家族の肖像−2−


 アルケミストのサカキが、プロンテラの大通りでぼんやりと露店を出していると、ふと自分のところだけ日が翳った。
「ぁ」
「どうも」
 見上げると、人当たりの良い、誠実そうに見える・・・・・・・・笑顔があった。さらさらの金髪に、明るい緑色の目。彫りの深い顔立ちだが、すっきりとしていて、鼻筋も通っている。要は、かなりの美男子だ。
「となり、いいかい?」
「どうぞ」
 ふわりと、漆黒の法衣が風をはらむ。金の縁取りの入った深紅の天鵞絨ビロード装飾、首に掛けられた銀のロザリオを見なくても、彼がプリーストであるのは間違いない。・・・信仰は、捨てたかもしれないが。
「世話をかけたな」
「いえいえ。素直ないい子だね。ギルドにも馴染んでいるようだし、魔法のセンスもいいそうだよ。・・・調べてみたんだが、彼、なかなかの家柄だった」
 サカキの視線に、隣に座ったプリースト・・・サンダルフォンは、ニヤリと笑った。
「聖職者一族だったよ。彼を勘当した父親は、聖カピトーリナ修道院で要職についている」
「なるほど」
 期待していた息子だったのだろう。せめてプリーストを志せば、ここまで酷くこじれることはなかっただろうが・・・まぁ、シーフになった日には、親父殿はきっとぶっ倒れるに違いない。マジシャンなら、まだましだと思うべきだ。
「いずれは、仲直りできるといいな」
「そうだな。・・・そういえば、サカキの家族って、聞いたことないな」
「・・・・・・」
 プロンテラの喧騒が、サカキの周りを渦巻いては通り過ぎていく。
「いない」
「・・・そうか」
 頷くと、サンダルフォンは立ち上がった。
「ああ、そうだ。リズが、サカキに礼がしたいと言っていたぞ」
「リズ・・・?」
「あのマジ少年だ。まったくサカキときたら、相変わらず、名前すら言ったり聞いたりしない」
 サンダルフォンは、もう少し長い、リズ少年の本名をサカキに教えた。
「別に、なにもいらない」
「ほぉう。いたいけな少年のファーストキスを奪っていたら、それはなにもいらな・・・」
「はぁっ!?」
 ぎょっとして見上げれば、外面だけはやたらに良いプリーストが、にやにやと見下ろしてくる。
「はじめての客取りが、サカキだったそうだ。運の良い少年だな」
「・・・まったくだ」
 それで、あのローグたちの段取りの悪さにも納得がいく。サカキも運が良かったようだ。
「・・・そうだな、立派なセージになって、ケミでもやれるドラゴンの倒し方を発見してもらおう」
「いや、それはさすがに・・・地プティットで我慢しようよ」
「ふん。リズにちゃんと、そう伝えろよ」
 苦笑いを浮かべながらも、サンダルフォンはわかったと頷き、手を挙げて去っていった。
 サカキはしばらく、そのまま露店を開いていたが、ふと店をたたんで立ち上がり、カプラサービスまで歩いた。
「アルベルタ」
 首都の賑わいが潮騒に変わるのは、一瞬だった。



 サカキは家に向かって走っていた。
 真新しいマーチャントの制服に汗染みができそうだが、そんなことを言っていられない。
 ちょうど、自分と入れ違いざまに、双子の兄が商人ギルドを出て行ったのだ。家で待っている母に、二人揃って商人になったところを見てもらいたいのに、兄は抜け駆けをするつもりに違いない。
 立ち並ぶ真っ白い家々の壁の間を、息を切って走り抜け、家にたどり着くと、玄関の青い扉が開け放たれているのに気付いた。
 やはり、兄に一歩後れを取った。それが悔しくて、サカキは涙が滲みそうになるのを堪えて、家の中に入った。
「母さん!チハヤッ!」
 しかし、家の中はしんとしている。それに・・・
(なんでこんなに散らかってるんだ?)
 几帳面な母は、テーブルクロスが少しでも曲がっているとか、物がいつもと違う場所に置いてあるとか、そんなことすら許せない性質だ。それなのに、物干しから取り込んできたと思われる衣類が、籠ごと床に散らばり、階段横の壁に掛けた絵は斜めになり、花の活けられた花瓶は、今にもキャビネットから落ちそうだ。
「母さん?チハヤ?」
 やはり開け放たれているリビングのドアの向こうに、母がいた。
「か・・・ぁさ・・・」
 物静かで、あまりおしゃべりではない彼女だが、いままで息子達に「おかえり」と言わなかったことはない。それなのに、エプロン姿の彼女は、血溜まりに伏せったまま、サカキのほうを見てくれない。
「母さん!母さんっ!!」
 マーチャントの制服が血に濡れるのもかまわずに膝をつき、長く波打つ緑色の髪を退けると、青白い頬と、瞬きをしない琥珀色の目が、無言のままサカキを迎えた。
「そんな・・・うそだ・・・ぅそ・・・・・・」
 母の死体を前に、サカキはこのまま気絶してしまいそうだったが、物音に顔を上げた。
「・・・チハヤ?」
 サカキは立ち上がり、自分と同じ顔をした兄弟を求めて、ふらふらとリビングを出た。
「チハ・・・」
 だが、そこには見たこともない黒い服を着た男たちがいて、サカキと同じマーチャントの制服を着た少年を担いでいた。チハヤだ。だが、ぐったりとして動かない。
 目の前の男達が母を殺め、また兄を奪おうとしているのは、一目瞭然だ。
「こいつも・・・」
 黒服の一人が、サカキを捕まえようと腕を伸ばしてくる。
「ぁ・・・ぃああああぁああああああああぁッ!!!!!」
 小さな身体のいったいどこから、自分の耳まで聾するような甲高い叫び声が出たのかわからない。
 だが、それは確実に、近所周辺に悲鳴として響き渡った。
「まずい!」
 さらに伸びてきた手を避けようとして、サカキは足をもつれさせて、尻餅をつきながらキャビネットにぶつかった。
「あっ!」
 ごつんっという音を、サカキは二回続けて聞いた。そして、九十度傾いた視界には、転がる大きな花瓶と、床を浸していく水。
「おい・・・っ」
「・・・駄目だな」
「ちっ、目を覚ましたぞ」
「そこのシーツでくるんでしまえ」
「サカ・・・うぅっ!うーっ!」
「いくぞ」
 黒い服の男達がチハヤを連れ去るのを、サカキは成す術も無く、暗くなっていく意識の中で見送るしかなかった。

 幸いなことに、たまたまプロンテラのプリーストがアルベルタに立ち寄っていた。重い花瓶の直撃を受け、頭や首の骨に重傷を負ったサカキだったが、なんとか一命を取り留めることができた。だが、母を蘇生するには、遅すぎた。



 じゃり・・・
 建て直され、昔の面影の無くなった家の前で立ち止まり、サカキは見上げた。いまは誰が・・・どんな家族が住んでいるのだろうか。
「・・・・・・」
 航海に出ていたアマツ生まれの父は、海から帰ってこなかった。ただ、乗っていたはずの交易船が、積荷の無い状態で漂っているのが発見された。・・・海賊に、襲われたのだろう。
「・・・チハヤ・・・」
 殺された母がシュバルツバルド共和国出身であり、なにか知識的職業に携わっていたらしいということ。そして、命を狙われるような、重大な秘密を持っていた・・・。
 いつの間にかマーチャントギルドから名前が抹消され、いまだに見つからない兄の行方は、それだけが、手がかりだった。
 アルベルタの風は、冒険者として成長した今も、兄弟と戯れた幼い日々も、変わらず潮を含んで、サカキの頬を強くなぶった。