩よ。仕事現場を見たからといって、あなたをどうこうしようなんて思っていないわ。・・・それに、あの護衛の一人を倒したのは、あなたじゃなくて?」
 アイラは、あの暗殺現場の跡も、サンドマンと弓で戦う流貴も、見ていたようだ。
 ほとんどばれているなら仕方がないと、流貴は覚悟を決めた。目の前にいるアサシンクロスは、本当に行方不明になった後輩を心配しているように見える。
「流貴です。たしかに、俺はあそこにいました。俺も、あの商人を狙っていたんです。ただ、どうにも隙が無くて・・・。そんな時に、あの人が来て、俺も便乗した形になったんです」
「そのあと、リュンは?」
「わかりません。俺は死にかけて・・・リュンさんに助けてもらったんです。だけど、俺だけフェイヨンに取り残されていて、気がついた時には・・・」
「そう・・・」
 いまだに行方も、失踪した理由もわからなかったが、とにかく生きているらしいとわかって、アイラは肩を落としつつも、ほっとした表情を見せた。
「ありがとう。わたしもリュンを探しに行くわ」
「俺も戻ります。ここは見当違いだったみたいだし」
「一緒にいた人でもわからないというと、サンダルフォンを頼るしかないわね」
 肩をすくめたアイラの台詞に、歩き出しかけた流貴は転びそうになった。
「知っているんですか、あの人を?」
「ああ、有名よね。色々な意味で。・・・てことは、流貴君も?」
「ええ、まぁ・・・。兄貴の仇を探していたので」
 流貴の視線が泳いだのを見て、アイラはくすくすと笑った。
「イジメられたかしら?」
「いや・・・たぶん、あきらめさせようとしていたんじゃないかと思いますよ。あの頃、俺まだアーチャーだったし」
 復讐などという暗い道へ進んでいた少年時代の流貴を、サンダルフォンなりのやり方であきらめさせようとしたのだろうが・・・効果は無かった。それだけ流貴の意志は固く、あのハイプリーストも、仕方なく商人のことを教えたのだろう。
「リピーター二人で掛け合えば、割引してくれるかしらね」
「それ、期待できるんですか?」
「あんまり期待しないで」
 魔王モロクが復活した現在、この地方から首都への陸路は閉ざされ、モロクの街に常駐するカプラの転送サービスを利用するしかない。
 夕暮れ迫る砂漠を、二人は西日を追いかけて走りだした。