家族の肖像−4−


 どんな勘違いや無用な企みをしたのかとサンダルフォンにwisをして、サカキは自分の方が冷静さを失っていたと、大いに反省することになった。
 サンダルフォンにすべてを話し、あの頼れる男に協力を仰ぐことは、かなり魅力的だった。だが、すぐに暗い思い出と、それに連なる憶測が、サカキを重く封じた。
『私はいい。ただ、ハロルドにはちゃんと・・・納得できるような説明をしてやるべきだ』
『ああ・・・すまなかった』
 ハロルドがサカキを心配していたのは、たぶん的を射て正しい。
 見えない不安や、あるかもわからない危険から遠ざけようとして、逆にハロルドを悲しませた。
「・・・・・・」
 サカキは自分のデスクの、鍵のかかった引き出しを開けた。そこに入っていた一冊の古い本を、震えた手に取る。
『・・・ハロルド』
 冷静に話す自信も無いし、表面を撫でるような端折り方もできないだろう。
『・・・悪かった。そっちに行っていいか?』
 それでも、年月を経てやっと薄らいでいた恐怖が、この数日で蘇り、己の内に閉じ込められないほどに、どんどん大きくなっている。
『はい、どうぞ・・・』
 ハロルドの声を聞くだけで、縮み上がっていた心が緩むのを感じる。サカキは本を持ったまま、ハロルドの部屋に行った。

 出迎えたハロルドの目が赤くて、やっぱり泣かせたかと、サカキは申し訳なく思った。
「すまなかった。心配してくれていたのに、あんなこと言って・・・」
「いえ、あの・・・いいんです!俺が、サカキさんが大事にしまっておきたいこととか、無神経に首突っ込んで・・・」
 頭を下げるサカキに、ハロルドはあたふたと自分が悪く見える面を探しだした。それを、サカキは首を振って止める。
「いや・・・たぶん、ハロルドが正しいんだ」
「・・・サカキさん?」
 うつむいたまま言いよどむサカキを、とりあえずハロルドは招きいれた。
 サカキはテーブルに持ってきた本を置き、ハロルドと向かい合ってスツールに腰掛けた。
「・・・話すのは、ハロルドが初めてだ。それから、何度も話す気にはなれない。必要があると思えば、ハロルドがサンダルフォンに言ってもかまわない」
「・・・・・・」
 ひどく重々しいサカキの様子に、ハロルドはオロオロと心配そうな顔をしている。たぶん、やっぱり余計なことをしなければ良かった、と思っているに違いない。
 サカキはひとつ深呼吸をして、テーブルの上に置いた本・・・聖書に、手を乗せた。
「・・・俺の父は、アマツと行き来する交易船に乗っている船乗りだった。母は、シュバルツバルド共和国の人間だった。当時のルーンミッドガッツ王国は、まだどちらの国とも国交が薄かったが、アルベルタの風土の中で、異国人同士気が合ったんだろう」
 サカキはハロルドを見ていなかった。ただ瞼に浮かんでくるのは、懐かしい我が家のことばかり。
「両親は、二人とも死んだ。だけど・・・、俺には、双子の兄貴がいる」
「お兄さん!?じゃあ、あの人が・・・」
 ハロルドはすぐに、あのホワイトスミスのことを思い浮かべただろう。だが、サカキは首を横に振った。
「まだわからない。俺たちは生き別れた。向こうが生きていたとしても、俺は死んだと思われているはずだ」
「それって、どういう・・・」
 サカキは左手を聖書に乗せたまま、右手だけで顔を覆い、マーチャントに転職した日のことを語った。母を殺害され、兄を誘拐され、自分は死にかけたことを。
「・・・そんな、ひどい」
「母は学者だったらしい。そして、なにか秘密を持って、国から逃げ出したのかもしれない・・・」
「え・・・じゃあ、どうしてお母さんが殺されて、代わりにお兄さんをさらったんでしょう?」
「・・・・・・」
 サカキの手は震えて、言葉は何も出てこない。ただ、この聖書を開くのが、怖いのだ。
「っ・・・ハロが、判断してくれ。俺はもう、見るのも怖いんだ」
 サカキは聖書を押しやり、ハロルドに開くよう示した。
 ぱらぱらと、紙の捲れる音がする。そして、ハロルドはなにか見つけたように、一枚ずつページを繰る。
「え・・・かわいいぃ!これ、サカキさんとお兄さんですよね!?ええと・・・どっちですか?二人とも同じ顔なんですけどっ!」
「・・・母親の前にいる方が俺だ」
 そこには、白い壁の家をバックに、両親と兄弟の四人が写っているはずだ。双子は元気にVサインをしていたように思う。
「ノビサカキさんだぁ!ちっちゃかわいいぃ!!」
 ハロルドはふるふると震える手で、しかし大事に写真を持ったまま、感激したように悶えている。
 そんなに大興奮されるとは思ってもいず、写真をただ恐れていたサカキは、少し恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
「・・・その時が、たぶん父さんと会った最後だ。海賊に襲われたらしくて・・・海から帰ってこなかった」
「・・・・・・」
 ハロルドが、じっと写真を見ている。
「・・・わかるか?俺たちが、父さんに似ていないって」
 アマツの生まれには、黒髪で黒い目の者が多い。そしてその子供は、混血でも、アマツの濃い色合いを遺すことが多い。
 サカキの父も、黒い髪で黒い目だった。しかし、双子の息子たちは、より母親に似た、くせのある緑の髪と、琥珀色の目をしている。
「たまたま・・・低い確率で、母の劣性遺伝を受け継いだのかもしれない。だけど、他の可能性もある」
「お父さんの子じゃない・・・ええっと、お母さんの、前の旦那さんの子ってことですか?」
「それもある。良く考えてみろ。俺の母は、何のために殺され、なぜ兄が連れ去られた?」
 シュバルツバルド、研究者、秘密、必要なのは子供の方・・・。
「・・・・・・!」
 たぶん、ハロルドは答えに行き着いたのだ。だが、その答えを口の中で飲み込み、必死に首を横に振っている。
「うそだ!そんなの・・・そんなこと、ありません!考えすぎです!」
 それは否定したくもなるだろう。目の前にいるのが、ヒトかどうか怪しいだなんて。仮にも、恋人として、肌を合わせている相手が。
「まさか・・・それで、アルケミストに・・・?」
「・・・シュバルツバルドに行って、調べてみる必要があった。リヒタルゼンで本社と研究所に忍び込んでみたが、母さんとチハヤの・・・兄貴の記録は見当たらなかった」
「それじゃ・・・」
 サカキは首を振る。
「そういう研究をしているのは、レッケンベルだけじゃない。他にも、小さな研究所はいくらでもある。それに、ジュノーはアルケミストよりもセージの都だ。学者でないと入れない場所がたくさんある」
「・・・・・・」
「錬金術師ギルドに、チハヤの名前は無かった。だとすると、マーチャントのまま死んだか、ブラックスミスになっているか、そしてそのまま転生しているか・・・」
 あとは、どこかで平和に暮らしているか、いまだ研究所の中でモルモットとして囚われているか、そのぐらいだろう。
「生きていても、俺とは相容れない生き方をしているかもしれない。・・・それで、用心する必要があった。でも、言えなくて・・・心配かけて、悪かった」
 肝心なところを言うことができて、サカキは少しほっとした。ずっと一人で悩んでいたが、これ以上ハロルドに気をもませたくない。
 ハロルドはといえば、ぶんぶんと首を振って、協力を申し出た。
「俺、一度アインブロックに行って、ギルドに登録されているか、調べてみます。ええっと・・・しはにゃさ・・・ちがうな。ちばや・・・あぅ・・・」
 発音に苦労しているハロルドに、サカキは小さく苦笑した。
「チハヤ、だ。アマツ風の名前だから、難しいな」
「どう書くんです?」
 ハロルドが取り出したなめらかな紙に、サカキは「千早」と書き、「チハヤ」と発音を書いた。
「チハヤ・・・あ、言えた。サカキさんの字は?」
 サカキは同じ紙に、「榊」と書いた。
「チハヤは荒々しさや勇猛さを讃える言い方だ。サカキは、神事に使う植物のこと」
「じゃあ、サカキさんのお父さんは、お兄さんに騎士になってもらいたくて、サカキさんにはプリーストになってもらいたかったんですかね?」
 サカキはきょとんとハロルドを見た。そんなことは、考えたことがなかった。
「そうとも・・・とれるな。二人とも、父さんに憧れて商人になったが」
 父と一緒に船に乗り、三人で外国を回って大金持ちになる夢を、子供だけで語り合ったものだ。
 再び写真を見つめていたハロルドは、ふいにサカキを呼んだ。
「ねぇ、サカキさん。・・・もしかして、お母さん背が高くなかったですか?お父さんの方が、小柄?」
「ああ・・・そうだな。母さんは痩せていて、背が高かった。アマツの人は、元々大陸の人間より小柄だろ」
「じゃあ、サカキさんはお父さんの子供ですよ、ほら」
 ひょいと写真を出されて、サカキは久しぶりに、色褪せた家族の肖像を見た。
「後ろにある家の窓の高さとかから見ても・・・今のサカキさん、お父さんと身長同じくらいじゃないですか?」
 たしかに、サカキは長身な方ではないし、写真に写っている子供の身長を目安にしても、船乗りの父といまのサカキの身長は同じぐらいに思える。
「それに、この目元とか、いまのサカキさんにそっくりじゃないですか」
 笑いながらも、こちらに挑むような、意志の強そうな眼差し。豪胆さと慎重さを併せ持つ、船乗りの顔だ。
「・・・・・・」
 その隣では、どこか才走った鋭利さを感じさせる・・・医師か学者のような印象の女が、エプロン姿で幸せそうに微笑んでいる。
「・・・ハロ」
「はい?」
 サカキはテーブルについた腕の中に顔を埋めたが、写真を持つハロルドの手は強く握ったままだ。
 夢と元気で膨らんだ双子のノービスが、サカキに向かってVサインをしている。
「あり・・・がと・・・」
 サカキは、いつも自分がハロルドにしているように、髪を撫でられたのを感じた。