夏の猛獣 −1−


 北国ベリョーザにも夏はくる。気温はぐっと上がり、人々は外気に肌をさらすようになるが、それもごく短い期間だけである。
 国土が広いので地方によってばらつきはあるものの、帝都ラズーリトを例に出すと、積もりに積もった雪が四月に解けはじめ、五月に一斉に花が咲き、六月から七月にカッと暑くなり、八月の終わりには過ごしやすくなってくる。短い秋を過ぎれば、そこから先は、また厳しい冬だ。
 そんなわけで、ベリョーザ国民のほとんどは、短い夏を全力で謳歌することにしている。

 ベリョーザ帝室直轄領ドミロナは、マール湖のほとりにある町だ。ザミェル山の谷間にあり、帝都ラズーリトからほどほど近い避暑地である。普段は静かな田舎町だが、夏には観光客が訪れ、人口は倍近くまで膨れ上がる。
 庶民向けの宿泊施設は充実しているが、貴族の別荘はない。それが余計に、庶民が集まることに拍車をかけているのだろう。
 貴族の別荘がないのには理由がある。ドミロナは先述のように帝室の直轄領であるから貴族は建物を所有できず、さらにマール湖をはさんで街と反対側には、帝室専用の別荘であるフリゾリート城があるのだ。貴族は遠慮をして、旅行にくることも滅多にない。
 そのフリゾリート城は、この二十年近く、まったく使われていなかったが、今年になって久しぶりの臨幸が決まり、慌ただしく準備が進められていた。
 一応手入れはされていたが、設備は古く、働く人間も減っていた。宮内局から急遽、人が派遣され、設備や備品を新しい物に置き換える作業が急ピッチで行われた。
 皇帝の馬車が到着した時は、すべての調整が終わり、城内はラズーリト宮に迫る華麗さを取り戻し、制服を着用した使用人たちがずらりと並んで出迎えることができたのは、さすがと言えよう。
「ご苦労」
 衛兵と使用人たちが畏まる中、馬車から降りてきた皇帝イーヴァルは一言投げかけ、続いて馬車から降りてきた者に手を貸した。
 通常、皇帝が誰かの手助けをすることなどありえない。幼い実子(男児に限る)であれば抱き上げることもあろうが、たとえそれが皇后であったなら、そのほう助はおおむね使用人の役目だ。だが、この人物に限っては、皇帝が余人に触らせないのだから仕方がない。言い換えれば、血肉を分けた皇太子以上の存在、という認識で間違いない。
「おおー、でっかいお城だなぁ。別荘って言うから、もうちょっと小ぢんまりしているのかと思った」
「元々は、曽祖父が病弱だった自分の后妃の療養のためにつくったと聞いている」
「ほえぇ。イーヴァのひいお祖父さんって、ラズーリトに都を移した人だろ?あっちにもこっちにも城造るって、すげーな」
 高原に降り注ぐ真夏の日差しが、山吹色の薄いショールをさらりと輝かせた。各国の為政者はもとより、国民にも畏怖される漆黒帝イーヴァルが、何よりも貴重と手放さない至宝。幻の寵姫、あるいは黄金羊と称される若者は、蒼穹にそびえるフリゾリート城を見上げて素直に感嘆した。
「疲れただろう。まずは落ち着いて、喉でも潤すとしよう」
「うん」
 衛兵たちはまっすぐ前だけを見、使用人たちは決して頭をあげないので、黄金羊の顔を、そして彼を見つめるイーヴァルのその表情を、その仕草を見ることはない。ごく自然に繋がれた、その手と手も・・・・・・。

 観光客やそれを支える物資の輸送にごった返す街道を、さらに脇に避けさせて、帝室の紋章が掲げられた馬車群はフリゾリート城へと入っていった。ラズーリトから半日ほどかけて到着した高原は、美しい湖面に城壁を映し、清々しい空気が都会の忙しなさを忘れさせてくれる。
 テラスに出された豪奢な寝椅子にだらしなく体を預け、冷たいブドウジュースをすすりながら、イグナーツはうんと背を伸ばした。
「なーつやーすみだぁー」
 毎日が休みのような人間が何を言うと思われるが、夏休みなのはイーヴァルと、普段イグナーツの身の回りの世話と警護をしているロサ・ルイーナと医官のハインツの三人である。気苦労が絶えない側近の二人に、イグナーツがついでに夏季休暇を出したのだ。さらに、気高い毛皮の淑女、雪豹のエヴァも、今回はラズーリト宮にて留守番だ。
 いまフリゾリート城でくつろいでいるのは、イーヴァルとイグナーツの二人きりだが、二十年前までは皇帝の家族が避暑に使っていた。つまり、イーヴァルも子供の頃は、ここで両親や姉と夏の日々を過ごしていたのだ。平和と安寧の日々、穏やかな思い出が残るこの城へ、イグナーツを連れてきてくれたのだから、あまり自分の気持ちを言葉にしないイーヴァルの心情も推し量れるというものだ。
「・・・・・・綺麗だなぁ」
 夏の遅い夕闇が迫ったグラデーションの空には、ぽつぽつと星が輝き始めている。ザミェル山のギザギザした峰が夕日を受けてオレンジ色に輝いていたが、刻一刻と暗くなっていく黄昏に徐々に同化していく。
 視線を転ずれば、背の高い梢の向こうでマール湖もキラキラと輝き、群青色と白色と黄金色が乱舞している。おそらく、いまイグナーツがいるフリゾリート城も夕日を受けて輝いていることだろう。こちらから風景を見ていても綺麗なのだから、ドミロナの街からのフリゾリート城の眺めは、さぞ画になるに違いない。観光地になるのもうなずける。
「まだここにいたのか」
「うん」
 テラスに出てきたイーヴァルを見上げ、イグナーツは微笑んだ。
 連日忙しく公務をこなすイーヴァルが、二十四時間イグナーツの相手をしてくれるのは、バカンスの時だけだ。もちろん、毎日言葉を交わしたり、ベッドを共にしたりはしているが、基本的に皇帝は帝国と帝国民のものだ。・・・・・・本人は、国土と民草こそが自分の物であると言うだろうが。
 イーヴァルが仕事から離れて、イグナーツだけの相手をしてくれるこの時ばかりは、四六時中べたべたいちゃいちゃしていても、誰にも迷惑をかけないので、イグナーツは大変機嫌が良い。同時に、もちろんイーヴァルも機嫌が良い。
 柔らかく唇同士が触れあい、幸せだなぁとイグナーツの頭は蕩ける。
「そろそろ夕食の時間だが・・・・・・まだいいな」
「うん?待たせちゃ悪いし、戻るぞ?」
「そうではない」
 端正というよりも、月光のように美しいと言えるイーヴァルの顔立ちの中で、深い紫色の目が、そこだけはひどく獰猛な光を宿して、イグナーツを見下してくる。
 するりと頬が重なり、温かな吐息とともに、イグナーツの首にあるチョーカーが引っ張られる。
「ッ!?おい、こんなところで盛るな!!」
「美味そうな獲物が、呑気に転がっているのが悪い」
 チョーカーが少し左右にずれるだけで、つながった鎖の先にある両の乳首が刺激される。痛みはないが、ピアスに貫かれたそこは、慣れた欲望のへの期待に、理性にかまうことなく反応する。
「ぁっ・・・・・・ッ!」
「くくっ、この日のために仕事を片付けたかいがあったというものだ」
 首筋を甘噛みされ、薄い夏用のシャツの合わせ目から、鎖をもてあそぶ長い指が滑り込んでくる。
「あ、あのなっ?ここ野外だからな?お城の中でも、空見えてるからな!?」
「ふむ、たまには開放的な場所で、思い切り悲鳴を上げてみればよかろう」
「よかろう、じゃねえよ!俺はよくね、ぇッ・・・・・・ぁ、あっ!ん、ぅ・・・・・・!」
 イグナーツがいくらもがこうと、獲物を捕まえた猛禽のようなイーヴァルからは逃れられたためしがない。
「発情期か、このエロ皇帝!」
「うるさい奴もいないことだしな」
「馬鹿。ハインツは俺のケツが普段から締まりが悪くならないように、って心配してくれてるんだ!俺のケツがユルユルガバガバになったら、イーヴァだって嫌だろ?」
「ふむ。では・・・・・・」
 やっと諦めたかとイグナーツは微笑んだが、次の一言で凍り付いた。
「時間をかけて解して、お前が泣いて善がるくらい優しくすればいいのだな?」
「・・・・・・ッ!?ち、ちが・・・・・・いや、違くないんだけど!ぜひ優しくしてほしいんだけど、この場合はそういうんじゃないような!?」
「少し黙れ」
 ちゅっ、と音を立てて重ねられた唇は、条件反射のように開かされて舌が絡まり合う。
「ン・・・・・・は、ぁ」
 次々とシャツのボタンが外され、肌を滑っていくイーヴァルの手の感触に、イグナーツはふるりと慄いた。キスをむさぼりながら肩にしがみつくと、素知らぬ風に胸や腹をゆっくりと撫でられ、抱きしめるように腰を愛撫されると、もうたまらなかった。
「ぁっ・・・・・・はっ、イーヴァ・・・・・・」
「そんな顔で誘うか。外では嫌じゃなかったのか?」
「誘ったのはそっち・・・・・・あぁ、もう、どっちでもいいよ」
 直接触られなくても、煽られただけで硬くしているのは隠しようがない。それでも、実際にズボンをはぎとられて、高原の風に涼しく撫でられながら、しっかり立ち上がった陰茎のカリに濃い紫色の宝石が付いたピアスが、そのすぐそばの裏筋にリングピアスを揺らし、さらにその下方の付け根に三つも金のピアスが並んでいるのを眺められる羞恥ときたら!
「あんたこそ、なんだそのエロい顔は。そんなにコレがイイ物か?」
「お前にとっては、そうでもないか」
「アッ・・・・・・っ、そこ・・・・・・ッ!」
 あたたかな手にゆるゆるとしごかれ、イグナーツはイーヴァルのシャツとクッションを握りしめた。
「は・・・・・・ひ、ぃっ・・・・・・はぁっ、ぁあっ!」
 鼓動に合わせて、薄い皮膚の下が脈打つのがわかる。アクセサリーで飾られた陰茎は、誰かの中に入れることなど想定されていない。誰のものかという印と、印をつけた者に鑑賞されるためのものだ。
「よい眺めだ」
「んっ、はっ・・・・・・あっ、そこ・・・・・・舐める、なっ、て・・・・・・ヒ、ィッ!」
 赤く充血し始めた先端に温かな舌が這い、小さな穴をこじ開けるようにねじ込まれ、イグナーツはたまらず背をそらせた。撫でるように優しくしごく手は止まらず、唇に吸い付かれた先端からの刺激と合わさって、もどかしく腰が揺れ動くのを止められない。
「や、やだ・・・・・・イーヴァ、イーヴァぁっ、ああっ、も・・・・・・は、放せって!で、でる・・・・・・出ちまう、って・・・・・・!」
「相変わらず堪え性のない奴だ」
「はぁ・・・・・・。もうその程度じゃ怒らねえぞ。あんたが上手いって褒めてるようなもんなんだけどな」
 その表情を見て、イグナーツは自分の失敗に気付いたが、完全に遅い。彼は列国に冠絶する統治力を持った、理知的で優秀な支配者だが、同時に性格のあちこちに問題を抱える男でもある。もっとも、琴線に触れても地雷を踏んでも、結果はあまり変わらないのだが。
 黄昏の闇から溶け出すように、キラキラと目を輝かせた捕食者が、穏やかに、艶やかに微笑んだ。
「煽り耐性が付く代わりに、この俺を煽るようになったか。可愛い奴だ」
「ッ・・・・・・怖い笑顔で言うな!」
 イグナーツは自分自身に、どうして墓穴を掘るんだとツッコミを入れたくなった。