返らない日々 −1−
走って、走って・・・
暗がりのせいで、いつの間にか相棒とはぐれてしまった。それでも、リュンのほうが暗闇には慣れているし、脚も速い。 ついに、非常口の灯りを見つけた。はやる気持ちを抑えて、そっとドアノブに手をかければ、カチッとまわった。鍵がかかっていない。 思い切って扉を開くと、生々しい外の空気が流れ込む。眼下には暮れなずむリヒタルゼンの街並みが見え、足元には、岩肌に隠れるように設置された非常階段。 『流貴、出口を見つけた!』 『先に行って!』 出会って・・・愛し合うようになってから、いつだって二人一緒に切り抜けてきた。それなのに、またそんなことを言われて、ため息が出る。 『馬鹿か。迎えに行くよ!まわりに目印は・・・』 しかし、急にノイズが走り、相棒の気配がかすんだ。 『流貴!?』 『逃げ・・・ュン・・・!』 途切れがちなwisに、何があったと問いただす暇も無かった。 「ぐっ・・・!」 ゆらりと揺れた、陽炎のようにはっきりと姿の見えない影。その刃に、自分の血がついているのが見える。 「こ・・・んな、ところで!」 焼け付くような痛みに顔を歪めたまま、リュンはアサシンクロスの亡霊を睨みつけた。蒼く長い髪の下から、血のように赤い目が、無表情にリュンを見下ろしている。 『流貴!流貴っ!』 しかし、聞き慣れた吟遊詩人の声が聞こえない。 向こうが透けて見えているくせに、その白刃は確実にリュンの命を奪おうと迫ってくる。 「っ・・・!?」 リュンは、その攻撃を避けようとしたのだ。だが、どうしたことか、足元の何かに躓いて、体が後ろに泳いだ。 バタンッ!ガタガタタッ! 「ってぇ・・・」 開きかけの非常口の扉を押し、鉄製の階段から転げ落ちかけた体を、かろうじて踏ん張る。肘や脛を打って、あちこち痛い。 急いで見上げると、そこには、少し困惑したような表情のエレメス・ガイルが、夕日を避けるように立っていた。彼は、研究所の建物から、一歩も外に出ていない。 キィ・・・ 「待って・・・!」 リュンは手を伸ばしたが、これも金属製の扉が、亡霊の姿を隠すように、音を立てて閉まった。 「待て!」 じんじんと痺れる四肢を叱咤して、手すりにすがるように立ち上がり、リュンは非常口のドアノブに取り付いた。 ガチャガチャッ・・・ 「そ・・・んな・・・・・・」 一方通行の扉だったのだ。いくらノブを回そうとしても、扉はびくともしない。 「開けろ!」 金属扉をがんがんと叩くが、反応はない。だいたい、モンスターと化した亡霊が、丁寧に自分達のテリトリーに、生きた人間を招き入れてくれるとも思えない。 それでも、リュンは叫んだ。まだ中に、最愛の人がいるのだ。 「開けてくれ!・・・流貴!流貴ィっ!!」 頭の中に紗をかけていたノイズは、きれいに消えている。それなのに、流貴の声が聞こえない。 自分は助かった。だが、その本能的な安堵が憎らしかった。 「っ・・・流貴ィイイ!!」 叩きつける拳が・・・そんな大声を出したことなどない喉が・・・半身をもがれた精神が、認めたくないと自分を呪う。 たった一人、荒い呼吸を繰り返して喘ぐリュンは、非常階段の上で、白くなっていく視界に、金属扉にもたれるように膝をついた。 切り裂かれた防刃帯の下は、溢れる血を吸って、ぐっしょりと濡れていた。 「る・・・き・・・・・・ぃ」 ぼろぼろと零れる熱いものが、自分の命だったらよかったのに・・・。 アサシンのリュンは、生き残った。そう、泣きながら、認めざるを得なかった。 かつて、人間だったモノたち。犠牲者である彼らに対し哀れむのは、この場所では命取りだ。祈りは他の安全な場所で捧げればいい。 生国では致死性の高い、治療の困難な新しい病が流行り出したと風に聞く。だが、ここではまだその脅威は対岸の火事で、相変わらず亡霊たちとの死闘に明け暮れる猛者たちがいた。 レゲンシュルム研究所・・・リュンが再び悪夢の地へ舞い戻ったのは、「歌わないバード」の噂を確かめるためだった。 大型PTの陰に隠れて、リュンは研究所の中を進んだ。ここにいる亡霊と戦うことが、リュンの目的ではない。 「いたぞ!」 生者たちが立てる騒音の彼方で、陰鬱な弦の音が、やけにはっきりと聞こえた。 いっそう青白くなった肌は透け、染めた色が抜けた銀髪が、ゆらりと揺れる。リュンがよく知っている紅玉のような目には、リュンがよく知っている明るさがなかった。うつろな・・・何も映さない瞳。 「流貴・・・」 そのかすかな呟きが、聞こえるはずもない。それなのに、バードの姿をした亡霊は、ふらりと頭を揺らした。 その瞬間、亡霊の体がぐらりとよろめいた。矢が突き抜け、雷に打たれ、刃に沈む。 「流貴・・・っ!」 もう死んでいるとわかっていても、その姿は正視に耐えない。リュンが両手で顔を覆うと、不意に至近に気配が現れた。 「!?」 優しげな眉目は、少しも変わらない。それなのに、リュンに愛を囁いた唇は、青白く生気がない。 「流貴・・・」 胸が詰まって、リュンは言葉にならなかった。ただ、ゆったりとリュートを構えたのを、眺めているだけだ。 ここで死んでもかまわない。流貴に殺されるのならば・・・。 だが一瞬後には、リュンは目を疑い、耳に染み入る歌声に、涙が溢れた。 『俺は自分の好きな歌を歌うし、自分が好きな人にしか聞いてもらいたくない』 かつてそう言った男は、死してもそのこだわりを持ち続けたようだ。 あまりにもらしさに、リュンは思わず、涙を拭いながら苦笑いを浮かべる。 「お前って奴は・・・」 手を伸ばし、その青白い頬に触れようとした。だが、その半透明な姿が、すいと後退する。 「流貴・・・」 悲しげな眼差し。そんな顔を、リュンは今までに一度も見たことが無かった。 「嫌だ。・・・一緒に行くって、離れないって、約束した!」 だが、ゆるゆると振られた首は、音も無く唇に言葉を乗せた。 − に げ て − 「嫌だ!流貴!」 伸ばした手は何も掴めず、瞬く間に吟遊詩人の姿は掻き消えてしまった。 「待て、流貴!流貴!!」 乾燥して冷えた、生気のない空気だけが、そこにあった。 「流貴・・・なんで・・・」 震える自身の肩を抱き、リュンは蹲った。どうしようもなく、涙が溢れて、止まらなかった。 リュンはそれからというもの、何度も研究所に潜入したが、流貴が生前の流貴らしさを見せたのは、あれが最初で最後だった。 「もう・・・俺のことは、好きじゃないのか・・・?」 ガーディアンとして、モンスターとして生者を襲う流貴には、もう好きとか嫌いとかいう感覚が無いのだろう。 それでも、リュンは諦め切れなかった。せめて、自分の手で眠らせてやりたい。 (もっと、強く・・・) 唇をかんだリュンは、振り返ることなく、空港へと消えた。 |