薬屋の品格 −1−


 その日、クラスターに二人からwisが入ったのは、ほぼ同時だった。
『すみません、クラスターさん。アルフォレアです。あの・・・いまウチのマスターが遠出していなくて・・・』
『クラスターさん、大変!』
『そっちに直接報せるようにって言われました』
『サカキさんが連れて行かれちゃう!』
『サカキ師匠が露店場所でもめて、騎士団に連れて行かれそうなんです!』
 愛してやまない黒髪のネコミミマーチャントと、Blader傘下の生産者集団に所属している赤毛のデコクリエイターとのそれぞれに、わかったと返事をして、クラスターは愁眉を寄せた。
(あのサカキが・・・?)
 心当たりはいっぱいあるような気がしなくもないが、あの無愛想なクリエイターが連行されるなど、かなり難しい想像だ。どちらかというと、クラスターや腐れ縁の情報屋の方が、お縄に近い、ぎりぎりなことをやっている。
『クラスター』
 噂をすれば、その情報屋の声だった。
『早いな』
『聞いていたか』
『何をやらかしやがったんだ、あいつは?』
『まぁ、こういうことらしい・・・』
 クラスターは要領よく話す相手に、ニヤリと微笑んだ。
『ふぅん・・・心配は要らないが・・・』
『まだ売られてもいない喧嘩も買うのか?』
『俺にwisしてきた時点で、人のこと言えんだろう』
 wisの向こうで、くすくすと笑う気配がして、そのまま切れた。
 クラスターはしばし思案して、ギルドメンバーのうち、二人を呼び寄せた。


 面倒なことになった・・・と、サカキは内心で嘆息したが、表情をこわばらせるようなことはない。こんなことでうろたえては、商人として成り上がれるものではない。
 プロンテラの中央大通り、いつもの露店場所で石畳に腰を下ろしていただけなのに・・・。五人のローグと三人のナイトに挟まれて、サカキは当事者ながら、成り行きに任せるしかない状況に陥っていた。
 そばにいるハロルドには、黙っているようにwisしたので、心配そうな面持ちながら大人しくしている。人垣の向こうに、何人か心配そうな気配を送ってくるのを感じたが、ほとんどは商売の邪魔をされて不機嫌な商人たちの、とげとげしい視線だ。
(俺、逃げていいかな・・・)
 ぜひともしたい選択だった。
「だから〜、売ってもらえれば、アタシ達はそれでいいワケ」
「そんな違法な物が横行するのを見過ごすわけにはいかん!」
「ウチらローグだもん。別にいいじゃない、ねぇ〜?」
 きちんと整えた金髪が、実直そうに正論を吐くと、豊かな栗毛色の髪がかきあげられて、ルージュをひいた唇が歪む。
 さっきからこの調子なのだが、堂々巡りなので、いい加減口を挟んでもいいだろうか。
「あのさ・・・場所かえてくれないか?周りの迷惑だから。俺は騎士団の詰め所でもいいし」
 だが、それではローグたちが「うん」と言わない。
「メンドクサイこと言わないでよ。ねぇ、持っているんでショ?エッチなオクスリ」
「知らんな」
「もぅ、ローグギルドがアナタごと、大量にお買い上げしようって言ってんのよ?強情ね!」
「どこからそのガセネタを拾ってきたか知らんが、優秀なクリエイターと評価されているようで、喜ばしい限りだ。ただ、残念ながら、お望みの品はない」
 なにもサカキは、そばに騎士たちがいるから、そう突っぱねているわけではない。最初から言い続けていることだ。客は選ばねば、身を持ち崩す。
 女ローグの刃のような青い目が、サカキの琥珀色の半眼とぶつかる。いっこうに折れないサカキに、彼女はため息をついた。
「・・・困ったわねぇ。またくるわ」
「同じ件でなら、お断りだ。商売の邪魔をするな」
「キビシイこと!」
 やっとローグたちが退散してくれたが、これからは夜道や人気のない場所に気をつけねばなるまい。
「やれやれ」
「では、騎士団の詰め所まで来てもらおう」
「は・・・あぁ」
 騎士団が動いたのでは調書を取らねばならず、それは当たり前だとサカキは頷いたが、ケープの端をハロルドにつかまれた。
「いいんだ、ハロルド。・・・家で大人しく待っていろ」
「サカキさん・・・」
 ぐっと唇を噛むハロルドの肩を軽く叩き、サカキはナイトたちに伴われて、いつもの露店場所を離れていった。

 サカキの後姿を見送ったハロルドは、周りで露店を出していた商人たちに、迷惑をかけたと頭を下げて、その場を離れた。サカキは家で待っていろと言ったし、そうでなくても、不安で露店なんかしていられない。
(大丈夫かなぁ・・・)
 たしかにサカキは「一部の人間にしか売らない薬」を作って売っていたが、ハロルドはそれが咎められるような物なのかは知らない。
(・・・効き目はすごいんだけど)
 Vitが高いほどえっちな気分になる、とかいう水薬を飲まされた日のことを思い出し、ハロルドは一人赤面した。それほどVitの高くないハロルドですら、一緒に飲んでも余裕だったサカキにひいひい言わされたので、もっと高そうな人たちはどうなるんだろうと、他人のことながら若干心配になったりもする。
(別に、悪い物だとは思わないけど・・・)
 人体に悪影響があるわけでもなく、一時的に精神を高揚させる精力剤だと思えば、普通に店で売っているスピードアップポーション系と変わらないような気がする。
 それでも、使い方を誤れば、簡単に人を傷つける凶器になりえるだろう。
 ハロルドがうなだれたまま歩いていると、誰かに呼び止められた。
「ハロさん!」
 追いかけてきたのは、黒い猫耳のヘアバンドをした小柄なマーチャントだった。
「みつきさん・・・」
「ハロさん、サカキさん大丈夫?」
「ん・・・わかんない。俺は家で待ってろって・・・」
「そう・・・」
 気遣わしげに見上げてくるみつきに、ハロルドは微笑もうとしたが、できなかった。
「サカキさんは悪いことなんかしないもの。きっと、すぐに帰ってくるわ」
「うん」
 一生懸命に元気付けようとするみつきのおかげで、ハロルドは少しだけ焦燥が和らいだ。一人でいても、不安で、よからぬことばかり想像してしまいそうだ。
 それでも、互いに言葉が見つからず、がらがらと、二人が牽くカートの音だけが路地に響いた。
 ふと、みつきが立ち止まった。ハロルドも立ち止まって振り向くと、wisだと身振りで示された。その表情が嬉しそうに輝いているところを見ると、相手はクラスターか。しかし、どうしたことか、すぐにみつきの表情が曇っていった。
「うん・・・え?ローグギルドの・・・?」
 みつきは相手から何のことを言われたのかよくわからず、ハロルドに聞こうとして、彼が表情を強張らせて手を伸ばしてきたのを見た。
「え・・・?」
「クローズコンファイン!!」
 かしゃん、と手錠がかかった。みつきの目の前に、短剣のきらめきが現れ、ハロルドが急停止する。短剣の主と手錠をかけた者は、別の人間だ。全部で四人。
「みつきさんを放せッ!」
「いいけど、君が大人しくしてくれたらね」
 にこ、と微笑んだのは、みつきに短剣をかざしている、長い緑の髪を結い上げたローグ。ハロルドは彼らに見覚えがあって、血の気が引いた。ナイトたちと渡り合っていた女ローグを欠いているが・・・。
「サカキさんを脅しにきた・・・」
「違うよ。さっきはお願いに行ったんであって、脅すのはこれから。大人しく誘拐されてね」
 ポニーテールのローグは、柔和な微笑をたたえたまま、物騒な宣言した。
「なるべく怪我をさせたくないんだよ。OK?」
 細められたローグの目を睨んだまま、ハロルドは動けなかった。自分が捕まるのも困るが、それ以上にみつきに怪我があっては大変だ。
「・・・わかった」
「ハロさんっ・・・」
 ハロルドが両手を上げて抵抗の意志がないことを示すと、みつきの周りから二人離れ、ハロルドに近付いてきた。
「クローズコンファイン!!」
「えぇっ!?」
 みつきを拘束していたローグが、もう片方の手につながれた鎖を見て、唖然となっている。
「人の妹に手ぇ出すなんて、いい度胸しているわねぇ?」
 クスクスと笑いながら、その目が全然笑っていない女チェイサーが、ぐいと手錠を引きながら、相手の顔面に短剣を握った拳をめり込ませた。みつきを捕らえていた手錠が外れる。
「お姉ちゃん!」
 みつきがゆうづきに、ぎゅうっと抱きつくのと入れかわりに、優しげな微笑をたたえたパラディンの槍が、ポニーテールのローグの上着を後ろの壁に縫いとめた。
「な・・・」
「困った人たちね。この子の首輪にある紋章が目に入らないのかしら?」
 みつきの首輪には、クラスターの個人紋章が刻印されている。それをおおまかでも解読できるならば、けっして手出しをしないはずの・・・。
「クレメンス公しゃ・・・!?」
「はいはい、そこまで〜」
 文字通り目を飛び出さんばかりに見開いたローグの頭を、ソラスティアの乗っているグランペコが、がぷっと咥えた。
「いだだだだっ!放せ!痛ぇ!!」
「くそ・・・っ」
 残りの二人が、ハロルドだけでも誘拐しようと、稲妻の速さで短剣を引き抜く。
「インティミデイト!!」
 しかし、無理やり拉致しようとしたその攻撃は、カンッと軽い音を立てて、防護壁に阻まれた。
「キリエ・・・!?」
「いつの間に!?」
 すでに臨戦態勢にあるハロルドの攻撃範囲に入ったローグたちは、避けきれなかった。
「カートレボリューション!!」
 ハロルドのカートに撥ね飛ばされて壁に叩きつけられたローグは、間一髪で自分の尻を地面につけた。それまで頭のあった位置の壁にチェインがめり込み、ぱらぱらとレンガ建材の欠片が降ってきていた。
「・・・・・・」
 声は聞こえなかったが、くぐもった舌打ちの音が聞こえたような気がした。サングラスにアサシンマスクをつけた、見るからに怪しげな風体で再びチェインを構えたのは、どう見てもプリーストの黒い法衣を着た男だ。
「ルアフ!!」
 ボッと青白い炎があたりを照らし、ローグたちに焦りを覚えさせた。これでは容易に逃げられない。
「これ以上乱暴に荒立てるのは、ローグギルドにとっても良くない結果になるわよ?狂犬や情報屋を怒らせたいのかしら?」
 ゆうづきが殊更感情を乗せずにしゃべると、ソラスティアが聖母の微笑をたたえて続けた。
「サカキさんのお薬は、あなたたちにはお上品過ぎるわ。そういうお薬が欲しいなら、他をお探しなさいな」
 しかし、それで余計にサカキの薬が魅力的に映ったのか、ローグの一人が唇を歪めた。
「ふん、ローグギルドに買い叩かれるよりは、自分で売りさばいた方が儲かるか」
 ハロルドの中で、なにかがぷつんと音を立てた。
「馬鹿にするなっ!!サカキさんは、愛し合う大切な人がいる人にしか売らないんだよ!!さっさと消えろ!!」
 ハロルドは悔しげに逃げ出していくローグたちに背を向け、大きく深呼吸した。ゆうづきやソラスティアが「ハロくんかっこいいわ〜」などと言っているのが聞こえるが、まだ心臓がばくばくいっている。
 ハロルドはひとまず、自分を誘拐から守ってくれた人に向き直った。
「ありがとう、マルコ」
 プリーストはサングラスを外し、ハロルドに向かって控えめに目を細めた。