返らない日々 −2−


−数年後。

 荒野の中にぽつんと、その遺跡はあった。砂漠化が進み、このあたりもやがて、土に埋もれるだろう。
 木蔦や雑草に覆われた廃墟たちに、かつての栄華の名残を見出しながら、リュンはゆっくりと、割れた石畳を歩いた。研究所から漏れ出した化学物質の汚染は、実はまだ浄化されきっていない。地面はあちこち陥没し、街の地下にあった広大な研究所に向かって崩落していた。
 シュバルツバルドにまで及んだ疫病のせいで、急速な社会の疲弊に耐え切れず、研究所内の設備が人員もろとも暴走して吹っ飛んでから、リヒタルゼンは第一級危険区域になった。
 かつて、レゲンシュルム研究所だけに留め置かれていた人間型ガーディアン、通称生体DOPが、街中にあふれた。そこで起きた大惨事は、いまさら言葉を尽くして語るまでも無い。
 ただ、彼らも、永遠のものではなかった。研究所を離れては、ある意味閉鎖された空間で活動していた彼らにとって、その存在意識が希薄になり、やがて立ち止まる。人間風に言えば、生きる目的を見失った、というところだろうか。
 リュンは、かつて貧民街との境にあった、長い壁まで辿りついた。振り向くと、遠くに木々に覆われた、巨大な廃墟が見える。あれが、レッケンベル本社だった建物だ。そして・・・
 もう一度体を進むべき方向に向けて、リュンは跡形も無く崩壊した丘を眺めやった。貧民街は見る影も無く、うずたかく瓦礫が積もったその中に、弱々しくも、まだ活動をやめない動力炉の光を見た。
 リュンは、歩き出した。足場の悪さにもかかわらず、その足音はとても小さかった。
 以前は地下に隠されていた研究所も、いまはそのほとんどが瓦礫に押しつぶされ、わずかに見えるのは、機械の破片が散らばるこのあたりだけだ。
 懐かしい子守唄の旋律に、リュンは目を細めた。歌が、聞こえた。
 瓦礫に腰掛け、リュートを抱え、穏やかな表情でも、相変わらず虚ろな紅玉色の目が、リュンを捉えた。
―転生したんだ。おめでとう―
「うん」
 濃い紫色の髪をしたアサシンクロスは、光が半分通り抜けてしまうバードの横に座った。いきなり攻撃されなかった、それだけで、リュンはずいぶん救われた気分になった。
「流貴は、変わらないね」
―それは・・・仕方が無いなぁ―
 流貴が死んで複製されたときは、まだ二十歳に届くかどうかという年齢だったはずだ。当時から、リュンのほうが少し大人びていたが。
「来るのが遅くなって、ごめん」
―そう?・・・あんまり、時間の感覚が無くって―
 小さな苦笑が、奇妙に人間っぽくみえる。そう、流貴はもう死んでいる。ここにいるのは、人間ではない。ただ、研究所と言う檻が無くなったおかげで、自分の裁量でリュンと話ができるだけだ。
「・・・この世界で起こったこと、知っている?」
―ううん。研究所が壊れたことだけ―
「そうか」
 最後の音をはじいた弦が震える。その余韻が消えると、流貴はリュートを抱えた。
―みんな、いなくなっちゃった―
「みんな?研究所の職員?」
―んー。DOP―
「ああ」
 流貴の仲間だ。ただ、好きで組んだ仲間ではない。
「俺には好都合だったけど。・・・どうして、流貴だけがここに?」
―さあ?―
 くすくすと笑っていたが、流貴には本当にわからないらしい。
―ユミルの心臓は永久動力だけど、そのほかは・・・―
 流貴は体をねじって、瓦礫に埋まった、これまた瓦礫と大差ない、奇妙な装置に視線を向ける。そこからは、わずかに胎動を思わせる淡い光が漏れている。
―あれを壊せば、俺も消えるんじゃないかな?―
「・・・・・・」
 リュンが土埃に覆われた瓦礫を退かすと、冷たい金属の機械が現れた。よく風雨にさらされたまま、何年も稼動していられたものだ。
「・・・これは?」
 その装置には、内側を規則的に緑色の光が通っていく、ガラスのカプセルが埋め込まれていた。どうやら装置が作動しているのは、このあたりだけらしい。中にあるのは・・・リュンにはよくわからない。大きさは子供の握りこぶしぐらいで、色は暗褐色をしているように見える、なにかの塊。
―それが俺だよ―
 リュンは目を疑った。どう見ても、塊は鉱物か、それに近いような光沢がある。
―体は崩れるけど、代わりにそれができるみたい。俺の、結晶?―
 上手い表現が見つからないらしく、流貴は恥ずかしげに説明した。
「これが・・・?」
―うん。その機械から外すだけで、俺は滅びると思うよ―
 まるで他人事のように、流貴は言う。
―リュン、俺を、終わらせに来てくれたんでしょう?―
 そのつもりだったし、リュンには、他の選択肢が無い。それでも、切れ長の目が伏せられる。
 そんなリュンに、流貴はなんでもないように言った。
―俺はモンスターだよ。たくさん、冒険者を死なせた―
「でも、同じぐらい倒された」
―仕方が無いよ。それに、俺はもう死んでいるんだ―
 リュンは軽快な「ブラギの詩」を奏でる。生きていたときには、覚えていなかったはずだ。
 それが、殊更リュンの胸を締め付ける。ここにいるのは、もうリュンの知っている流貴ではないのだと。もう、リュンを愛してくれた人ではないのだと。
 そんなリュンを見透かしたように、流貴は続ける。
―たまたま、他の奴より、生きていた頃のように見えるんだ。でも・・・―
 流貴は演奏をやめて、楽器を下ろした。リュンを見つめる顔は、相変わらず青白く、哀しげだ。
―なんでかな。リュンのこと考えると、この辺が熱いんだ―
 そう言って、半透明な胸に、半透明な手が当てられる。
―きっと、あの時のままなんだ。俺の「時」は、あそこで止まっている―
「流貴・・・」
―リュン・・・俺を、滅ぼして欲しいんだ―
 夕日よりも赤い目が、リュンを見つめている。
 リュンが抱きしめた体の感触は不確かで、温もりも無い。それでも、憶えのある体のラインと、気配。
「っ・・・ぃやだ」
―リュン・・・―
「また・・・俺を一人にするのか。もう、たくさんだ!」
 血の気の無い唇に吸い付く。驚いたようにこわばるその顎を捉えて、何年も味わえなかった分を取り戻すかのようにむさぼる。・・・その、奇妙な感触。
―っは・・・ぁ、リュ・・・ん―
「ちゃんと・・・キスもできるのに・・・っ」
 苦しげなささやきは流貴の耳元にとどまり、流貴の背を優しく包む腕は、震えている。力いっぱい抱きしめたいのに、その体を自分の腕がすり抜けてしまうのを怖れるようだ。
 そんなリュンの背を、少し冷たい、ふわりとした感触が撫ぜる。
―リュンの体・・・熱いよ・・・―
 生身の人間と、作り出された亡霊。相容れない存在。それなのに・・・なぜ、こんなに愛しい。
 突然、流貴の体がこわばり、次いでくすくすと恥ずかしげに笑い出した。
「どうした・・・?」
―や、なんかもう・・・リュンだって思ったら、つい―
 亡霊のくせに盛った、と半透明な体を摺り寄せる。
「・・・相変わらずだな」
―なにそれ、ひでぇ。俺がエロ人間みたいじゃん―
「ちがうのか」
 ショックだーと、流貴は泣きまねをする。リュンはそんな流貴から体を離し、スカーフを緩めた。
―リュン?―
「できるかもしれないだろ?」
―まじですかっ!?―
「ただ・・・転生してから、やってないし・・・」
―リュンの初物・・・ッ!―
「変な言い方をするな!」
 ふおぉおおっ!と悶える流貴の仕草は、やっぱり生きていた頃と変わらない。
「まったく・・・死んでも流貴は流貴だな」
 呆れるリュンに、流貴はにやりと微笑んだ。
―だってリュンのこと愛してるし。しょーがなくない?―
 どきんと、リュンの胸が高鳴った。いま、流貴はなんと言った・・・?
 呆然とするリュンの、転生しても痣となって残った眉間の筋に、ちゅっとふれた流貴の唇は、さっきよりも肉感的な感触があった。
―死んでも改造されても、忘れられなかったんだ・・・―
「流貴・・・」
―リュンに・・・会いたかった・・・―
 すがり付いてくる流貴の体を、リュンは力いっぱい抱きしめた。リュンの腕は、少しも流貴の体を通り抜けなかった。