宝石諸島の王子 −9−


 コリーンヌリーブルの白木蓮館に強盗団が侵入し、死傷者が出る事件があった。
 白木蓮館の住人であるオルキディア国のロゼ姫によれば、その日招待して会食をしていたのは、同国のユーイン王子とそのパートナー、そしてフビ国のラダファム王子とその従卒の計五人であった。襲撃によってラダファム王子の従者が犠牲になったほか、数名の兵士と召使が怪我をし、白木蓮館の一部も破損しているという。盗まれた物はなかった。
 また、ロゼ姫の誘拐が目的と見られた賊は、全てその場で斬り捨てられたか拘束されており、全員エクラ王国人とのことから、オルキディア王室からの厳重な抗議が大使館を通じてエクラ王室へされている。
 ロゼ姫の声明によると、賊は会食中のダイニングに外から侵入し、王子たちが応戦している中で、姫をかばったラダファム王子の従卒が、もみあいの末に賊と共に城館外に転落してしまったということだ。下は海であり、遺体はいまだ見つかっていない。一部始終を見てしまわれたロゼ姫が涙をこらえ、声を震わせながら、犠牲になった従卒への感謝と安寧を神へ祈ると同時に、このような暴挙は絶対に許されるものではなく、徹底した事実究明を図ると、毅然とした姿で強く宣言された。
 また、この事件により、フビ国への船を待っていたラダファム王子であるが、エクラ王国の船ではなく、オルキディア国の船で戻ることを発表した。ラダファム王子は二十年来、犠牲になった従卒と共にエクラ王国に滞在していたが、この事件によりひどく憔悴され、一刻も早くエクラ王国を離れたいとの意向であり、同時に多くの援助を申し出て慰めてくれたロゼ姫とユーイン王子に対し、感謝の意を述べている。
 フビ国についてであるが、宝石諸島にあってエクラ王国との親交が深いが、今回の事件により、宝石をはじめとする交易に、何らかの影響が出るのではないかと懸念され・・・・・・。(後略)
                  −10月3日付 コリーンヌリーブルジャーナル


 穏やかな日差しの元、オルキディア王室の紋章を掲げた立派な船が港に浮かび、波止場にはオルキディアの王子と姫、そしてフビの王子が乗り込む順番を待ち、その周辺にはお付の人間が何人もいた。もちろん、クロムもユーインの隣にいた。
「申し訳ない、ロゼ殿。またしばらく御厄介になる」
「いいのよ。ファムたんなら大歓迎ですもの」
 すまなそうに頭を下げるラダファムに、大きな帽子をかぶった旅装のロゼがにこにこと機嫌がいい。ラダファムはフビ国行きの船に乗るために、オルキディアの港に移ることになり、ロゼも白木蓮館の修繕が終わるまで、それに付いていくことにしていた。
「ナッツ・・・・・・」
 修道士の質素なローブを着てフードをかぶった人物が、ラダファムに呼ばれて少し顔を上げた。フードの下には青みを帯びた銀色の髪があり、親愛に溢れた金色の眼差しが、ラダファムを見上げていた。
 イグナーツはユーインの口利きにより、オルキディア政府から正式に死亡証明が出され、小さな墓もオルキディア領地に作られることになっていた。
 もちろん、オルキディア政府は見返りを期待してのことだ。ラダファムに恩を売っておけば、エクラ王国と距離を置きたがっているフビ国との通商に、大きな利益が見込めた。それに、あのやっかいなベリョーザ帝国とのパイプを、安全に作ることもできる。
 そういうわけで、もちろん墓に入れる棺の中は空だし、密かにベリョーザ大使館に届けられた皇帝宛の緊急書簡には、ユーインの署名でイグナーツが生きてベリョーザ帝国に向かっていることが書かれていた。もっとも、この書簡が届く前に・・・・・・いや、届いたとしても、ベリョーザ帝国がエクラ王国に対して、何らかの制裁を発動させることは、想像に難くない。
「・・・・・・元気でな、ファムたん」
「ああ、ナッツも・・・・・・」
 これが、今生の別れであろう。遠くフビ王国と、ベリョーザ帝国の城の中、二度と会うことはかなうまい。
「母上様にも、親不孝なイグナーツで申し訳ないと・・・・・・。帰れないけど、どうか、元気で・・・・・・」
「大丈夫だよ、わかってくれる。よく、伝えておく」
 ぎゅっと互いを抱きしめ、親友たちはともに相手の旅路の幸運を祈った。
 イグナーツはロサ・ルイーナと共に、ジェメリ国へ行き、そこから陸路でベリョーザ帝国を目指すことになった。険しい道を行くことになるが、エクラ王国さえ出れば、ベリョーザからの助けはいくらでも出るというのが、ベリョーザ帝国の諜報員であるロサ・ルイーナの話だ。
「なあ、ひとつ聞いていいか?」
「なんですか?」
 ユーインの真剣な表情に、イグナーツも真面目に向き合った。
「どうやってあのイーヴァル帝を手懐けたんだ?」
「え!?・・・・・・っと、俺は、何もしてないですよ」
 とんでもないとイグナーツは首を横に振るが、ユーインは納得しない。
「何もないわけあるか!あのイーヴァル帝だぞ!なにか秘策があるんだろ?これを言えばいうことを聞く!みたいな!」
 だんだん目の色に熱がこもって詰め寄ってくるユーインに、イグナーツはいっそう首を横に振った。
「ないですよ!本当に!あの人は気まぐれでわがままで自己中で、人の嫌がることをするのが大好きなんだから!・・・・・・ただ、俺が最初に目を付けられたのは・・・・・・」
「目を付けられたのは?」
 ユーインにずいずいと迫られたイグナーツは、少し恥ずかしそうに視線を逸らせ、小さな声で答えた。
「俺が水浴びをしているのを、イーヴァに見られたんです」
「・・・・・・へ?」
「だから・・・・・・、裸で水浴びしてたのを、気が付いたら、普通に眺められてたっていうか・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「その後、無理やり連れて行かれて、焼き印も押されて、死にそうなほどボロボロにされて・・・・・・。ね、参考にならなかったでしょ?」
 ユーインはがっくりと項垂れ、イグナーツの不運を聞かされたクロムやロゼは、痛ましそうに表情を曇らせた。
「ナッツを不幸にしたら、友達の俺が怒るぞって、あの人にちゃんと言っておけよ?」
「ははっ、わかったよ」
 拳を突きだすラダファムにイグナーツはうなずき、修道女の格好をしたロサ・ルイーナの側に立って、自分の荷物を持ち上げた。彼らはオルキディア王室が所有する大きな船の隣に係留してある、オルキディア船籍の小さな交易船で、巡礼者を装ってジェメリ国まで行くのだ。
「では、みなさん、お世話になりました。お元気で」
 深々と頭を下げ、ロサ・ルイーナを伴って交易船に乗り込んでいくイグナーツに、ラダファムをはじめ、ロゼも、ユーインも、クロムも、腕がちぎれそうなほど手を振った。
「元気でねー!」
「気をつけていけよ!」
「幸運を!」
 渡し板が外され、舫い綱も解かれ、碇が上がっていく。ばさりと帆が広がり、風をはらんで翻ると、交易船はゆっくりと沖に向かって進み始めた。その甲板の上で、粗末なフードが風にはがされ、手を大きく振っている。
「またねーっ!!」
 そのイグナーツの大きな声に、ラダファムも雄叫びのような声を返した。
「またなーっ!!」
 ゆっくりと舵を東に切った交易船が、三角帆を膨らませて、どんどん遠くに行き、やがて、他の船や波間にまぎれて、見えなくなった。
「ファムたん・・・・・・」
「うん・・・・・・」
 声を殺して男泣くラダファムに、背伸びをしたロゼのハンカチが、そっとあてられた。
「また、きっと会えるわ」
「うん・・・・・・っ、うんっ!」
 あの見えなくなった交易船の甲板でも、同じように肩を震わせて泣いている人がいるに違いない。
 ロゼがラダファムを慰めながらカッターに乗り込んでいくと、クロムはユーインにそっと腕をつかまれた。
「え?」
「しっ・・・・・・」
 カッターが船までの距離を三分の一ほど進んだ頃だろうか、異変に気が付いたロゼが慌てて何か言っていたが、もう遅い。
「行くぞ、クロム!」
「え?あ、はいっ!」
 ユーインが引いてきた二頭の馬に飛び乗ると、クロムはもらい泣きの涙も乾かぬ間に、ラダファムとロゼに手を振った。
「お世話になりました、ロゼ様!!ラダファム殿下、お元気で!!」
「じゃあな!!」
 汗馬のいななきも高く、ユーインとクロムは風のようにコリーンヌリーブルの港を逃げ出した。ラダファムの声だろうか、「ありがとう」と背に聞こえたが、それ以上は風と雑踏に掻き消されてしまった。
「ユーイン!ユーイン、どこに行くんですか!?」
「はははっ!さあな、どこがいい?」
 厄介事は終わりだと言わんばかりに軽快な笑い声をあげるユーインは、ロゼたちと共にオルキディアに渡って、兄たちや見合い相手を引き連れた女傑たちに囲まれる危険を避けたのだ。
「やれやれ・・・・・・。呼びつけられたわりには、俺はあんまり関係なかったな」
「そんなことないでしょう?兄上たちとの交渉に自信がなかったから、ロゼ様はユーインを呼んだのでしょう?」
「うーん、そうではあるんだけど・・・・・・」
 コリーンヌリーブルの郊外を目指しながら、ユーインは首を傾げた。
「ロゼだって、兄上たちにお願いしたりできるし、普段は外交だってできるんだ」
 たしかに、地元紙に対して立派に演技して見せたロゼは、報道官や外交官としても通用するだろう。
「あー、まさか・・・・・・」
「まさか?」
 突然どよんとした空気を醸し出したユーインが、苦り切った表情で吐き捨てた。
「俺をベリョーザに対するスケープゴートにしやがったな。皇帝に対する親書も俺に書かせたってことは、この件に関してロゼではなく、俺に対する印象を強くさせるためだ!」
 ユーインは悔しがって、盛大なため息をついた。
「・・・・・・ユーインが、ロゼ様を捉え難がっていたことが、なんとなく理解できました」
「あいつはホント、頭がいいっていうか、用意周到っていうか・・・・・・陰湿なんだよ!」
「それは言いすぎですよ」
 クロムは苦笑いをこぼしたが、ロゼの「コスパがいい」やり方には、ただただ舌を巻くばかりだ。
「あー、もう一生ベリョーザには足を踏み入れたくないぞ!」
「いいですよ。ユーインが行きたいところへ、俺はついていきますから」
 ぱっかぱっかと坂道を並んで行き、人通りが途切れたところで、クロムはユーインの近づいてくる顔に応えた。
 触れるだけの軽いキスを撫でた風が、丘を越え、別れた友たちへ幸運を運ぶことだろう。