家族の肖像−5−


 リフェルザードは後悔していた。古書店街から自分のアパートまでは、まだだいぶあるというのに、大量の本を抱えた腕は、もうぷるぷると震えている。いくら在庫整理で安売りしていたからといって、買いすぎた。
 重い、落ちる、だめ、などという呟きが、ひょろっちいセージから生えた、本の塔からこぼれる。
 ジュノーの街に敷き詰められた石畳の上で、がんっと何か蹴ったのはわかったが、足が痛いと思う間も無く、積みあがった本が滑り崩れていく。
「ぅひゃあああああ!!」
 ばらばさどさどささ・・・
 ぶちまけた古書の上に、リフェルザードも顔面からダイブしていた。
「ぅう、いったたた・・・」
「ヒール!」
「ぅ、あ・・・すみません・・・」
 通りすがりの冒険者だろうか。礼を言おうと顔を上げて、驚いた。
「リズじゃないか!」
「ミルフィリオ叔父さま!お久しぶりです」
 叔父といっても、母の一番下の従兄弟であり、転生したせいか、リフェルザードと大して離れた歳には見えない。
 亜麻色の髪をなびかせた、若々しいハイプリーストの青年は、連れのホワイトスミスと一緒に、リフェルザードがぶちまけた本を拾い始めた。
「ああぅ、すみません・・・っ」
「一人じゃ持ちきれないだろう。手伝うよ。いいだろう、シヴァ?」
 後半はWSに言ったらしい。アラーム仮面をつけた逞しい青年は無言で頷き、大量の本をカートの中に放り込んだ。リフェルザードは、彼の太い腕や、筋肉の筋が浮いた腰周りを、少しうらやましく眺めた。
「どこに行くんだい?」
「うちに帰るところでした」
「じゃあ、そこまで」
 わずか十三歳で、しかも素行が悪かったわけでもないのに勘当されたリフェルザードを、ミルフィリオは心から労わってくれた。
「そうか、マジシャンになったせいで、お父上から・・・冒険者は大変だっただろう」
「はい。でも、すぐに冒険者のギルドに入れてもらって・・・皆さんとても親切で、こうして、セージになれたんです。・・・お父様とは、いつか仲直りできると思います。そういう約束で、ギルドを紹介してもらいましたし」
「そうか。では、私からも、リズが仲直りしたがっていると伝えておこう」
「ぁ、ありがとうございます、叔父さま!」
 正直なところ、リフェルザードは、あの頑固な父とどう仲直りしようかと悩んでいたのだ。ミルフィリオの口添えがあれば、父の態度も和らぐかもしれない。
 苦学生達の共同研究所から程近いアパートの前で、リフェルザードはホワイトスミスの男から、大量の本を受け取った。
「お世話になりました」
 ぺこりと頭を下げてから見上げ、リフェルザードはふと、そのアラーム仮面の男に見入った。どこかで会ったことがあるような気がするのだが・・・。しかし、シヴァと言う名前には覚えがない。
「では、またな、リズ。行こう、シヴァ」
「はい。ありがとうございました」
 リフェルザードは二人を見送り、また大量の本を抱えて、よろよろと自分の部屋まで歩き出した。

 くすくすと微笑をたたえたミルフィリオに、隣を歩くシヴァは視線だけをよこした。
「叔父さまはないよねぇ。あの子が『お義兄さま』と呼んでくれる時は、どんな顔をするのかな」
「・・・・・・」
 ミルフィリオがリフェルザードの姉と近々結婚し、リフェルザードが継ぐはずだった家の当主になることを、シヴァは聞いている。そして、リフェルザードが実家に帰れる可能性はゼロに等しく、実父との確執がなくなることがあるとすれば、それは父が完全に権威を失って、骨の髄までミルフィリオにしゃぶりつくされた後だということも。
「シヴァと一緒にきてよかったよ。面白いものが見れた」
 邪心を秘めた柔和な微笑を浮かべ、ミルフィリオはワープポータルを発生させた。


 先ほどまではうるさかった悲鳴が小さくなってきたのに気付き、パトリックは書類から目を上げた。
「ビクトール、まだ殺すんじゃない」
「へーい」
 背広の男を蹴りまわしていたチェイサーは、そのそばにちょこんと座った。
「坊ちゃん、まだ聞きたいことあるんですか?」
「聞いてもこいつじゃわからないって言うし・・・」
「じゃ、殺していい?」
「駄目。それはシヴァのだから」
「ちぇ」
 もう興味を失ったとばかりにビクトールは立ち上がったが、座ろうと思っていたカウチには、ハイウィザードの女が寝そべっていた。
 そのテーブルの上には、数々の頭装備が積み上がっている。
「まだ決まらねぇのかよ」
「んー、これもいまいちねぇ」
 ドレスハットを放り出し、今度はゴールドティアラを付けてみる。
「どう?」
 豊かなプラチナブロンドの髪に飾られた、宝石をちりばめたティアラは、氷細工に例えられるほどの、彼女の天与の美しさを、過不足なく引き立てている。
「似合ってるぜ」
「そうでしょう?でも、なんかこう・・・新鮮さに欠けるのよねぇ。ありきたりと言うか・・・」
「ったく、アンタもわがままだな、ジャンヌ」
 ジャンヌが指をはじくと、ビクトールの額に最小威力に落としたナパームビートが炸裂した。
「いってぇ!アンタ、自分のMATKわかってやってる?」
「わかっているわよ?わかっていないのは、ビクトールの女に対するマナーだわ」
 そんな遣り取りを眺めつつ、パトリックは再び書類に目を落とした。どうしても不備としか思えないのだが、対象者の名前が、綴りと発音にまったく一致しない。
「この国の言葉じゃないのかな?かなえ、これ読める?」
 ひらりと紙片をかざしたロードナイトのそばに、いつからいたのか、くのいちが控えていた。
「・・・千早、だと思います、お屋形様」
「ち、は・・・?ああ、なるほど!」
 アマツ言葉に慣れないシュバルツバルドでは、言い易いように訛ったのだ。
「ただいま戻りました、パトリック」
「おかえり」
 ドアを開けて、ミルフィリオとシヴァが入ってきた。二人はシュバルツバルドに行き、組織をひとつ潰してきたところだ。
「ねぇ、なんかキュートで斬新で私に似合う頭装備持ってない?」
「そんな、いきなり言われても・・・」
 唐突なジャンヌにミルフィリオは苦笑いを浮かべるが、シヴァはごそごそとカートを探り、淡い青味を帯びた毛皮の塊を、ぽいと彼女に向かって放り投げた。
「らっこぉおおおおお!!」
 豪華で美しいゴールドティアラを放り出し、ジャンヌはうきうきとラッコ帽をかぶってみせた。
「じゃーん!」
「ぶっ・・・」
 愛らしいラッコ帽ではあるが、玲瓏たる美貌のハイウィザードには、やや間が抜けて見える。帽子を渡したシヴァは無言で頷いたが、ビクトールとミルフィリオは、笑いを我慢できなかった。
「ロードオ・・・」
「わっ!ちょ・・・!悪かった!」
「すみません、すみません!ここでは駄目ですってば!」
 室内で大魔法をぶちかまそうとするジャンヌを押さえつける二人を後に、シヴァは床に蹲った男を見下ろした。その両手に持った斧が、ゆらりと上がる。
 だが、シヴァは突然斧を落とし、懐に入り込んだ小さな影を、身をひねって投げ飛ばした。
「お見事・・・なれど、いましばし待たれよ」
 ふわりと着地した女忍者は、少し首をかしげた。
「シヴァ殿、どこでその技を習われた?」
 床に叩きつけられまいと掴まれたシヴァの手首は、あのままかなえの力に逆らったならば、関節が外れただろう。ぶらぶらと振って痛みを逃がしながら、シヴァは小さく答えた。
「父に、少しだけ」
 その低い声は、少しかすれた響きをしていた。
「ああ、かなえ、もういいんだ。シヴァ、そいつは君がやっていい」
 パトリックの許しに、シヴァは両手斧を拾い上げ、虫の息で転がる男を、一振りで肉塊に変えた。
「これで、君はシュバルツバルドに関わる一切から自由になった。あらためて、歓迎しよう、シヴァ・・・いや、チハヤ」
 立ち上がってデスクを回ったパトリックの足元に、血塗られた斧を持ったシヴァは跪いて、アラームの仮面を取った。くせのある緑色の髪、主張しすぎない顔立ちの中で、琥珀色の目だけが、険のある輝きを持っている。
「俺を救い出し、母と弟の仇を討たせてくれた恩を、永久とわの忠誠に変えて、あんたに尽くすと誓う」
 黒髪のロードナイトは、新しい自分の部下に、満足げに微笑んだ。