夏の猛獣 −5−


 痛み止めは飲ませたが、熱が出るかもしれないので、一晩は安静に寝かせておくように、とガウク宮廷医師団副団長から厳重に言い渡され、イーヴァルは素直に頷いた。幸い重傷ではなかったものの、自分だったら同程度で済ませられるかどうか疑問なので、イグナーツの幸運と暗殺者仕込みの基礎体術に感謝する気持ちでいっぱいだ。
 昼過ぎの暑い時間にフリゾリート城に帰り着くと、イグナーツは汚れをぬぐって寝室に引き上げさせたが、イーヴァルには別の用事が待っていた。
「わたくしどもの監督、管理が不行き届きでありました!まことに・・・・・・まことに、申し訳なく・・・・・・!!」
 イーヴァルの前には、文字通り床に這いつくばった男たちが、額を床に擦り付けて震えあがっている。彼らは、ドミロナの町長と商工会議長と小学校長だ。さらに、宮内局直轄領総督を呼び出す早馬が、現在ラズーリトに向けて街道を驀進しているはずだ。
 イーヴァルは背もたれの高い立派な椅子に腰かけ、組んだ足先を揺らしながら、冷淡に彼らを見下した。
「なかなか元気の良い童たちだったな。無礼な物言いはさておき、彼らのおかげで、予は舟ごとひっくり返るという醜態をさらさずに済んだ。フリゾリート城下の水域に無断で侵入したことは、不問にする」
「ははぁ〜っ!」
「しかし、彼らが暴挙に至った背景と、実際に仕掛けられていた水中の障害物の設置に関しては、厳に追及する。ローベルト、報告せよ」
「はっ」
 イーヴァルのそばに控えていた侍従長が、かつっと踵を鳴らし、直立不動の姿勢で報告書を読み上げた。
「フリゾリート城の桟橋近辺に仕掛けられていた障害物は、発見され、撤去が完了したものだけで三基。また、子供たちの証言による水域全体は、現在調査中のため、今後増える可能性があります」
 イーヴァルはうなずき、続きを促した。
「今朝、本城水域に侵入した二名の男児ですが、いまだ保護者が捕まらないため、本城の一室に確保してあります」
「親は何をしている?」
「父親の名はステファン。漁師です。現在、妻のベラと共に行方不明で、ドミロナの町をあげて捜索中とのことです」
「行方不明?」
 イーヴァルの声に棘が混ざったのを感じ、這いつくばった男たちが、さらに身を縮こませた。
「発言をお許しいただければ、捜索指揮を執っている町長殿たちより、ご説明申し上げます」
「発言を許す。どういうことだ?」
 イーヴァルの視線を受けて、てっぺんの禿げた頭が一度床に打ち付けられ、わずかに上を向いた。
「ははっ!今朝お城よりご連絡を賜り、ステファン宅へ急行いたしましたが、すでにもぬけの殻でございました!仕事道具はそのままでしたが、貴重品類は持ち出されているらしく、逃亡とみなし、ドミロナ外へ行けないよう、検問を設けております!また、町民に布告を出し、二人を匿う者には厳罰を、見つけ、捕らえた者には褒賞を出すとし、町を上げて、鋭意捜索中でございます!!」
「子供を置いて逃亡か。ずいぶん無責任な親だな。この様子では、日ごろから問題の多い人物だったように思えるが?」
 今度は撫でつけた金髪頭が、かすれた声を発した。
「陛下のご明察、恐れ入ります。ステファンとベラは、仕事仲間内や隣近所でもなにかとトラブルを起こしがちで、敬遠されておりました。彼らを匿う人間はごく限られていると思いますので、あぶりだされるのは時間の問題かと。それと最近、漁や生簀に使う網が盗まれるという事件が頻発しておりました。おそらく、仕掛けに使われたのは、他の漁師たちからの盗品ではないかと・・・・・・」
 商工会議長の証言に、イーヴァルは呆れて額を押さえた。なんという小悪党か。
「わかった。これでは親の処罰は免れんな。では先に、子供らの処遇を決めようか。マール湖を我がものと放言する、なかなか気宇の大きな子供であったな」
 三人のうちで一番恰幅の良い男が、額を床にこすりつけたまま、ガタガタ震えていた。絞り出す声も理性を半ば逸脱しているように、聞き取りづらく裏返っていた。
「もっ、申し訳、ございませんッ!わた、わたくしどもの、ししし指導ぶっ、ぶそっ・・・・・・」
「落ち着け、校長」
 イーヴァルが傍らに視線をやると、心得た侍従長が落ち着いた調子で校長を代弁した。
「あの男児らですが、あまり学校へ通っていなかったようです。他の児童とも、特別仲が良かったという報告はありません。やはり両親の影響か、遠巻きにされることの方が多かったようです」
「ふむ。それでは、なおさらそのままにはしておけんな。小さなテロリストが、やがて予や予の後の皇帝に牙をむくやもしれぬ」
「ッ・・・・・・!!」
 全身の水分を汗で失いそうな校長に、イーヴァルはふわりと口元にだけ微笑を浮かべた。
「兄弟仲は良いようだし、引き離すのは酷というものだ。どこか、環境の良い施設を手配せよ。広い世間を知れば、おのずと自らの道を見定めよう。そのうえで、両親に勝る悪党となり果てるのならば、それも一興。我が愛しの黄金羊を激怒させた罪もあることだし、その時は、イーヴァルの名において死を与えよう」
「はっ」
 侍従長が一礼すると、校長はがばりと顔を上げ、真っ青だった顔をみるみる赤くさせ、再び額を床に擦り付けた。
「も、もったいない・・・・・・寛大なるお言葉、かたじけなく存じまするッ!!」
「よい」
 イーヴァルは軽く手を振り、そのまま席を立った。
「子供らはそれでよかろう。ただし、そなたらも全くの無罪放免というわけにもいかぬ。罷免程度は覚悟するように。委細は直轄領総督に任せる。・・・・・・引き続き、あの男児らの両親を捜索せよ」
「ははぁっ!!」
 処刑されてもおかしくない失態を犯しながら、首の皮一枚つながった町の顔役たちが平伏する中、イーヴァルは謁見の間を出ていった。
 正直、甘いとは思うが、大々的な処罰をすると、どうしてもイグナーツの耳目に入ってしまう。あの男児らの言動に怒ったイグナーツだが、町全体を処罰の対象にするなどやりすぎると、かえって悲しませるやもしれない。
(それに・・・・・・)
 国政にかまけて、直轄領の行政を任せきりだったのはイーヴァルだ。
 それが悪いわけではない。ちゃんと専任の管理官を任命し、彼らも大過なく業務をこなしてきた。どこの町にも、ならず者や心得違いをする者はいる。いくら人間が注意しても、大自然が相手ではタイミングが悪いことなどよく起こる・・・・・・。
 だが、すべては言い訳に違いない。
「・・・・・・・・・・・・」
 寝室の扉の前に立ち、イーヴァルは戸惑った。この扉を開ける資格が、自分にあるのだろうかと。
 昔のままの感覚でいた自分の、認識の甘さ。思い付きで出掛けた先で、イグナーツに大怪我を負わせてしまった。これだけで、他人ならば万死に値した。あの時の、絶望にも感じた焦燥・・・・・・ほんの一瞬で、永遠にイグナーツが失われたかもしれないと思うと、臓腑が締め上げられるような痛みを感じた。
「・・・・・・・・・・・・」
 衛兵たちのわずかな視線の動きを感じ、イーヴァルはさりげなく寝室の扉を開け、静かに閉じた。
 薄暗い寝室だが窓は開けられ、ベッドの天蓋から下がるカーテンが、風を受けてゆらゆらと揺れていた。
 ベッドで静かに横たわっているイグナーツの額には、水で冷やし、良く絞った手拭いが載せられていた。
「・・・・・・イーヴァ?」
「起こしたか。気分はどうだ」
「ん、平気」
 イーヴァルが近づくと、イグナーツは手拭いをずり上げて微笑んだ。支えながら歩いたときは蒼白だったが、だいぶ顔色が良くなっている。
「イグナーツ・・・・・・」
「ははっ、なんて顔してんだ。馬から落ちたのはイーヴァじゃなくて俺だし、本当に、たいした怪我じゃない」
 ガウク医師に安静にしていろと言われたから寝ているのだと、イグナーツは唇を尖らせた。
 イグナーツがシーツを叩いて促すので、イーヴァルはそばに座って顔を撫でてやると、気持ちよさそうにすり寄ってきた。
「もしかして、責任感じてんのか?謝るなよ。イーヴァは悪くない。誰も予想できなかった。不可抗力。イーヴァのせいじゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
 イグナーツの顔を撫でていたイーヴァルの手が、イグナーツの手に包まれた。少し熱い。やはり熱が出たのだろうか。
 自責に細くなったイーヴァルの目を、イグナーツの金色の目がまっすぐに見上げてきた。
「俺は、イーヴァが子供の頃の話するの、好きだぞ。昔家族で過ごしたところに、いまは俺が一緒にいられるのが、すごくうれしい」
「・・・・・・そうか」
「うん」
 にっこりと笑ったイグナーツに抱き寄せられて頬を触れ合わせ、唇を重ねた。
「ああ、そうだ。イーヴァにお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「ドミロナって、一応観光地なんだろ?ハインツやロサ・ルイーナたちに、なにかお土産をあげたいんだ。お小遣い貰えるか?」
 以前、イグナーツが自分の小遣いを稼ぐために内職をしようかと言いだして、イーヴァルが何でも買ってやるからやめろと言ったことがあった。だからイーヴァルは、二つ返事で了承した。
「ああ、わかった。・・・・・・そういえば、子供の頃に連れて行ってもらった菓子店があったな。今もあるかどうかはわからないが・・・・・・」
「行く!連れてって!」
 目を輝かせたイグナーツに、イーヴァルもつられて、小さく微笑んだ。
「わかった。街で混乱が起きないよう、町長に取り計らわせる。少し時間をくれ」
 現在ドミロナの町は、行方不明の夫婦の捜索で、戒厳地域ともいえる緊張に包まれている。しかしそれも、数日中には収まるだろう。
 町を丸ごと取り潰さなくてよかったと、元気そうなイグナーツの笑顔を見て、イーヴァルはほっと胸をなでおろすのだった。