道 −3−


「ヒール」
 優しい手に額を撫でられ、シャノアは頬が熱くなった。
「はい、綺麗に治りました」
「ありがとうございます。あの・・・」
「私?ソラスティアと申します」
 にっこりと聖母の微笑みを浮かべたパラディンが、シャノアの乱れた髪を撫で付けていく。
「クルセの制服も重たかったけど、ナイトもけっこう重そうね」
「はぁ・・・まだなりたての、新米で・・・」
「あら、可愛い。ねぇ、ユウ。マスターが帰って来るまで、どうしても待ってなきゃダメかしら?」
 きゅっと抱きしめられると、紅色のさらさらヘアからいい匂いがして、シャノアはさらに赤くなる。
 ソラスティアの反対側では、シャノアを誘拐してきたチェイサーのゆうづきが、あくびをしながらシャノアにしなだれかかっている。
「マスターが帰ってきても、この子は食べられないんじゃなぁい?」
「ええっ!?じゃあ、今のうちに・・・っ」
 ごくりと喉を鳴らした女パラディンだったが、それを見ていた金髪のプロフェッサーが苦笑いで止めた。
「ソラさん、素人さんを食べないように。昨夜あれだけやったのに、よく性欲が尽きないね」
「ヴェルサス副長はどうなんですかっ」
「僕はもう腰が・・・歳だねぇ」
 短い前髪が額を覆わないせいか、せいぜい二十代前半に見える片目眼鏡の男は、やれやれとソファに座ったまま伸びをした。
 その時、外から物音が聞こえてきて、すぐにシャノアたちのいる部屋のドアが開いた。
「おかえりなさーい」
 転生二次職三人の唱和で迎えられたのは、長い黒髪に悪魔の羽耳をつけた、オーラをまとったロードナイト。
「戻った。あれ・・・真澄は?」
「シノさんと柾心まさみさんが、介抱するって連れて行ったよ。マワされているんじゃない?」
「あれだけ、てろんてろんになってたんじゃあねぇ」
 ギルドメンバーが輪姦されていると、さらっと笑顔で言ってのけるヴェルサスと、けらけら笑い飛ばすゆうづき。
「そうか」
 それをごく自然に、頷きひとつで片付けた男が、シャノアの向かいに腰掛けた。
「さて、待たせたな。名前は?」
「シャ・・・シャノア、です」
 シャノアは、ぎくしゃくと答えた。
 目の前の男は、シリウスと同じロードナイト。だが、雰囲気はまるで違う。シリウスには、騎士然とした立ち居振る舞いと、親しみやすい笑顔があった。しかし、いまシャノアの前にいる、おそらくマスターと呼ばれていた男にはそれがない。その代わり、獰猛な気品とも言うべき、人を畏れさせる輝きと、鋭い眼差しを持っている。
「あの・・・ここは、どこなんでしょうか。私は・・・その、どうして・・・あなた方は、どうして私をここに?」
「なんだ、まだ説明していなかったのか。ここはギルド「Blader」の溜まり場。俺が、マスターのクラスターだ。騎士団の連中には、『狂犬』呼ばわりされているぞ?」
 シャノアの頭の中が、一瞬で真っ白になった。いっそ、気絶してしまいたかった。
 『狂犬』と「Blader」については、噂だけでもたくさん聞いていた。恐ろしく強いメンバーだけで構成された冒険者のギルドで、対抗できるギルドも、同じくらい凶悪で大きなところが、ひとつふたつあるだけだとか・・・。
 見回してみると、瀟洒な内装の館の中には、確かに二振りの剣を交差させた意匠のギルドフラッグがかかっており、メンバーの服装にも、どこかしらにそのエンブレムがあった。
 自分が肉食獣の住処に入り込んでいることを確認し、あらためてシャノアはめまいがした。
「な、なんで・・・」
「ああ、それはこれから説明する。結論から言うと、お前は自由だ。ただし、騎士団には戻るな」
「ひぇ・・・?」
 体の芯が縮み上がってしまったせいか、シャノアは変な声を出してしまった。
「簡単に言うと、俺は騎士団に優秀な人間を置いておきたくねぇんだ。シリウスのようなカタブツに加えて、新人で知識がなかったとはいえ、あのハイマンにペコペコの上からタックルかますような逸材を腐らせるわけにはいかん」
 クラスターが冗談を言っているのかとシャノアは首を傾げたが、目の前の男は、尊大な態度を崩さず、本気で言っているようだった。
「あの・・・どうして、そんなに騎士団を嫌うんでしょうか」
「嫌う?そうだな、理由はいくつもあるが・・・ひとつ、お前にもわかりやすい話をしてやる」
 クラスターはソファにふんぞり返ったまま、脚を組んで天井を見上げた。
「昔な、べらぼうに強くて、俺より性格の悪い、いい女がいた。そいつはクルセイダーだったが、ある時、無実の罪で処刑された。・・・友達やら何やらが、一生懸命冤罪を晴らそうとしたんだが、どうにもならなかった。今でも、そいつは罪人扱いのままだ」
 クラスターは頭だけ動かして、シャノアを睨むように見据えた。
「俺が知っている有名なやつだけで、聖堂騎士で三人。多少知っている王国騎士では、その五倍ぐらいは謀略の末に死んだか行方不明になっている。・・・どいつもこいつも、ムカつくが善い人間だった。なぜそうなったか」
「それが・・・騎士団のせいだと?」
「少し違う。もっと上だ」
 クラスターの言いたいことに気付いて、シャノアは青ざめた。
「そんなっ・・・」
「正規軍が弱体化すれば、その分、冒険者に頼らざるを得ない。それが、この国の現状だ」
 意図的にそれを促進させようとしているクラスターに、シャノアは思わず席を立って抗議した。
「なんてことを・・・!どうして騎士団や、国の中枢を健全化させるような努力をなさらないのですか!?どうして、そんな恐ろしいことを!」
 顔を赤くして叫ぶシャノアを、クラスターは興味深げに見上げてきた。
「ふむ、シャノアとか言ったな。やはり、まともな人間だ。ナイトを志すだけはある。まったくムカつくぐらい善良で、至極正しいことを言いやがる。だが、どうしようもなく世間知らずだ。・・・うーん、引っ張るのは少し早かったかな」
「そうかもしれないけど、遅かれ早かれ・・・」
 クラスターの隣で、ヴェルサスが穏やかに微笑む。
「まぁ、そうだろうな。今から騎士団に帰っても、たぶんハイマンの奴に落とされるだろう。死んだほうがマシって思うめに合うより、とっとと辞めて、自由に生きろ」
「な、なんですか、それ。私は・・・私はっ・・・」
 シャノアは騎士だった伯母に憧れて、一生懸命に修練を積んで、ここまできたのだ。騎士団に入団して、これからと言う時に、なぜ見ず知らずの人間に、一方的に決め付けられなければならないのか。
「帰ります!王国騎士団が、私のいるべき場所です」
「そうか。それは残念だ」
 意外とあっさり頷くと、クラスターは席を立った。
「誰か送ってやれ。俺はペットと戯れる時間だ」
「ちょっ・・・!あんた、またみつきに変なことさせないでよね!」
 勢いよく立ち上がって、きーっと牙をむくゆうづきに、クラスターは心底うんざりとした、悲しげな表情を作ってみせた。
「最近、あいつのむくれ方が、本当にお前にそっくりでなぁ・・・」
「どういう意味よっ!」
 ぎゃいぎゃい騒ぎながら二人が出て行くと、部屋の中はしんと静まり返った。
 一人、拳を握り締めたまま立っていたシャノアの隣に、ソラスティアが立った。
「じゃあ、行きましょうか。副長も行きます?」
「僕お留守番係。シャノアさん、またね。ソラさん、送り狼しちゃだめだよ?」
「もう。マスターじゃないんだから」
 くすくす笑いながら歩き出すソラスティアの後について、シャノアも歩き出した。
 綺麗に掃除された廊下を通り、明るいエントランスを抜けて振り返ると、威風堂々とした屋敷が建っていた。
 もう二度とくることはないだろう。
「ソラスティアさん」
「ソラでけっこうよ。なぁに?」
「・・・ソラさんは、どうして、このギルドに?」
 優しい面立ちのソラスティアだが、むき出しの腹や、ミニスカートから見える太ももには、ほとんど脂肪がない。滑らかな肌だが、一目で分厚い筋肉の鎧だとわかる。
「戦うのが好きだからよ」
「それは・・・パラディンとしての本道から、外れたものだとは思いませんか?」
「どうして?」
「それは・・・」
「シャノアさんは、武器を持つことに意味を見出したいのね」
 返す言葉がなかった。
 日差しと共に激しくなる蝉時雨の中を、二人は歩き出した。後ろに続くシャノアに、ソラスティアはゆっくりとした調子で話しはじめた。
「たしかにパラディンは高い防御力を持っていて、仲間を守るのが役目ね。でも、そもそもは戦争の・・・物質的なものではなく、目に見えない主義を他人に押し付ける戦いのための職業なのよ。・・・くすっ、ちょっと自虐に過ぎた言い方かしら」
 シャノアは、ソラスティアの背になびく、紫紺色のマントを見つめていた。
「もしかして、うちのギルドが殺人鬼の集団みたいな、すっごく怖いところだとか、そういう噂かしら?」
「えっ・・・あの・・・みんな、強い人ばかりだと・・・」
「うふふ。それは確かにそうだけど・・・血の気の多い、不経済な連中と言ったほうが、より正しいわね。私が言うのもなんだけど、変な人ばっかりよ?」
 それは、なんとなくシャノアにも感じ取れた。単に好みの問題かもしれないが、ソラスティアを含め、あの場にいた四人だけでも、誰一人まともな感覚を持っているようには見えなかった。
 シャノアは、あの黒髪のロードナイトを思い出した。さっきは思わず大きな声を出してしまったが、相手が噂に聞く『狂犬』だと思うと、いまさらながらに冷や汗が出てくる。
「あの・・・すみませんでした。さっきは、あんな大きな声を出して、生意気な・・・」
「ああ、かまわないわよ。シャノアさんは、ごくまっとうに事実を言っただけですもの。うちのマスターは、理に適わない事や、口ばかりで努力をしない惰弱さは嫌うけど、そうでない限りは、怒ったりしないわ。・・・生で見た『狂犬』は、どうだったかしら?」
 面白がるように振り向いたソラスティアだが、シャノアはうつむいてしまった。
「シャノアさんは、どうしてナイトになろうと思ったのかしら?」
「あ・・・あの、伯母がナイトでした。それで、私も彼女のようになりたいと・・・」
「なるほど。伯母さんは立派な方なのね。女の子に憧れを持たせるなんて」
「あ、はい」
 街の人たちを守って、モンスターを撃退する伯母の武勇伝は、いくつも聞かされた。規律には厳しいが、彼女の元にはいくつもの感謝状やお礼の手紙が届いていた。
「私も、伯母のように人の役に立ちたいです」
「そう。目標があるなら、立派にやっていけるわ。ただ・・・」
 困ったように表情を曇らせるソラスティアの言いたいことを、シャノアは戸惑いながら口にした。
「騎士団では、いけませんか?」
「んん。騎士団は、聖堂とはまたちょっと仕組みが違うから、私からはなんとも言えないわ。クラスターさんなら、表も裏も知っているでしょうけど・・・」
 しかし、シャノアはクラスターの冒険者になれという誘いを断った。
「冒険者も、悪くないわよ?」
 ソラスティアの困ったような微笑に、シャノアはどう返していいのかわからなかった。