彼と彼氏の恋愛事情 −5−


 アルベルタからプロンテラに飛んだサカキは、人の波に逆らわずぼんやりと歩いていた。今なら財布を掏られても気がつかないだろう。
 体に力が入らず、ショックを受けた頭が、思考を拒否している。
『サカキ、まだか?』
 突然繋がった兄からのwisで、自分が約束をすっぽかしていることに、はっと気がついた。
『あ、ごめん、チハヤ。・・・ちょっと、体調悪くなって・・・あの、ごめん、行けそうにない』
『そうか・・・』
 切り口上でわかりにくいが、双子の自分には、チハヤが落胆しているのがよくわかる。
『ギルドの人、にも・・・申し訳、ないって・・・っ』
『サカキ?』
 頭の中がかっと熱くなって、サカキは唇をかんだ。どこまで多くの他人に迷惑をかければ気が済むのか・・・自分が情けない。
『・・・大丈夫だ。すぐに、元気になるから』
『大事にしろ』
『ああ』
 切れたwisの相手に、サカキは心の中でもう一度謝った。チハヤが文句を言われたり、狩りで負担がかかったりするのは目に見えている。だが、いまのサカキが行っても、役に立たないどころか足手まといになりかねない。
「はぁ・・・」
 自分の部屋に閉じこもって、気がすむまで泣きさえすれば、きっと少しはすっきりするのだろう。だが、今は帰りたくなかった。アルベルタの教会は・・・自分のいまの住処は、緩やかな日常と、時々両腕いっぱいに荷物を抱えて訪ねてくるハロルドの思い出で溢れている。
 できれば、ハロルドに恋焦がれるこの気持ちごと忘れられるよう、どこか遠いところに行きたい。
(そうだ、転属願いを出せばいいんだ)
 ちょうどプロンテラにきていることだし、大聖堂を訪ねてみようか。いきなりで部署を困らせるかもしれないが、そういう希望があることを伝えておくのはいいかもしれない。どこか他の町へ・・・いや、いっそ外国でもいい。
 そう考えがまとまると、自然と歩調がたしかになった。顔を上げると、中央大通りはいつものように賑わっている。
「あのー、すみません」
 二秒ほどの後、その声が自分に向けられたのだと気がついた。
「え?」
 慌てて周囲を見回すと、くせのある赤毛を右半面に流して、青いバンダナで止めたマーチャントの青年が、水色の目でじぃっとサカキを見つめていた。
「サカキさん、ですか?」
 なぜ自分の名前を知っているのかと疑問に思う前に、彼のベストにハロルドと同じギルドエンブレムがあるのを見つけた。
「まだ何か用か?ハロルドにはもう会わない!それでいいだろ!」
「え、あ・・・ちがっ・・・ちょっと!」
 これじゃ八つ当たりだと、どこかにある良心が咎めたが、サカキは自分にスキルをかけて、その場から逃げ出した。プリーストの速度についてこられるのは、ペコ騎士かバクステの上手いシーフ系ぐらいだ。都合のいいことに、プロンテラなら、人込みに紛れ込める。
(どうしてこんなことに・・・)
 自業自得とはいえ、こんなに惨めなことになるとは思わず、自分勝手な部分が理不尽さを声高に主張している。
 大通りの端まで来ると、破壊神のいる精錬所を右折し、東の内城門を目指す。
「よう!どうしたんだよ?」
 突然隣から声がして、サカキは思わず足を止めた。その男ハイプリーストになんとなく見覚えがあったが、大聖堂のどこかで見たことがある、という程度だ。当然、名前なぞ覚えておらず、サカキはかすかに眉を寄せた。
「久しぶりだなぁ。そんなに急いでどこ行くんだよ?」
 人懐っこい笑顔だが、サカキはどうしてもこのハイプリとの関係を思い出せず、曖昧に首をかしげるにとどめた。
「大聖堂に」
「へぇ?あんなに嫌がってたのに。まぁいいや。ちょっと来いよ」
 なにか引っかかったと思考を進める前に、いきなり腕をつかまれ、サカキは慌てて振りほどこうとした。
「なにす・・・ぐっ!?」
 背後から伸びてきた腕に易々と拘束され、大きな手に口元を強くふさがれた。そのまま、あっという間に暗い路地に連れ込まれる。
 引き摺られるように連れて行かれたのは、使われていなさそうな小さな倉庫。ハイプリ二人、チャンプ、モンク二人・・・誰も彼も、サカキには親しい面識がない。
「そんなに驚くことないだろ?」
「相変わらず生意気な不機嫌面だな」
 モンクの足先が、ずくっと腹に食い込んだ衝撃に、サカキは体を折って咳き込んだ。
 大聖堂で会ったか、アコライトのときにパーティーを組んだか、必死で記憶を手繰るサカキの頭に、自分と同じ声が響いた。
『サカキ』
『なんだチハヤ?いま取り込み・・・あ・・・』
 サカキはため息をつきたいのを堪えて、辿りついた結論に則って、目の前にいる人間達の人相を伝えた。
『ああ。知っている』
『察するに、ぶっ飛ばしていい関係か』
『できれば。それとな、葱のワン公だが、勘違いだか行き違いだかよくわからんが、サカキが受けた仕打ちは間違いだそうだ』
 サカキは胸がどきんと高鳴ったが、期待するなと自分に言い聞かせた。
『・・・身に覚えがあるのだが』
『そうか?サカキを泣かせた罰は下しておいたから、後は好きにするといい』
『・・・ありがとう』
 ハロルドの側で、どういった経緯があったのかはわからないが、なにか間違いがあったらしいという情報は、サカキのショックでゆがんでしまったハロルド像を、少しだけ元に戻してくれた。
「やっと大聖堂の監視がなくなったと思ったら、どこかに消えるしよ」
「ほんと。世話が焼けるよなぁ、シヴァちゃんは」
 まだ双子を見分けられない襲撃者たちに、サカキの唇の端が、嘲るように歪む。
「なんだ、その顔はよっ!」
 振りかぶったハイプリーストの動きがあまりにも緩慢で、サカキは自分を拘束しているモンクに体重を預けて、その驕った顔面を蹴り上げた。
「げふっ!」
「なっ・・・うぉ!?」
 今度はサカキを捕まえていたモンクが、するりと腕をすり抜けてしゃがみこんだサカキに脚払いをかけられて、見事に尻から転がった。
「てめぇ・・・!」
「チハヤを泣かすやつは、許さん」
 ブレッシング、速度増加、キリエエレイソン、イムポシティオマヌス・・・。
 サカキは次々と自分に祝福をかけ、グランドクロスを構えた。
 詠唱速度やヒールの量は、支援や退魔プリーストにかなわない。肉弾戦では圧倒的にモンクに届かない。それでも・・・。
「殴りプリ舐めんなよ」
 対人装備だったらなぁと頭の隅で思いつつも、サカキはARスクロールを手元で発動させた。勝敗は目に見えているとはいえ、チハヤをいじめたやつを許すことはできない。
 ダメ元とモンクたちにディビーナを乱発しながら走り、顔面にけりを入れておいたハイプリの一人を叩き伏せるが、すぐに声をかけてきたほうのハイプリが援護に入ろうとし、モンクとチャンプも追いついてくる。
「ぐあっ!」
 突然モンクの一人がのけぞり、そのむこうにほっそりした影が、両手にそれぞれ短剣を構えていた。
「・・・加勢する!」
 苦々しげに表情をゆがめた、白髪赤眼のアサシンが、トンと地面を蹴る。その空隙を、モンクの拳が目標を失って泳いだ。
 通りすがりのおせっかいやきかどうかもわからなかったが、サカキは急いで基本支援をアサシンにかけた。
「こいつ・・・!」
 たしかにモンクは、シーフ系に匹敵するほどの回避と速度を会得することができる。だが、二刀を提げた彼のスピードにかなうはずもない。
「ベナムダスト」
 彼の目と同じ色のジェムストーンが地面に転がり、甘く濃厚なくせに、つんと鼻を刺激する臭気が立ち込める。いくら聖職者でも、アサシンの英知が詰まった毒を浄化することはできない。
「ぐはぁ・・・ッ」
 残酷なヒールもついに追いつかず、他人の血飛沫が舞う中で、彼は強く、そして悲しげに、唇をかんでいた。