道 −4−


 執務室に入るなり、サンダルフォンの素っ頓狂な声に、マルコはグラスを乗せた盆を持ったまま、固まった。
「はぁ!?なん・・・うん、うん。・・・それはお前の言い方が悪いからだろ。・・・まぁ、そうだが。うん、わかった」
 地図、名簿、物価変動グラフ、各地の探検レポート、部外者が閲覧出来ないような内部極秘資料などなど。書類で出来た山脈の向こう側で、サンダルフォンは軽いため息をついた。
「クラスター殿ですか?」
「よくわかったな」
「・・・とても、親しげにお話しされていたので」
 ウィスと呼ばれる念話技術によって、離れた場所にいる人間と会話していたサンダルフォンは、切れ切れの独り言から相手を推察したマルコの洞察力に苦笑した。
「今朝、シリウス殿の所の女騎士を誘拐していっただろ?」
「ええ。ただ、部署が違う人のようでしたが」
 マルコは盆を小テーブルに置いて、よく冷やしたブドウ果汁入りハーブティーを差し出しながら、自分を狙った騎士に飛びついて攻撃をやめさせた、初々しいおだんご頭の娘を思い出しだ。
「それが、本人が帰るって言うから、騎士団に帰したとさ」
「え・・・大丈夫なんですか?」
「・・・どうかな」
 騎士団内部の人間に関しては、サンダルフォンよりもクラスターのほうが幾分詳しい。そのクラスターが、危険と判断して連れて行ったのだ。
「戻ったら、「Blader」のスパイなんじゃないかとか思われそうで、余計に危ない気がしますが」
「確かにそうなんだが、そこまで教えてやるほど、あいつは親切でもないし・・・まぁ、本人の希望だって言うんで、突き放したのかな」
 その割には、しっかりとサンダルフォンに一報を入れているあたりが、なんとも矛盾している。シリウスに教えてやれ、ということなのだろうが。
「・・・前から不思議に思っていたのですが。クラスター殿は、どういうご出自の方なのですか?元貴族だとは、聞いたことがありますが」
「貴族も貴族、大貴族のお坊ちゃんだ。しかも、私のような妾腹ではなく、れっきとした奥殿の子だ。ただ、本家とはほとんど絶縁していて、跡継ぎは後妻の子である弟御だそうだ」
 冷たいハーブティーをすすりながら、サンダルフォンがさらっと言った家名に、マルコは自分のグラスを取り落としそうになった。マルコやサンダルフォンが名を連ねている本家も一応貴族だが、そこを十として、クラスターの生家は四百とも五百とも計れる。・・・本来ならば、実力も合わさって、数百騎、数千騎の騎士を率いていてもおかしくない身分だ。
 驚いているマルコを見て、面白そうにサンダルフォンは続けた。
「たまぁに、変なところで潔癖だったり、紳士的だったりするのが不思議だったんだろ?」
「はい。では、あの戦い好きというのは、ポーズなのですか」
「いや、あれは素だ。あんなんじゃ、騎士団にいても窮屈だったろうなぁ。口が悪いくせに、本当に言いたいことは言わない天邪鬼だし」
 くつくつと笑いながら、サンダルフォンは団扇であおいだ。文鎮が載った書類の端が、ひらひらとめくれる。
「色々苦労はあっただろうが、「Blader」のマスターとして、自分の好きなようにやる道を選んだ。・・・あいつの下に集まるのは、どこかイカレた一点物ばっかりだ。そういう奴らに好かれるカリスマがあるんだろうな」
 そう言って、サンダルフォンは一掴みの紙束をマルコに手渡した。
 二振りの剣が交差する、好戦的なイメージを与えるエンブレム。連なった名前と職業、戦術傾向などが、事細かに書かれている。そしてその誰もが、一騎当千の剛の者であることがうかがい知れた。
 「Blader」・・・刃の人。そこに意味はなく、ただの力だと。メンバーひとりひとりが、一振りの、研ぎ澄まされた刃であると・・・。
「つっ・・・」
 めくっていた書類から手を引っ込めたサンダルフォンが、自分の指先を見ている。どうやら、紙の端で切ったらしい。
「大丈夫ですか?」
「うーん、浅い。もうちょっとざっくりいったほうが・・・」
「なに言っているんですか。ヒールかけますよ」
「もったいないことを言うな」
 ニヤニヤと笑うサンダルフォンから、マルコは視線をそらせた。すでに過剰に反応し始めた体が、熱に浮かされたようにすくんで震えている。
「まだ・・・十日たっていません」
「かたいことを言うな。リュンと流貴が逃げ切った祝杯だ」
 生来の異常嗜好に暴走しようとする体を、理性で必死に押さえつけているマルコの鼻先に、小さな赤い玉が連なった指先が差し出された。ふわりと漂う、生々しい鉄に似た匂い。
「っ・・・」
 顔を背けた体を後ろから抱きすくめられ、粟立った肌の上を黒い法衣がすべる。硬く熱を持ったところを服越しにしごかれ、快感に視界がはじける。
「ひぁっ・・・ぅ・・・っ!」
「そんなに我慢しなくていいと、いつも言っているのに・・・お前という奴は」
 震えて力の入っていない体をよじらせるマルコに、そう言ってくれるのは、サンダルフォンだけだった。
 普段はいい。いくら戦っても、悪魔や不死のモンスターからは、新鮮な生き血が流れ出ない。だが、一度血の匂いに狂った自分がどんな痴態を演じるか。それによって、それまで親しかった親族や知人たちから、どんな目で見られてきたか。
 わかっているのに・・・わかっているからなおさらなのか、サンダルフォンは片手だけで器用にベルトを外して、黒い法衣の下へ滑り込ませ、溢れ出した蜜を擦り付ける様に、淫らにマルコを追い詰めていく。
「はぁっ!・・・はっ、ぁあ!・・・や、めっ・・・んんっ!」
「欲求不満だろう?リュンの支援をしながら、十日も我慢できるか。今朝だって、シリウス殿やユウさんが止めなかったら、危なかったんだろう?」
 再びマルコの目の前に、サンダルフォンの指先が差し出された。赤い玉の連なりはとけ、細い筋になって伝っている。
 嫌悪と快楽が一緒に駆け巡り、ひときわ理性が心身に食い込むが、同時にたまらない疼きが肌を過敏にさせる。頭が壊れそうな痺れに、悲鳴をあげた。
「大丈夫。私がついている」
 耳元に寄せられた唇に、低く優しく囁かれて、上気した頬に涙が伝うのを感じながら、マルコは神聖な誘惑に縋る様に、馨しい滴りに舌を伸ばした。

 濡れた髪をタオルで拭きながら、みつきは専用に設えた寝室に戻った。
 じーわじーわと、やかましい蝉の声がする。日よけの布を張り出し、窓を開け放っているので、風が通れば部屋の中は幾分涼しい。
 突然やってきたかと思うと、鎧を脱ぎ散らかして、いきなり寝始めたクラスターが、上半身裸のままで、まだ静かな寝息を立てている。
(疲れているのかな)
 胴衣やサーコートを洗濯し、柔らかい布で鎧を綺麗に磨き上げたら、汗だくになってしまった。今日もずいぶん日差しがあるので、クラスターが目を覚ます頃には、洗濯物も良く乾いているだろう。
 防具の手入れはしたが、ベッドの傍に立てかけられた武器には、みつきは手をつけなかった。さすがに許可が要るだろう。
(あれ?)
 寝返りを打ったクラスターの背を、みつきはまじまじと見つめた。他の女がつけたであろう爪の痕とは別に、うっすらと傷跡が見える。ずいぶん古いが、いくつも白く残っている。
(むー・・・何の痕だろう?)
 赤い爪痕にちょっぴりヤキモチを焼きつつ、普段は長い髪に隠れて見えない傷跡に、みつきは顔を寄せた。が、再び寝返りを打ったクラスターの肩が、みつきの鼻を直撃した。
「ぷぎゃっ!!」
「・・・ぅん?」
「ぃ、いたひ・・・」
 鼻を押さえて涙目になっているみつきを、大きな手が撫でた。
「わりぃわりぃ。・・・なんだ、待ちきれなくて一人えっちの末に風呂か?」
「ちがいますよっ!お洗濯とかして汗かいたから、お風呂に入ったんです!」
 むきーっと抗議するみつきを、クラスターの腕が軽々とベッドに引き上げた。
「そうか。準備は万端と・・・」
「もう、そればっかり。昨日も他の人としたんでしょ」
「ヤキモチか?」
「ぶー。クラスターさんのイジワル」
 膨らんだみつきの頬を、クラスターはぷにぷにと引っ張って遊んでいる。しかし、その笑顔が、ふと曇った。
「・・・みつきは、自分がいるべき場所ってわかるか?」
「なんですか、それ?」
 クラスターが何を言いたいのかわからず、みつきは首をひねった。だが、そのままの意味として取るならば、答えはひとつだけだ。
「私がいるべき場所は、この家と、大通りのいつもの露店場所だと思います。そうでないと、お姉ちゃん達が困るし、クラスターさんにも会えないもの」
 みつきは、特に遠くまで冒険しに行こうとは思わない。ただ、姉達が送ってくる珍しい品物を売り、おつかいをする。たくさんの人と商品が行きかう、このプロンテラが好きだった。
「毎日露店をして、ときどきでもお姉ちゃんやクラスターさんに会えれば、それが一番いいな」
「・・・会うのが毎日でなくてもいいのか?」
「だって、クラスターさん、彼女さんいっぱいいるでしょ?」
 クラスターが少し困ったような顔をしたので、みつきは何か悪いことを言ったかと、どきどきした。
「・・・自分を呪いたくなってきた」
「ええっ!?」
 あたふたと身じろぎするみつきを、クラスターがぎゅうと抱きしめてきた。鍛え上げられた、力強くて温かい体は、いつもみつきを安心させた。
「じゃあ、俺がいるべき場所は、どこだと思う?」
「え?えーっと・・・ギルド、なんじゃないですか?」
「他にねぇわな」
「うん・・・と、思う。・・・私にも、会って欲しいけど」
 くすくすと笑い声が上がり、耳元にくすぐったい息がかかった。
「みつきは本当に可愛いなぁ。・・・ん?赤くなってるぞ」
 軽く首輪を引っ張られ、みつきはうっと息を詰まらせた。
「あせもじゃないかなぁ。ちょっと痒いし」
「なにぃ!?取れ取れ」
「やぁん」
 クラスターがみつきの首から外したマーターの首輪には、鈴と金属板に刻印が施されたドックタグがついている。棘の装飾がある首輪に、ころころした銀色の鈴はアンバランスなイメージだが、みつきは気に入っていた。
「治るまで、しばらく外せ」
「えー」
「しかたねぇだろ。キスマークで我慢しとけ。・・・それとも、SMの縄の痕とかにするか?ん?」
「えっ!?そんな・・・きゃぁっ」
 夏物の薄いブラウスを剥ぎ取られても、スカートを捲り上げられても、みつきはたいした抵抗をしない。
 みつきにとって、クラスターは世間が恐れるような『狂犬』ではない。強くて少しイジワルで、SEXが上手な優しい『クラスターさん』なのだ。
「クラスターさん、大好き」
「知っている。そんなこと」
「うん」
 そのぶっきらぼうな返事だけで、みつきは幸せだった。