流貴04
夏の子守唄


 久しぶりに訪れた小さな礼拝堂・・・の横にあって、礼拝堂と繋がっている、外側だけは質素に見える豪華な館は、サンダルフォンに言わせれば「隠れ家的自宅」、彼の友人達に言わせれば「根城」「豪邸」「なんちゃってギルド砦」等々、決まった呼び名はない。一番短いのは、マルコが言う「うち」だろうが。
 流貴は、あの夜の出来事が罠だったのだと、リュンから聞いた。たまたま流貴が助けに入らなければ、確実に自分は死んでいたと、リュンは改めて礼を言ってきた。
「そうだったんですか。あ、それで、首謀者を探すために、情報料を稼いでいたのか」
「まだ、やっと半分くらいしか貯まってないけど」
 小さく苦笑いをこぼすリュンに、流貴は少し心配になって、そっとささやいた。
『変なこと要求されてないですよね?』
 ぼん、と音がしそうな勢いで、リュンの顔が赤くなるのを見て、流貴は逆に自分が青ざめていくのを感じた。
『な、なんにも・・・金だけしか、要求されてないからっ』
 あわてて返されたささやきに、胸をなでおろす。リュンが慰み物になるなど、まったく看過できることではない。
 待たされていた応接室に、サンダルフォンとマルコ、それにアイラが戻ってきた。
「リュンさん、お疲れ様。流貴は久しぶりだな。傷の具合はどうだ?」
「おかげさまで、だいぶ楽になりましたよ」
「ふむ、では、往診料をいただこうか」
「サカキさんからの伝言で、『少しは社会に献身しろ、この生臭聖職者』だそうです」
「うっわ、サカキを味方につけやがった。可愛くねぇ!」
 ニヤニヤと笑うサンダルフォンに、流貴も笑って小さな包みを差し出した。
「それとは別に、足代です。夜中にすみませんでした。助かりました」
 包みの中の貴重な鉱石を確認して、ハイプリーストは快く受領した。
「持つべきものは、優良顧客だなぁ・・・と。ところで、リュンさん」
「は、はい」
 緊張した面持ちのリュンに、サンダルフォンは有能な情報屋の顔で提案した。
「アイラとも相談したんだが、今回の件、二段構えにしようと思う」
「二段構え?」
「うん。いま、リュンさんは予定の半分、つまり、三百二十五万ゼニーを用意できているね?それで、情報の半分を売ろうと思う」
「半分、ですか。残りは?」
「はじめの半分の情報を聞いてから、続けるか、そこまでにするか、決めて欲しい。実は、後半部分の情報が欲しいという客が、リュンさん以外に現れてね。もしもリュンさんが前半だけでいいのなら、後半はそちらにもっと高値で売りつけることができる」
「なるほど」
 サンダルフォンの、ほとんど商売人な感覚に苦笑しつつ、リュンは金貨の袋を差し出した。
「三百二十五万ゼニーで、前半の情報を買います。ご確認ください」
 サンダルフォンが受け取った袋をマルコに渡し、別室に消えたマルコは、程なく戻ってきた。
「確認しました」
「では、前半の情報をあげるよ。・・・リュンさんは、ターゲットが恨まれて殺されるのはどうだ、と言ったのを聞いた。ところが、リュンさんを罠にはめた首謀者は、リュンさんを恨んでいるというより、妬んでいる人間だったんだ。謀殺しようというほどではなく、せいぜい任務に失敗すればいい、と思っている程度だったんだ」
 唖然となったのは、リュンだけではない。流貴も、どんな犯人なのかと想像を膨らませていただけに、サンダルフォンの情報ですべてがひっくり返ってしまったことに、戸惑いを隠せない。
「・・・外部の人間じゃなかったってことか」
 思わずもれた呟きに、サンダルフォンは頷く。つまり、犯人はリュンの所属しているアサシンギルドの関係者、もっと言えば、同僚だということだ。
 急に、隣でくすくすと笑い出したリュンに、流貴は驚いた。
「リュンさん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。なんだ、そうだったのか。じゃあ、後半を買う客って、アサシンギルドですね?」
 アイラを通じて、行方をくらませたリュンがギルドに対して不審感を持っていると、アサシンギルドの上層部が知ったのだろう。綱紀粛正のためにも、また、アサシンたちの信頼をつなぎ止めておくためにも、厳しく処分を下すつもりのようだ。
 サンダルフォンがアイラと相談して二段構えにしたのは、このためだったらしい。
「さ、どうする、リュンさん?後半も買う?」
「いえ、いりません。これだけで十分です。お手数をかけました」
 後半は、おそらく個人情報だ。首謀者に対して仕返しをするつもりならば、リュンは苦労してでも、後半部分を買ったかもしれない。だが、そうはしなかった。
「リュン、これからどうする?」
 アイラの問いには、将来有望な暗殺者を手放すのが惜しいというギルドの意向と、できれば自由な冒険者になって欲しいという個人的な願いが混ざっているように聞こえる。
「・・・わかりません。でも、アサシンギルドには戻りません。これからのことは、ゆっくり考えます」
「そう」
 どこかほっとした様子で、アイラは後輩に微笑んだ。
 安楽椅子に座ったまま、長い足を組み替えて、サンダルフォンは前髪を払いつつ流貴に向き直った。
「しかし、偶然というか、奇遇というか・・・。リュンさんのターゲットが、流貴の狙っていた奴とかぶってよかったよなぁ」
 たしかに、どちらかだけでは、確実に失敗していた。
 流貴は、長く悩んでいたことをサンダルフォンに告げた。
「・・・お願いがあるんですけど」
 流貴は、持ち物の中から、がさがさに痛んだ革のバッグを取り出した。
「兄貴の持ち物です」
「!」
 いっせいに注目を集めたボロボロのバッグから視線を動かさず、流貴は機械的に言葉を吐き出した。
「ここで情報をもらった後、見つけました。バイラン島の岸壁に流れ着いていたそうです。バッグの中身はそのままでしたが、他には・・・見つけられませんでした。せめて、弔ってあげたいのですが」
「わかった」
 両手でバッグを引き寄せると、サンダルフォンは視線を落としたままの流貴を、静かに労わった。
「よく探し出したな。お疲れ様」
「・・・はい」
 復讐を遂げたとしても、何も得るものはない。それは、流貴も身にしみてわかっていた。あの夜、恨めしげな生首が転がったのを見ても、歓喜は湧かず、空虚な安堵が全身に染み渡っていっただけだった。
 おそらく、そんな気はしていたのだ。海水でボロボロになった兄のバッグを見つけたときから、悔しさと悲しみに胸が張り裂けそうになっても、頭のどこかでは納得してしまっていたのだ。もう、何があっても、兄は戻らないのだと。
 顔を覆って肩を震わせる流貴の背を、誰かが優しく撫でてくれた。
 肉親を失ったことで、知らず、自らを縛り上げていた情念が、乾いた藁のように取り払われていくのを、流貴は感じていた。
 後悔はない。きっと、大切な人を奪われれば、誰でも進みかねない道だろう。
 でも、その先で手を差し伸べてくれる人がいるかは、わからない。
「ありがと・・・」