流貴03
夏の子守唄


 転送酔いなど、初めての経験だった。
 弱々しく瞬く星空を見上げながら、流貴はベンチの上でぐったりと横になっていた。
 アイラと一緒に、モロクからプロンテラまで一気に転送してもらったのだが、元々体調がよくなかったせいか、流貴は盛大に目を回した。
 いきなり座り込んだ流貴を気遣い、アイラは泊まる場所には心当たりがあるからしばらく休んでいるようにと、一人でサンダルフォンのところへ出かけていった。
 胸の傷が、ずきずきひりひりと痛む。
(傷口開いたかなぁ・・・)
 いっこうに気分が良くならないのは、血が足りていないせいもあるのだろう。
 きちんと静養しなくてはいけないとは思うが、リュンが不可解にも行方をくらませているという情報は、流貴に嫌な過去を思い出させ、今まで以上に落ち着いていられなかった。
(兄貴みたいに、いなくなったりしないよな?)
 しかし、疲労のたまった肉体は休息を求め、悲しい記憶に満たされた意識が、ぼんやりとにじんでいく。
 すうと眠りに落ちた流貴は、自分の体が宙に投げ出され、石畳に叩きつけられるまで、夢も見なかった。
「いっつ・・・」
 額や肩を擦りむいたようだが、それよりも胸に激しい痛みがある。元々負っていた傷だけではない。吹き飛ばされた時に、あばらを打ったようだ。
 なにか言い争っているらしい声は聞こえたが、金属製のベンチと自分の荷物の下敷きになった息苦しい状態では、何がなんだかわからない。
「アイスウォール!!」
 夜目にもそそり立つ氷柱に、逃げ場をふさがれた人物の影が見える。
「拘束しろ!」
 殺到する追っ手の足元に、ぱんっとガラス瓶が命中する。気化したアルコールに、一気に火がついた。
「きゃぁっ!」
「あちっ!」
 その隙に、カートを牽いた人影が、氷柱と火柱の隙間をすり抜ける。しかし、新たに瓶が割れる音に続いて、何か細長いものが伸び、逃げる人物の脚とカートを絡め取った。
「くそっ!」
「いいぞ!ヘブ・・・」
「アルミ缶の上にあるみかん!!」
 真夏の夜に、よく冷えた風が吹きわたっていく。
 流貴はとっさに叫んだのだが、不意打ちが綺麗に決まったようだ。寒いジョークに凍った追っ手たちに、優美な影が月明かりを閃光に変えて襲い掛かる。
「・・・」
 無音のうちに、数個の命が刈り取られた。
「アイラ?」
「無事かしら、サカキ?」
「ありがとう。助かった」
 体の上にのしかかっていた重いベンチが取り外され、流貴はごろんと地面に転がった。やたらと痛かったが、やっと、楽に呼吸ができる。
「よくやったわ、流貴くん」
「ども・・・」
 まぐれです、と言いたかったが、再び息苦しくなり、血の味がする咳をした記憶を最後に、流貴は意識を失った。

 ひどく暑くて、何度か光を見たような気もするが、すぐに眠りに落ちる、それを繰り返して、流貴が目を覚ましたのは夕方だった。
 二階以上の階にあるらしく、窓からは夕焼けが見える。
 見覚えのない、簡素で小さな部屋。使い込んだクローゼットがあるということは、誰かの自宅か。
 ぐるっと視線を動かすと、かたわらに、大輪のジオグラファーが咲いていて、流貴は思わず身じろいだ。
「・・・?」
 肉食植物であるジオグラファーは、普段ならば、こんなに近付けば噛み付いてくる。しかし、流貴に降り注いだのは、温かな癒しの光だった。
「根付かなくて良かったな」
 ぼさぼさの髪をしたクリエイターの声に、流貴は聞き覚えがあった。あの夜、カートを牽いて逃げていた男だ。
「バイオプラントだ。噛み付きゃしない」
「ぁ・・・」
 喉がかすれて、上手く声が出ない。差し出されたグラスに満たされた水を飲み干し、やっと一息つく。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちのほうだ。おかげで、レッケンベルに拉致られずにすんだ」
 どこか不機嫌そうに聞こえる声音だが、元々こういう話し方をする人なのだろうと、流貴のバードとしての耳が直感した。眇められた半眼にも、やはり流貴を厭うような険はない。
「俺はサカキ。主に製薬を生業にしている。・・・アイラとは、知り合いでな」
「俺は、流貴といいます。すみません、ベッド占領してしまって」
「かまわん。・・・サンダルフォンの客だそうだな」
 サカキは、流貴の胸にしっかりと巻かれた包帯を指差した。
「折れたあばらが内臓を傷つけた上に、胸の傷が縫ったところから裂けていた。往診料は高いぞ、と伝言だ」
「うわ・・・ぁ」
 余計なところでサンダルフォンに借りを作ってしまい、流貴は頭を抱えた。
「まだしばらく痛むはずだ。解熱鎮痛剤と、化膿止めを作っておく。それ飲んで寝ておけ」
「はい」
 無理がたたった流貴の体は熱っぽく、あちこち痛んだ。再びベッドに横になりながら、流貴は新たに増えた傷のきっかけを思い出した。
「・・・そういえば、あの人たちは、何なんですか?」
「あの人たち?」
「サカキさんを襲っていた・・・レッケンベルって、シュバルツバルド共和国の企業でしたよね?」
「ああ」
 少し視線をさまよわせた後、サカキは言いにくそうに話した。
「レッケンベル社は、シュバルツバルドを裏から牛耳っている大企業だ。表向きは複合商社だが、裏では怪しげな噂が絶えない。そして・・・アルケミストと縁の深い企業でもある」
 サカキはクリエイターだが、転生前はアルケミストだったはずだ。アルケミストは、クリエイターと同じく、製薬に通じた職業だ。そして、最大の特徴は・・・。
「ホムンクルス・・・?」
「そうだ。レッケンベルは、人工生命体ホムンクルスの研究をしている。・・・ただし、一部を除いて、あくまで軍事的、あるいは・・・その、非人道的な使用を前提にしているが」
 サカキが言葉を濁したのは、おそらく流貴には想像もつかない世界の、汚れきった一面であるからだろう。
「サカキさんも、ホムンクルスを持っているんですか?」
「なくはないが、そこはあまり重要じゃない」
「え・・・じゃあ、どうして狙われて・・・?」
 気難しげな険のある表情を、さらに苦々しげにゆがませ、サカキは吐き捨てた。
「エンブリオだ。ホムンクルスを誕生させるための、いわば卵のようなものだが、それを高い成功率で作り出せる人間は多くない。例え人工生命でも、命は命だ。くだらないことの為に生み出したくはない」
 その信念が、昨夜の被襲撃事件の理由だったようだ。
「・・・巻き込んでしまって、悪かったな」
「いえ、いいんです」
 騎士団に追われている犯罪者には見えなかったし、カートを牽いたシルエットが兄を思い出させ、とっさに助けになりそうなことをしただけだ。流貴は、自分の行動が間違っていなかったことに、至極満足した。
「・・・そうだ。リュンを探しているんだってな」
「知っているんですか!?」
「ああ、近いうちに会えるぞ。・・・それまで、大人しくしていろ」
 口元だけ微笑ませて、サカキはケープを翻し、寝室を出て行った。