宝石諸島の王子 −7−


 結局、図書館を出た後も、あてがわれた客室のベッドで、クロムはユーインと睦み合った。相変わらずの激しさに、さすがにベッドでぐったりと体を休めていたが、それでも夕食前には汗を流しておこうと、クロムは先に湯を使うことにした。
 白木蓮館の来客用浴室は石造りで、一人用の浴槽が二つ並んでいた。湯は浴槽にたっぷりと用意されていたが、追加ですぐに使えるよう、熱々の風呂釜が別に設えてあり、そこから白い湯気がもうもうと立ち上っていた。
「あれ?」
「あ・・・・・・どうも」
 浴槽が確実に一つ空いているのは、脱衣所から見えてわかっていたが、その隣には先客がいた。クロムにひらひらと手を振ってきたのは、イグナーツだった。
 クロムはそそくさと空いている浴槽に浸かりこみ、石鹸を泡立てた。
「ふーん。まだ明るいのにお盛んだなぁ。いいなー、らぶらぶで」
「はぶっ」
 驚いた拍子に湯気と石鹸の香りを盛大に吸い込み、クロムはくしゃみとも咳ともつかないものをした。
「大丈夫?」
「な、なんで・・・・・・」
「わかったかって?いや、わかるよ?裸見れば。普通に」
 イグナーツは何でもない事のように言うが、クロムは恥ずかしさに真っ赤になって、むやみに体を擦った。
「なーなー、王族と恋人になるって、どんな感じ?大変?」
「え!?・・・・・・えっと・・・・・・」
 イグナーツが浴槽の縁につかまって、子供のようにこちらをじーっと見つめるものだから、クロムはパニックになった頭で律儀に考えた。
「大変、というか、ついていけないことは、時々あるかな。あまりにも育ちが違うというか、交友関係の大きさとか・・・・・・絶対的に持っている知識の量もちがし・・・・・・」
「ああ、たしかになぁ。育った環境が違うと、そうなるな」
 イグナーツはふむふむと頷き、納得している。
「でも、逆に庶民の感覚とかが欠けている時もあるから、その辺は・・・・・・面白い?かな?呆れることもあるけど」
「はははっ」
 あのユーインとのギャップを想像したのか、イグナーツは明るい声で笑った。しかしクロムとしては、クロムがユーインと一緒にいた時間よりも、もっと長い時間を一緒にいたイグナーツとラダファムの方が気になった。
「イグナーツさんは、ラダファム殿下と、ずっと一緒だったと聞きましたが」
「ナッツって呼んでくれよ。そうだな、ガキのころから一緒だったよ。早々に孤児になった俺を、ファムたんの母上様が不憫に思って拾ってくださった。母上様は解放奴隷の俺にもお優しくて・・・・・・身分は全然違ったけど、俺たちは兄弟みたいに育ったよ」
 イグナーツは懐かしそうに、にっと笑った。
「嬉しいことも悲しいことも、辛いことも、二人で分け合った。エクラ王国でも、ずっと変わらなかった」
「それで、どうして今回は一緒に帰らないことになったんですか?」
「・・・・・・まあ、ちょっとな」
 気にはなっていたが、やはり答えにくいことだったのかと、クロムはそれ以上追及するのをあきらめた。
「クロムの方はどうなんだ?どうやって王子様と知り合ったんだよ?」
「あ・・・・・・俺は、元々はグルナディエ公国の衛生兵でした。たまたま居合わせたユーインに、その・・・・・・、気に入られたというか・・・・・・」
「なるほど。やっぱ王子様には、逆らえないもんか」
「いえ、そういうことはなくて・・・・・・!」
 ばしゃんと派手な水音を立ててしまい、かといってどう答えればいいのか、的確な言い方がすぐに出てこなくて、クロムは赤面したままたどたどしく言葉を紡いだ。
「そりゃあ、どうして俺なんかにくっついて前線近くの野戦病院にまでくるのか・・・・・・ユーインの考えていることなんか、全然わからなくて・・・・・・。でも、どうしても俺がいいっていうことだけは、伝わったし、その・・・・・・国を離れる名目まで作られちゃったし。でも、だからって、別にユーインのことが嫌いだったわけじゃないし・・・・・・」
 クロムは言っていて、当時の葛藤がよみがえってきたが、それも今となってはほろ苦い。
「どうしてよりによって俺なのかって、ずいぶん悩んだし、俺は俺で将来医者になるために勉強もしていたから、目の前で負傷した兵士たちを置いていくことなんてしたくなかった。・・・・・・でもね」
 強引でもなんでも、他の誰かではなくクロムを選んだユーインに、ついていこうと決めたのだ。自分が希望していた対象に奉仕することはできなくなっても、自分が流れ着いた先で自分の出来る精一杯をすればいいと思い直した。だから、雪深く閉ざされた村で、何人もの人を助けることができた。
「グルナディエの人を助けることは、俺でなくてもできる。他に知識も技術も志しも上の人たちがいたからね。でも、ユーインが求めているのは、世界中の誰でもなくて、俺だけだってわかったから・・・・・・遊びじゃなくて、本気で俺が欲しいんだって、わかったから。・・・・・・それも、ほだされたって言われてしまったら、そうなのかもしれないけど」
 全て本当のことだが、なんだか自分で言っていることが照れくさくて、クロムは湯船の中に頭ごと沈んでしまいたくなった。イグナーツは黙って聞いてくれたが、逆に何か言ってくれた方が、クロムの照れくささは和らいだかもしれない。
「俺がグルナディエで学んだ知識は、グルナディエの中にいても役立ったかもしれないけど、他の国にいても、ちゃんと役に立ったよ。それで助かった人が、グルナディエと友好を結ぶことが出来たら、それはそれで、グルナディエのために役立ったってことになるんじゃないかな・・・・・・って、俺は自分を納得させたんだ。なんか、回りくどくて、すみません」
「いや、謝んなくていいよ。・・・・・・そうだな、俺もそう考えてみる」
「え?」
 クロムが顔を上げて隣のイグナーツを見ると、彼も湯で温まった頬を染めて、照れくさそうに微笑んでいた。
「なんか、ふっきれたっていうか、気が楽になった。ありがとな、クロム」
「え、えっ??」
 差し出されたイグナーツの手を握り、クロムはよく分からないまま握手をした。
「思い通りにならないって悩むよりも、感謝するべきだな」
「はぁ・・・・・・?」
 なにやら教会の坊さんのような言い方をしたイグナーツに、クロムは何と返していいのかわからなかった。そんな崇高なことを言った覚えはないし、一人で悟られても困る。
「んじゃ、お先に上がるぜ。ちっとのぼせた」
「はい。・・・・・・っ!?」
 ざばっと湯船から立ち上がって背を向けたイグナーツを見て、クロムは我が目を疑った。
「ん?カッコイイだろ?自分じゃ見えないんだけどな」
 どこか晴れ晴れとした声でイグナーツは言い、湯船の栓を抜いて、自分の体に付いた泡を洗い流した。
「どうして俺がファムたんと一緒にフビへ行かないのか、どうして世間に対して俺を死んだことにしたいのか、どうしてエクラ王国が俺たちを執拗に見張っているのか、俺がファムたんと別れて行こうとしている国がどこなのか・・・・・・答えになったか?」
「・・・・・・ええ、よくわかりました。これを、ユーインに伝えても?」
「かまわないよ。俺に勇気をくれたクロムへのお礼だ。じゃ、また夕食で会おうね。あ、ここにキスマーク付いてるよ」
「なっ!」
 お先に〜と笑いながら手を振って浴室を出ていくイグナーツを、クロムは呆然と見送った。先ほどまで、自分のことを語っていた熱が、嘘のように引いていた。
(輝ける、ベリョーザの子・・・・・・)
 イグナーツの白い背中の、腰に近い辺りに、それははっきりと焼き付けられていた。クロムも見覚えのある紋章と、現皇帝の名も・・・・・・。
(そんな・・・・・・っ!)
 クロムは自分が言ったことで、イグナーツを取り返しのつかない道に進めてしまったのではないかと、後悔という冷や汗が滲むのを感じた。ゆっくり入浴をする気も失せ、クロムは早々にユーインへ事の次第を知らせに戻った。
 ユーインは髪もろくに乾かさずに戻ったクロムを抱きしめようとしたが、もたらされた情報に眩暈を起こしたのか、よろよろとベッドに座り込んだ。
「まじか・・・・・・」
「はい」
 イグナーツはフビ国の王子ラダファムの従者であると同時に、現ベリョーザ皇帝イーヴァルの私有物でもあり、さらに住んでいる場所がエクラ王宮だという、非常に特殊な立場の存在だったのだ。
「そうか、ラダファムが言っていた「とある人物」って、イーヴァル帝のことだったのか!あーっ、ロゼのヤツ、それを知ってて・・・・・・なんてこった、面倒どころの話じゃないじゃないか!!」
 頭を抱えたユーインが、ベッドの上をゴロゴロと転がったが、クロムも気持ちはよく分かった。
 支配者、統治者としては有能だが、とかくその人格に対して良い噂を聞かないイーヴァル帝のことだ。たまたまエクラ王宮に来ていた時にイグナーツを見つけ、そのまま焼き印を押して自分の物だと主張したに違いない。当時の混乱ぶりは、クロムたちの想像を絶するものだったことだろう。
「うーわー・・・・・・まいったな」
「しかし、これで少しは対策が取りやすくなったのではないでしょうか。全く不透明だったよりも」
「それはそうなんだけど・・・・・・知らぬが仏っていうことわざが、遠くの国にあったよ」
「ホトケ?」
「あー、穏やかな気分でいられたって意味でいいんじゃないかな」
「なるほど」
 エクラとフビ、そこに首を突っ込もうとしているオルキディア、それを期待して眺めているベリョーザ・・・・・・状況は混沌としている。
「・・・・・・イグナーツさんは、ベリョーザ帝国に行くと決めているようです」
 正確には、まだ迷っていたのを、クロムとの会話で決心させてしまった、というべきだろうか。
「まあ、それでロゼを頼ったんだろう。そうだな、エクラ王国にとったら、ベリョーザ帝国に対する人質でもあったわけだ。イグナーツがベリョーザに行ってしまったら、エクラはベリョーザからの攻撃を防ぐ盾を一枚失うことになる。なるほど、それでこんなことに・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 ユーインが分析するたびに、クロムは心が痛んだ。エクラ王宮で過ごしてきたラダファムとイグナーツの心労は、如何程であったろうかと。子供の頃から支え合って異国で生きてきたにもかかわらず、別れねばならない悲しみと不安は、クロムが故郷グルナディエを離れなければなかった時よりも大きいだろう。
「ユーイン」
「なんだい?」
「お二人を助けたいです。俺は、何をすればいいですか?」
 真剣に見つめるクロムの赤い目を、ユーインの青い目が見返し、そしてにっこりと、優しさと自信に溢れた笑顔を見せた。