流貴01
夏の子守唄


 流貴とは少し年の離れた兄は、いつか国境を越えて商売をするんだと、目を輝かせてカートを牽いていた。
 まだ幼かった流貴は、そのカートの中に入っている、色とりどり、様々な品物を見るのが好きだった。商品で遊ぶなと窘めながらも、兄は流貴に何に使う物なのか、ひとつずつ教えてくれた。
 その兄が、急に暗い顔をするようになって・・・ある日、流貴たちの前からいなくなった。
 有力な豪商から、ひどい嫌がらせを受けていたと流貴が知ったのは、それから少ししてからだった。

 兄の仇を探し出し、怪しまれないように近付き、ずっとチャンスをうかがっていた。
 その間も、当局が取り締まりにくいような卑劣なやり口を目の前にして、何度殺意を飲み込んだことか。
 しかし、あの樽のような体から転がった頭を見た時、流貴には暗い微笑以外には、何もわかなかった。ただ、やっと肩の荷が下りたような、虚脱感だけがあった。

 ・・・あのアサシンは、逃げられたかな。

 流貴には、魔法や医術の心得はない。弓術の練習中に、たまたま拾ったスクロールぐらいでは、顔につけられたひどい傷を、完全に塞ぐことなんて出来ないと思う。

 早く、きちんと治してもらわないと・・・

 ふいに、血まみれの顔が、泣き出しそうにゆがんだのを思い出し、流貴は愉快な気分になった。
 アサシンという職業についている人間は、もっと鉄面皮で、クールでドライなのだと思っていたのだ。途中で乱入して、勝手に死にかけている自分など放っておいて、任務が終わったらさっさと帰るものだと思っていたのに。

 そうだ・・・。俺は、護衛に斬られて、死んだ・・・はず?

 まるで鉛のように、重く冷たく感覚がなくなっていく体には、触れている彼の腕は熱かった。意識が朦朧として・・・何か、飲まされたような・・・。

「!!!・・・っいて、ぇ」
 飛び起きかけて、引きつるような熱い痛みに、再び寝台の上にうずくまる。
「なにをやっとるか」
 呆れたように流貴を見下ろしている白衣の老人は、医師か。
「せっかく縫った傷口が開くぞ。大人しくしとらんか」
「・・・ぅ、ここ、は?」
 見覚えはないが、この空気は流貴に馴染みがあった。
 潮の香りのするアルベルタではない。清涼な、土と、竹林の匂い。
「フェイヨン?」
「の、旅館だ。丸一日寝ておったが・・・さすが、冒険者は回復が早いな」
 まだ熱く疼く胸の傷をかばいながら、流貴は起き上がってみた。
「そうだ、アサシン・・・!俺を、助けてくれた人は?」
「さて?私は旅館の人間に呼ばれただけ・・・だから、まだ動くんじゃないっ」
 すぐにでも走り出しそうな流貴を押さえつけると、医師は宿の従業員を呼び、安静にしているようにときつく言いつつ、薬を置いて帰っていった。
「貴方が運び込まれたのは、昨日の明け方です。男の方が、助けてあげて欲しいと、お金を置いていかれました」
「その人、顔に傷は?」
「ええ。・・・こんな感じで」
 女性従業員は、眉間から右頬に、すっと指を滑らせてみせた。
「ちょっと紫がかった色の髪をした・・・こう、切れ長な感じの目で・・・」
 うきうきと話すその気持ちは、流貴にもよくわかる。あのアサシンは、悔しいことに、けっこう美形だった。
「細そうに見えるのに、やっぱり男性なんですね。雨の中を、貴方を担いで歩いてこられたんですから」
「歩いて!?」
「ええ。カプラサービスを利用したら、あんなに濡れていないと思います。明け方には、雨上がっていましたから。・・・あの、どこでその怪我を?」
 アルベルタ・・・と言いかけて、流貴は首を振った。
「森の中。暗くて・・・ちょっと迷ってたから。・・・それで、その人は?名前とか・・・」
「わかりません。すぐに、どこかへ行ってしまわれて・・・」
「そう・・・ですか」
 礼を言って女性従業員を下がらせると、流貴は賑わいをみせるフェイヨンの街を、窓から見下ろした。
 あのアサシンが、アルベルタのカプラサービスを利用しなかったのは、足が付かないようにするためだ。旅館から姿を消した流貴は、殺人容疑で手配されているかもしれない。・・・実際、一人射殺したが。
 アサシン一人だったなら、蝶の羽でも何でも使って、すぐに自分の拠点へ帰ることが出来ただろう。
(それを、俺を担いでフェイヨンまで歩いただと?)
 自分も怪我をしていたはずなのに、なんという体力だ。所詮、本職にはかなわないということだろうが。
(さて、これからどうしたもんか)
 せっかく生き残ったのだから、残りの人生も有効に使わなくては。
 世の為人の為になることをする、などという、献身的な心根の持ち主でもないし、いまさら弓術で生計を立てるような気にもなれない。
 兄の復讐の為に、隠れ蓑としてバードという職業を選んだが、案外気に入っていた。
(元々、音楽好きだからな)
 その道を極めてみるのもいいが、演奏中は弓を持てないし、いちいち持ち替えるのは面倒だ。一緒に狩りに行くとしたら、歌いながら自分の身ぐらい守れないと・・・。
(待て。俺はいま、誰と一緒に狩りに行くつもりだった?)
 自問して、撃沈。
 窓辺からふらふらと寝台に戻ってうずくまり、手探りで硬めの枕にこぶしを叩き込む。
「あのやろ・・・卑怯だ・・・」
 たしかに、他に方法はなかったかもしれないが、こちらは前後不覚で動けないというのに・・・。
 思い出しただけで、赤面する。
(ばっちり気持ちのいい感触を覚えているんだが、これはいったいどうしたらいいんだ?せめて、意識飛んだ後だったら・・・っ!くそっ!)
 完全に意識がない状態で無理に飲ませても、肺に入る可能性があって危険なのだということは、もちろん流貴は知らない。
 まったく認めるのもしゃくだったが、完全に魅了されているという自覚がある。
(ばしっとハートを射抜かれた・・・いや、あの職業の場合、盗むか。・・・ええい、そんなことはどうでもよくてだなっ!!)
 自分に突っ込みつつ、うんうん唸る姿は、傍から見てとても変だろう。
 しかし、口移しでポーションを飲ませてもらったらしい記憶があり、その唇の感触が気持ちよかったとか思ってしまっている流貴にとって、現在の状況は非常に不本意で、少し血が足りていない頭でもフル回転させる必要があった。
「なんで奴がここにいないっ!?」
 流貴の新たな人生の始まりだというのに、一緒に祝って欲しい人が傍にいないことが、納得いかない。
 寝台から飛び降りて、いそいそと身支度を始める流貴。名前もわからないというのに、探し出す気になっている。
 所持品のほとんどは失われたが、財布はあったし、カプラの倉庫には、まだ色々預けてある。
 大人しくしていろという医者の言葉など、鼻にもかけず、それでも一応薬は持って、流貴は客室の扉を開けた。
 気持ちのいい風が吹き込んで、流貴の長い銀髪を揺らした。
「その前に、変装が必要だな」
 憑物が落ちたようにすっきりとした表情で、流貴はにやりと笑った。