宝石諸島の王子 −8−


 今日の夕食も実に豪華だ。干しタラのコロッケに、魚貝の煮込み料理、にんにくを詰めて焼いた鶏の丸焼き、大きなミートパイ、イチジクを混ぜたパン・・・・・・。それに、今夜はリンゴの蒸留酒が振る舞われた。
「やっぱり大勢で食べるご飯は美味しいわ」
 長いテーブルの短い一辺にかけたロゼは、ほくほくとした笑顔でミートパイにナイフを入れている。しかし、その角を挟んで左隣に座っているユーインは、怒っているのと呆れているのを半々にして、妹を詰った。
「ロゼ、今回の件にベリョーザが関わっていること、知っていたな?」
「ん?あら、お兄ちゃん知らなかったの?」
 すっとぼけたロゼにユーインの目が座ったが、ロゼは澄ました顔で、それでも口調は静かになった。
「エクラでは有名な話よ?もう忘れている人も多いかもしれないけど、当時は国王の進退にまで関わるんじゃないかって、大騒ぎだったもの。従者とはいえ人質の安全を保障したはずなのに反故にするか、国王自身がイーヴァル帝に贈呈した焼き印を無効にするか・・・・・・」
「エクラの国王が渡したんですか!?」
 思わず声を上げたクロムに、ロゼは頷いた。
「そうよ。まだ十代で帝位を継いだイーヴァル帝がサディストだっていうのを聞いて、面白がったんでしょ。甘く見すぎていたみたいだけど」
 舐めた真似をした相手なら、他国の王といえども躊躇なく突き落す。イーヴァル帝の傲慢さと冷酷さは、十代だった頃でも他の追随を許さなかったようだ。もちろん、自国へ被害を及ぼすわけにはいかなかったから、綿密な理論と正確な弁論によって、今後の外交方針を含めて、優位にことを進めたに違いない。
 イーヴァル帝にイグナーツを渡してしまったら、激怒したラダファムによってフビ国との交易による富を得られなくなってしまう。同じように人質を出している同盟国や植民地への威厳も失墜するだろう。だが、イーヴァル帝だけを非難すれば、そもそも所有を許可する焼き印を贈呈したのは国王ではないかという非難を受けることになる。当時のエクラは、対応に苦慮したに違いない。
「それじゃあ、イグナーツは完全に被害者じゃないか。とばっちりもいいところだ」
「そうですよ。ひどい話です」
 ユーインとクロムの怒りに、当のイグナーツとラダファムは顔を見合わせ、穏やかに笑った。
「ところが、まぁ、なんというか・・・・・・」
「その時はイーヴァが譲歩したんだよ。エクラ王国にじゃなくて、俺たちにだけど」
「そういうわけで、俺たちがエクラを去る今、エクラはその時のツケを払わなけりゃならないかとビクビクしているのさ」
 穏やかな苦笑いを浮かべるラダファムと、どこかすっきりとした顔で照れ笑いするイグナーツは、仲良くコロッケを頬張っていたが、ふとその視線が、出入りするドアの方へ向けられた。
「え、なに・・・・・・?」
「伏せろ!」
 ラダファムが自分の椅子を持って駈け出したのと、イグナーツがテーブルに飛びあがったのと、ユーインがロゼとクロムをテーブルの下に押し込んだのが、ほぼ同時だった。
 破城槌でも持ち出したかのような音を立てて、廊下へ通じる扉の隣壁、テラスへと通じる扉が砕け散り、カーテンに出来た盛り上がりに、ラダファムが椅子を叩きつける。
「ぐはっ」
 洒落た椅子の脚が折れたが、カーテンの下に不法侵入者と思われる物体が転がった。
「であえッ!敵襲だ!!」
 ユーインが叫びながら護身用の短剣を抜いたが、割れた窓からは次々と賊が侵入してきて、脱出口を塞いだ
「ファムたん!」
 ひゅっと走った銀色の光が、ラダファムに肉薄していた二人をもんどりうって倒れさせた。
「欲しいのは俺だろ?」
 テーブルの上に立って指先で挑発するイグナーツに、ぱっと一人の男が踊りかかったが、イグナーツは一足先にテーブルから飛び降り、勢いよくテーブルクロスを引っ張った。
「うぉっ!?」
 クロスに足を取られて転倒した男は、椅子をなぎ倒しながら床まで転げ落ち、一抱えもある大きな花瓶に武器に替えたラダファムによって、丁寧に昏倒させられた。
 テーブルをまわってイグナーツに襲いかかってきた二人は、イグナーツが下がるのと同時に前へ出たユーインによって、瞬時に斬り伏せられた。しかし、いったい何人いるのかと呆れるほどに、裂けたカーテンの向こうから、また三人の男がテーブルを越えようと走り込んでくる。
「どこ見てるんだ、こっちだよ!」
 侵入者たちが思わず声がした方を見れば、白い髪で白い肌の男が立っていた。目の前の銀髪の男と、どちらがターゲットなのかと迷った瞬間が、最後だった。
 ユーインの短剣が、イグナーツの鋲が、ラダファムの花瓶が、それぞれの無法者を倒れさせた。
「・・・・・・終った?」
 恐る恐るテーブルの下から顔を出したロゼに、ユーインはまだ隠れているように手を振った。
 静かにはなったが、まだ気配がある。ユーインが燭台をテラスに掲げ、そこに入ってきた影に剣を構えて、止められた。
「味方です!」
 イグナーツの言うとおり、黒ずくめの小さな影には殺気もなく、恭しく膝を折った。
「お騒がせしまして申し訳ございません、高貴なる方々」
 その少女のような外見と声に、ユーインはいささか驚いて、テラスへと踏み出した。
 そこには、やはりダイニングへ侵入してきた者たちと似通った服装をした男たちが、登攀に使ったと思われる道具と共にごろごろと転がっていた。
「ロサ・ルイーナ、怪我はないか?」
「はい、イグナーツ様」
「知り合いか?」
「・・・・・・彼女は、ベリョーザ人です。俺を守るように命令されていまして」
「ああ・・・・・・」
 誰の命令か察したユーインは、深く追求しないようにした。一人でこれだけの人数を相手にできるところからも、ユーインよりも隠密活動に優れたエージェントであるのは明らかだし、そんな人材を自由にできるベリョーザ人は、一人しか思い浮かばない。
「やはり、むこうの宿はもうばれたか」
「申し訳ございません、ラダファム様」
「いや、よくやってくれたよ。こうしてボロを出させることも出来た」
 ラダファムが言っていた協力者とは、彼女のことだろう。ユーインは死体を踏まないように足元を照らしながら、用心深くテラスの端へ歩いていった。
「これは・・・・・・」
 転落防止の手摺の下は、わずかな庭を残して、断崖絶壁の海だった。
「まあ、ロサ・ルイーナ!」
「ロゼ様、お騒がせして申し訳ありません。私が気付くのが遅れ、このようなことに・・・・・・お詫びのしようもございません」
「いいのよ、いいのよ!貴女、頑張りすぎよ。ほら、私たち、誰も怪我をしてないわ」
「恐れ入ります」
 館に招き入れようとしているロゼに対し、かたくなに固辞している諜報員のそばまで戻ると、ユーインは改めてイグナーツに呆れてみせた。
「いい腕だな。それに、変わった武器だ」
「ちょっとしたツテで習いました、手遊びの域を出ません」
 手遊びの域であの威力ならば、極めれば立派な暗殺術だろう。誰に習ったかはわからないが、イグナーツもエクラ王宮で無為に過ごしてきたわけではないということだ。
「こんなにおしかけてくるとは・・・・・・よほど国外へ出したくないみたいだな」
「エクラ王国にとっては、俺がどこへ行っても困るんです。生きて、この国にいなければ、いろいろと不味い」
「それなんだけどな、イグナーツ」
「はい?」
 ちょっとこいとユーインはイグナーツを誘い、手摺の下を覗かせた。
「ここから落ちてみるか?」
 冷たい海風が噴き上がってくる断崖は、遠く近く波濤が響き、月明かりにチラチラと波が光っていた。
「・・・・・・いいですね」
 ユーインは暗がりの中、館の窓から漏れる光を受けて、イグナーツの唇がニヤリとゆがんだのを見て、大きくうなずいた。
「よし、こうしよう。ロゼ!シナリオが決まったぞ!」
「へ?なぁに?」
 ロサ・ルイーナをつかまえて困らせていたロゼは、ユーインに呼ばれた一瞬の隙に、可愛らしい諜報員に逃げられてしまった。
「ああん、一緒に晩御飯を食べましょうよ!」
「ロゼ!彼女を困らせるな、仕事中だ」
「ぶぅううう!」
 ぷんすこと頬を膨らませながら、ロゼは白木蓮館の女主人としての役目を先に済ませようと、駆けつけた兵士たちに無法者の始末を命じ、召使たちには部屋の片付けと、夕食のやり直しを指示した。
「クロム」
「はい」
 それまでみんなの邪魔にならないようにと、ダイニングの片隅で待機していたクロムに、ユーインはつかつかと歩みより、思い切り抱きしめた。
「ユ、ユーイン!」
「危ないことをするな!・・・・・・本当に、こっちまで驚いた」
「あ・・・・・・、すみません」
 しゅんとなったクロムをさらに抱きしめ、ユーインはその白い頭髪に鼻先をうずめた。
「最高のタイミングだった。助かったよ」
「ユーイン・・・・・・」
 ほっと力の抜けたクロムの額にキスをして顔を赤らめさせると、ユーインは仕事を片付けるべく、考えねばならないことを高速で整理し始めた。