道 −5−


 シリウスはシャノアの部署に謝罪をいれ、あとで「Blader」の溜まり場に行ってみると言っておいたのだが、しばらくしてサンダルフォンから連絡が入り、まさかと駆けつけてみれば、パラディンのソラスティアに連れられたシャノアが戻っていた。
「すみません。うちの者が連れてきてしまって・・・」
「はぁ・・・」
 「Blader」の者だと名乗った人間が、優しげな美女だったせいで、シャノアの上司も困惑気味に頷くだけだった。
 硬い表情のシャノアに、「なぜ戻ってきた」とは聞けない。
 あのクラスターが、シャノアに本当のことを言うとは思えないし、包み隠さず事実を言ったとて、すぐに信じてもらえるものではないだろう。
(・・・つくづく、損な人間だと思うんだが)
 そんなことを本人に言ったら、「お前にだけは言われたくない」と切り返されそうだ。
「大丈夫か?」
「はい・・・」
 少し青ざめて、元気のない目が見上げてくる。
 クラスターたちが素人相手に乱暴するような集団ではないと知っていたが、いかんせん、個性の強いのがそろっている。大きな疲労を感じて当然だ。
「ごめんなさいね。何か困ったことがあったら、私でよければ力になるから」
「あの・・・送っていただいて、ありがとうございました」
「どういたしまして。またね、シャノアさん。シリウスさんも、ごきげんよう。失礼します」
 にっこりと感じのいい微笑を残し、ソラスティアは紫紺色のマントを翻して去っていった。
 軽く質疑応答をしただけで、シャノアは結局、その日は帰らされた。どちらにせよ、あの様子では、炎天下での任務は無茶だろう。
 シリウスはと言えば、積み上がった書類を片付けて、うんざりするような隊長の演説を聞いて、通常の鍛錬をこなし、自宅に帰ってこられたのは、早朝からの出勤だったにもかかわらず、だいたいいつもどおりの時間だった。
「はあぁ」
「またクラスターさんに負けたの?」
「なっ・・・」
「あらやだ。当たっちゃった?」
 おほほほと快活に笑いながら、サクラは食卓の準備に余念がない。
 ハンターとしてあちこち出かけるわりには、毎日料理の腕を振るう妻に、シリウスは頭が上がらなかった。
「どうしてわかった?」
「だって、そんな顔をしていたんだもの。やっぱり男の人って、いくつになっても負けず嫌いなのね」
「それは・・・」
 何を言っても苦しい言い訳になりそうで、シリウスは観念した。
「サクラ、騎士団の噂を知らないか?」
「騎士団の噂?新しいクエスト?」
「いや、そうでなくて。・・・どこかに、人を閉じ込めている、とか」
「留置所のことではなくて?うーん・・・」
 ルティエビビン冷麺のどんぶりを持ったまま、サクラは眉を寄せて首をかしげた。
「怪談話でなら、聞いたことがあるけど。貴族の士官に乱暴されて死んじゃった子が、化けて出てくるって」
「本当か!?」
「やぁねぇ。怪談話だって言ってるじゃない。本気にしないでよ」
 苦笑いを浮かべて、サクラはどんぶりを置いた。
「はい、どうぞ。お堅い所ほど、そういう話が出てくるんじゃない?あんまり気にしないほうがいいわよ」
 ただでさえ堅苦しい性格で堅苦しい職場にいるんだし、と続けて、サクラは朗らかに笑った。
 サクラの作った冷麺は、良く冷えていて、つるりとした麺に辛口ソースがからんで、実に美味だった。
 子供はまだないが、幸せな家庭だ。明るく元気なサクラを失いたくはない。だが・・・
 「深入りはするな」と忠告した、無愛想な薬屋の言葉と、騎士団に戻ってきたシャノアの硬い表情が、頭から離れない。
 見てみぬ振りは出来ない。しかし、家庭を取るか、職務を取るかと問われれば、例えエゴイストと呼ばれても、家庭を取るだろう。だが、どうしてもシャノアのことは気になる。
 思考が堂々巡りになって無口になった夫を、サクラは呆れたように眺めやった。でも、彼女はそんな真面目なシリウスを好きになったのだ。

 不可抗力ながら仕事に穴を開けてしまったが、翌日は元々非番だったため、シャノアは夕暮れも遅めの時間から街に出た。
 女子寮にこもって一人で考えていると、どうしてもくさくさした気分になってしまう。
 噴水広場には、涼を求めて集まった人々と、その人出を目当てに露店を開く商人たちでいっぱいだった。シャノアは人の流れに押されるまま、少し空いている中央大通りを下った。
 すでに星が出ていたが、熱気が収まってきた時間の方がいいのか、灯りを掲げた露店は少なくない。
 ふと、アイスクリームを手にしたカップルとすれ違い、シャノアはあたりを見回した。少し先で、客にアイスクリームを手渡している女商人が見えた。
「いらっしゃいませ」
 黒い猫耳のカチューシャをした、青い目の可愛らしいマーチャントだ。
「アイスクリームひとつください」
「はい、95ゼニーです」
 にっこりと感じのいい笑顔で差し出されたアイスクリームを受け取ったが、シャノアの金は宙に浮いて、マーチャントの手に乗らなかった。
「あっ!」
 ちゃりりんと落ちた硬貨よりも、シャノアに突きつけられた白刃に、マーチャントの目が丸くなる。
「シャノア=レンゾルだな。スパイ容疑で逮捕する」
「えっ・・・ちょっと待ってください!どうしてですか!?私は何も・・・」
「連行しろ」
 あっという間に騎士たちに取り押さえられ、シャノアの手からアイスクリームが落ちた。
「いやっ!放してください!何かの間違い・・・んんっ!!」
 縛り上げられた上に布で口をふさがれたシャノアを見て、マーチャントが悲鳴を上げた。
「ちょっと、なにするの!?間違いだったらひどいじゃない!!」
 しかし、シャノアに向いていた剣が、抗議したマーチャントに振り下ろされた。
「!!」
 とっさに盾で防御したのは、さすが冒険者と言ったところだが、騎士の膂力は小さな体を吹き飛ばした。街路樹に激突した女マーチャントは、打ち所が悪かったのか、起き上がってこない。
「んー!んむーっ!!」
「公務執行妨害だ。行くぞ」
 ペコペコの背に担ぎ上げられたシャノアは、恐怖と申し訳なさにきゅっと胃が縮んだ。自分がスパイなどと言うのはまったくのでたらめだし、きっとすぐに無実だとわかってもらえる。しかし、自分をかばったばかりに、何の関係もない女商人が怪我をするのは、どう考えても不条理だ。どうか、彼女がたいした怪我でないとよいのだけど・・・。

 軽く意識が飛んだ状態で、自分がすごい勢いで樹にぶつかったせいで、スタンしたのだということは感じていた。しかし、とにかく頭が痛いし、体に力が入らない。なんて馬鹿力な騎士なのか・・・。
 うわんうわんと、ひどい耳鳴りがするなかで、みつきは冷たいポーションの感触に目をあけた。
「大丈夫か?頭を打っている。じっとしていろ」
 どこか遠くに聞こえる男の声に、みつきは言われたとおりにじっとした。ぼやけた視界の中で、まるで生き物のような牙を持ったケープが見える。
(うわぁ・・・クリエイターさんだ。すごいなぁ)
 みつきもアルケミストに転職して、修練を積んでいけば、いつかは彼のようになれるかもしれないが、その気はない。みつきには、戦うことよりも、相場チェックの方が大事なのだ。
(でも、もっと強くならなきゃダメかなぁ・・・)
 いくらなんでも、一発で倒れては情けない。
「マーチャントギルドには連絡しました。この子、どこかに運びますか、サカキさん?」
「ちょっと待て。・・・みつきさん?」
「はい」
「・・・クラスターを、知っているか?」
「はい。・・・あ、えっと首輪が・・・」
 首元をさぐって、そういえば外していたんだと思い至った。
「・・・移動しよう。起き上がれるか?」
「ん・・・頭、痛いです」
 差し出された瓶の中身を飲み干し、その爽やかさとつんとする刺激に、意識がしゃっきりとした。今までに飲んだことはなかったが、たぶんアンティペインメントだ。
 起き上がってみると、ひどい眩暈と頭痛に吐き気がしたが、薬が効いたのか、すぐに和らいでいった。
 ブラックスミスらしい男に抱きかかえられて運ばれながら、みつきは連れ去られた若い女騎士のことを考えた。乱暴に扱われていたが、大丈夫だろうか。きっと無実で、すぐに釈放されるに違いない。そうしたら、今度はちゃんと、アイスクリームを買ってもらおう。

 不運が重なったとしか言いようがないが、自分の判断が回りまわってみつきに怪我をさせたのかと思うと、ひどい自己嫌悪に陥る。
 サカキから渡された首輪を握り締め、クラスターは自分を殴りたい衝動をこらえた。冷静さを失っている場合ではない。
「世話をかけた」
「同じ商人として、放っておけなかっただけだ」
 普段から不機嫌を絵に書いたような、無愛想な製薬クリエイターだが、今夜はひときわ眉間のしわが険しい。
 ハロルドという名のブラックスミスに抱きかかえられて運び込まれたみつきは、ハイプリーストのシノと、姉であるゆうづきが付き添っている。やはり脳震盪と、いきなり攻撃されたことのショックが大きいようだが、いまのところ深刻な症状は出ていないようだ。
「指揮していたのは、たぶん士官だ。緋色のマントが見えた。連れて行かれたのは、黄色いおだんご頭の若い女騎士だそうだ。・・・たぶん、今朝の」
「シャノアか。とすると、ハイマンの息がかかった騎士なら、リヒャルドかロスターか・・・くそっ、よく生きていたもんだ」
 みつきが元気になったら、うんと褒めてやらねば。シャノアを連れていった騎士は、マーチャントの防御など軽く超える攻撃力を持った連中だ。
「あんたなら、奴らの行き先に心当たりがあるだろう?教えてくれ」
「・・・どうするつもりだ?」
「あの士官にアシデモの一発も食らわせんと、気がすまん」
 サカキが本気で頭にきていることに、クラスターは軽く驚いた。
「なにが公務執行妨害だ。清算完了前に客を引き離し、手も出していないマーチャントにいきなり斬り付けて負傷させた。営業妨害もいいところだ」
「一応、マーチャントギルドには訴えたんだろう?」
「一応な」
 だからなんだと言いたげに、サカキはクラスターを見上げた。
「実被害をこうむったのは、俺ではなくみつきさんだ。俺はココロの平和を乱された。賠償として、軽く十回ほど爆殺して、ささやかに平穏を取り戻す」
「そいつはいい案だ。よし、行こう」
 クラスターがサカキと共に歩き出すと、すぐにハロルドがついてきた。
「ハロ・・・」
「サカキさんが行くなら、俺も行きます。足手まといにならないようにしますから」
 説得が面倒なのか、言っても効果がないのか、サカキはそれ以上言わなかった。
 それにも増して、溜まり場であるクラスターの屋敷を出る前に、多くの「Bladre」のメンバーが集まってしまった。
「いいですわよね?ギルメンの身内が負傷させられて、顔見知りが無実の罪で投獄されているんですもの」
 ソラスティアの確認は、儀礼的なものだ。
「好きにしろ」
 クラスターは愛鳥に飛び乗り、拍車を掛けた。